思想のコピーというか継承というかその辺①

せんせーと最初にお会いして頂いた時の会話で、 「舞さんが、あんなにも俺によくしてくれた理由が、俺には分からないんですよ」 「一度訊いたことがあるんです」 「なんで? って」 (当時の俺は子供らしく照れがあったから、『舞さんは他にお客さんが居ても、俺のことばっかり構うよね』とか、『生活のためじゃないなら、どうしてお店をやってるの??』とか、ひねデレた感じに訊いた記憶がある) 「そしたら舞さんは、(俺のことをスゲェ慈しむような目で) 『あなたのようなひとが来てくれたらいいな、と思ったんです』 って答えたんですよ」 「俺には今でもそれが分かれていないんですよ」 せんせーは、へっへっへ、と闊達に笑って 「うーん、わたしはわからなくもないかな。なんかこの子ヤベェな、的な。成長を見てておもしろいとでも言うのかな?」 「…………僕が?」 「うん。なんか与えると、この子は次はどうするんだろう、みたいなのを見守る感覚。」 「…………僕が?」 「うん。」 「それは…… なんといいますか、光栄の至り、といいますか――ね。」 「君がこの“まちかねワニぬいぐるみ”を、懐かしいなぁ~ 買っちゃお。ってなる頃にわかると思うよ」 って。まぁ正直オレはこの時そうとう緊張してたのだけれど、「わたしはわからなくもないかな」 という言葉と、後々までも……まぁ色々遊んで下さったこととか(色々。俺はつくづく果報者だ)あって、薄く浅く、息をするように伝えて頂いた気がする φ 俺が舞さんに初めて会ったのは、俺が7歳、舞さんが26の時だ、それからついぞ俺が12になる少し前まで、(あの人は俺に家と店の鍵を渡して1〜3ヶ月居なくなることとか、よくあったのだけれど)割とかなりの頻度で遊んでもらったと思う。 一番はアレだな、7〜9くらいまでの時だな。 まぁいいや。 せんせーと、上みたいなお話をしたのが、俺が19の時、 あれから5年経って、俺ももう24になる。 あの時の氷上の年齢まで後2年ちょい。 同じところに至ったかなぁ、と至れるかなぁ、と考えを巡らせると、「少し足りねぇかなぁ」と思う。2年で届くだろうか。 師匠のあの小回りが効く感じ(状況を整えた後に俺のことをバイクで拉致って山で1週間訓練をつける感じ)は、目的に向かって邁進する年齢(社会人になって2〜5年目くらいの行動の幅が広がった感覚)もあるのかもしれない。ここは分かるかもしれない 氷上が俺のことをあんなに構った、その動機の部分のことは少し思い及ぶ段階に至ることが出来たようにも思う。 もう少し書きたいから少し分けよう

2015年7月27日 · 1 分 · 33 文字 · Keito Fukushima

時間軸を度外視して考える+

少し前にこんな会話があって、非常に印象に残っている 「(前略)俺とそいつはお互いに境界線上に在ってですね、俺は言うわけですよ。『この出会いは奇跡だよ』って。相手は答えるわけです。『奇跡なんかじゃない、必然だ。……遅かれ早かれ遭っていた』って」 「それは両方が正しいんだよね、(君たちは分かっているようだけれど!)後から出会ったとしても、それは十年来の友人の様な関わりが持てる相手というのが居るものなんだよ。本当にそうなんだ。僕はだからこそ、必要なときに必要な人間が、近くにいてくれる、巡り合せの様なものは本当にあるんだな、と思い至っている。時間は重要なファクターだけれど、関係ないな、と考えてみることも、可能性が拡がっておもしろいよね」 φ そう、時間軸方向の厚みを俯瞰的に見ると本当に相似形を描いてておもしろい。 歴史は繰り返す、というけれど、 歴史小説のキャラクターの『状況対応』に、古さというものが全く無い。 本当に。古くないんだよね。 広く万巻の書を読むにつけ、自ずから己の兵法というものが見えてくる。 真髄というものは共通する。 『状況』という変数が少し毛色が違うだけで、 想定しなければならない事象の規模はむしろ過去の偉人の向かった事態の方が大変極まりなかったりするのだよね。 この戦争に負けたら日本が滅ぶ。とか、 そのレベルの思想が100年前には存在したわけですよ。 φ 莫迦が天才の足を引っ張る様が、俺は大っ嫌いだ。 それと同じくして、過去の偉人の残した遺志を汲み取ることをせずにのうのうと生きる様も醜いと思う。 少しずつでも、掠め取る努力をしていたいものだ そして胸を張って、「ああ、俺は日本人に生まれてよかった!w」と言っていたいものだ

2015年7月12日 · 1 分 · 19 文字 · Keito Fukushima

「思想より行動の方が強い」

そりゃそうだ、って話だけれど、オレは割とこれ自戒的に言葉にしておかないと、大事なところで踏み出せないヘタレチキン野郎みたいなところあるから…… 百聞一見。 いや、やっぱ強いんだよな、行動のほうが。今までのオレの言葉なら、**「人間は行動することでしか、この世界と関わることが出来ない」**って、割と迂遠な言葉だったけれど、もっと端的になった。 いや、理系になった。 実験は基本的には失敗するものだってのが本当によく分かった。身に染みて分かった。 「〜〜〜思うんですけど、どうなりますかね??」「う〜ん、やってみないと分かんないねw」っていうのがオレの研究生活の大半だった。(今も) ハヤタ風に言うなら、PDCAサイクルの高速回転。オレ風に言うなら、“居付き”を取っ払う。 行動のほうが、強いんだよね。 “居付き”を取っ払う、なんて、いわば反射訓練だし。 爆音が聞こえたらとにかく伏せるコマンド訓練みたいなもんだ。 そんなのは『一回目』じゃ絶対出来ないし、もうただ一線を越えるための訓練あるのみなのよな 世の日本人が文系に進む理由の大半が、**「数学(もしくは理科)が出来ないから」**ってのが本音だと思う。能動的な表向きの理由は、後ろ向きな言い訳だろう。出来なくていい、ってのは、やらなくていいとイコールじゃない。とりあえず守。精神神髄をつかめたら初めて離だろう。**見切りの早さは長期的には甚大な損を生むさね。**きちんとした情報収集に基づいた構想のもとに、終着点を思い描いて選択せねば。……結局、碌な選択肢が残らない。 いや、オレ文系出身で理系でそれなりにやって来たからこそ言葉にするけれど、「そんなのは言い訳ですの。やらなかっただけですの」……どの面下げて技術大国だクソ野郎。つべこべ言わずにまずは分からないところを整理して言葉にして、読んで書いて考えろよ、と。いや、昔のオレにも当てはまるけどさw 今でこそもっと上手くやれたよなぁ、みたいな思考は、それこそ2周目(強くてニューゲーム)の思想だねw これを一番いいレイアウトで他人(自分の子供とか身内)に投げるなら、実際にやってみせて、一緒に肩を並べて笑っててやらねぇといけねぇのかなぁ、とか思う。どこまで時間を割いてやれるか、になる気もする。南場智子さんの言葉を借りるなら、「孫正義さんのカバン持ちとか買って出てでもやりたいものですよね」 一番大事なのは現実。 他を蔑ろにする訳では決して無いけれど、現実に即すことが一番大事で、そこを違えてしまえば基本的には失敗するし、 「それはアナタの妄想ですの」「現実を見なさい」 現実を見るためには、行動して試して、世界にアクセスしてみなくてはならない。(そしてこれは基本的には失敗するw) 日本人の完璧主義みたいな要素は、オレは嫌いじゃないけれど、失敗に対して後ろ指をさす様な精神は(日本に限らないかもしれないけれど)学校教育で培われるのかなぁ、とか思う。一問一答方式の試験で、満点を取ることに家でも学校でも固執する感じ。 まぁ固執大事なんだけどね。色んな認められ方に対して寛容になるというか。 成功パターンと失敗パターン、おもしろおかしくもっとたくさんあってもいいような気もするなぁ。……個人の資質によるか。あちらを立てればこちらが立たず。これは政治だな。 昔、小学校の理科の実験で、「塾で学んだ知識と違うから」っていう理由で、実験で出たデータをオレの知ってる知識に書き換えて、友人にも「こうなるんだよ」って言い切って(オレは正答を教えてやる、くらいの軽い気持ちだった)レポートを書き換えさせていたのを目に止められて、マジで理科の先生に怒られた理由は、このへんにあると思う。当時のオレが抱いた、漠然とした『きまり悪さ』の様なものを、オレは覚えている。 行動のほうが強い。現実が一番強い。 目の前に広がる、圧倒的な現実の前では、人間の常識なんて薄っぺらいものさね。 だから、誰がどう言おうが現実が一番エラい。 サイエンスってのは、その現実を信奉する、ひとつの宗教の様な部分も持ち合わせていると思う。

2015年7月11日 · 1 分 · 27 文字 · Keito Fukushima

「しあわせだ今オレという主張はしない方がイイ」

蛭子能収さんも昔似たようなことを言っていた。 蛭子能収「幸せな姿は他人に見せない方が良い」 http://blog.livedoor.jp/ogenre/archives/1774228.html 「ようするに、幸せな家庭というのを人に見せたくないんですよ」 「みんな家庭が仲良くしたりするじゃないですか」 「必ず不幸な人があっちこっちにいて、そういう家庭を見たら絶対恨んでるはずなんですよ」 「子供を可愛がったり、いい洋服を着せたり、それを傍からジーっと見てる人がいるんです」 舞さんの言葉を借りるなら、 「人間なら誰しも、あらゆる要素を持ち合わせているのですよ。」 「幸せというのは、祝福と嫉妬を呼び起こすものなんです。そして、他人の幸せを受け止めて祝福してくれる友人なんてのは、そうそう居ないものですよ。」 「人のことを祝福できるようになるには、まずは自分のことをちゃんと出来て、整っている状態でないと。……どうしても、イイナァ、とか、アノヤロウ、みたいな感情は生まれるものでしょうよ。そういう感情はきれいなものではないですけれど、だからといって否定していいものでもないんです」 「そして私は、『イイナァ、とか、アノヤロウ、』っていう感情を抱いて居る、そんな状況にある人相手に、無神経に自分の幸せを自慢するような様**≪さま≫は、とても醜いもの**だと思います。」 「けーとくん、呪いってのは、本当にあるんですよ。遠回りに人の不幸を呼び起こすような誰かしらかの思想は、遠く隔てられていても届きうるものなのですよ。……まぁ、穴2つ、ですが。」 「だから、自分が幸せだってことは、受け止められる相手を本当に選んで話さなくては。」 「奪われますよ」 ……、舞さんは本当にジャパニーズサイコホラーの語り部みたいな話し方をするw

2015年7月11日 · 1 分 · 16 文字 · Keito Fukushima

最近考えていたこと

最近ウルトラ意識低かった反動 + 家庭教師中あまりに手持ち無沙汰だったので頭を回してた からなのか分からないけれど、ちょっと最近考えてた、わりと観念的なことがまとまったので言語化しよう 「しあわせだ今オレという主張はしない方がイイ」 「思想より行動の方が強い」 「二番煎じの方が出来がいい」 「時間軸をして考えれば個は無くなる」 「思想のコピーというか継承というかその辺」 それぞれがクドいくらい長くなったので分割することにした。 ハイパーリンクで。

2015年7月11日 · 1 分 · 11 文字 · Keito Fukushima

感情の終着点は、おそらく感謝や祈り

これは実感として漠然と持ち合わせている感覚。 そしてとても大事な感覚だと思う。 奥義だ奥義。 逆境も何もかも、俺に関わった全てに感謝の念を、こぼれ出るように抱けるようになれば、 俺はそれは日下部麻子のいう「あたしはやっと、死ぬことを許されたんだ」 という境地に至ることができるのではないか、と思うんだ。 色んな感情がある。 昔、ガキだった俺は生意気に、 「そうだねぇ舞さん、俺は死ぬのならば、どうせならば、この世界で味わい得る感情を、全部得てから死にたいなぁと思うよ」 とのたまった。だからこそ俺は物語が好きになった。いや逆かもしれない。物語が好きだから、感情の輝きに魅せられたのかも知れない。 本当に今思い返しても生意気なセリフ極まりないと思うけれど、俺はこれ今でも本心だな φ ああ、色んな感情の終着点は、やっぱり感謝と祈りなんじゃあねぇかな、 そこに辿りつけなかったら、俺は未熟だったのかな、と思う。 ヤン・ウェンリーの最後も、「ごめん」か「ありがとう」だっただろう、と。ああ、やっぱ綺麗なんだよ、この感情。 あらゆる全部の感情の終着点。 好きな人が自分のものにならなかったとしても、 たとえ自分のものにならないのなら、いっそ殺してしまおうか、と そんな風に考えるほど狂おしいくらいその人のことを好きだったとしても、 そんな感情も、10年経つと唯々その人の幸せを祈る感情になった 俺がもう後人生で何回あれほどの鮮烈な感情を持つことが出来るのか分からないけれど、 俺は幸せだったのだろうと、心底思う

2015年7月11日 · 1 分 · 22 文字 · Keito Fukushima

Webは時間を表現しようと画策している

タイトルだけ、去年の3月にノートに残してあった。 久々にデジタル文献の整理に時間を割きたくなったので、これに文言を足してみる。 Webは時間を表現しようと画策している。 なんとなくそんなことを感じる。 そういう進化を辿っている?? どこへ行き着くのだろう? インターネットの情報の蓄積は、20年そこいらだ。 一線を超えたら、データとしてこれ以上のものが本当に無くなるのではないだろうか。 いや、キュレートする存在はどうあがいても人間で居続けるのだろうが、(I/Oの判断とモノを活かす回路がそんじょそこいらで成立しうるとは、俺は思わない。PCの本質は”とても愚かしい単純作業を爆速で”というところを抜けることはやはり難しいのではなかろうか) 抽象度は増すのだろうか? それとも類推に関するアルゴリズムが進化をとげるのであろうか?? ちょっと分からないが、データの蓄積には価値が有るように感じる。 そのデータを任意に、すぐに活かすことの出来るレイアウトで表に引きずり出すことは可能になる気もする。 VRかARか。データを現実にModifyする 時間軸方向の蓄積が、そのタイミングにおける、確からしい回答を可能とする。 そういった方向の進化を、俺は遂げているのではないだろうかと思う。 文字データは貴重だ。 考えが足りないな。もう少し未来が見えてから練ろう

2015年6月19日 · 1 分 · 18 文字 · Keito Fukushima

河合隼雄『「日本人」という病』

『日本は完全に精神的に負けたのだ、欧米人の持っている合理主義に負けたのだ』 『自然科学で自分の人生全部を考えようとすることは、科学信仰になってしまう、』 『合理精神だけではなく、人間の持つ非合理性とか、人間の心の不可思議さを考慮に入れなければダメだと思った』 『日本人病は治らない。私の仕事は病を深めること』 『外野がモノを言うのは簡単。複雑に絡み合っている中身を見なくて済むから。基本的に物事を変えることはとてもむずかしい。外野はかっこいいことがイエルしかけるけれども、ほとんど実際的には意味が無い場合が多い』 日本人のいいところと悪いところはセット、 例えば、狂犬病の調査のために税関に救助犬を1週間とどめてしまうとか、 政府が被災地に飛ぶのが遅いとか、 緊急時の対応と、平素での管理と、そういうのは違う素質な気がする。 指導者には2タイプあって(便宜上ね?)緊急時に輝くのと、平静時にルーチンをこなせる人間と。 その2つを併せ持つ人間は少ない気がするなぁ、 俺は自覚的には前者だなぁ 前例があると判断しやすい、言い訳しやすい、 決断が遅い、周りとの兼ね合いを考える。 前例があると、そういう兼ね合いをおもいっきりぶち壊せる あとは人柄的な要素も在るか。 見ず知らずのヒトに喋っても、意味が無い。心が治まるはずがない この人になら言える、というヒトに喋ってこそ意味があるのであって相手を選んで話さなくてはならない 『雨月物語』菊花の契 欧米人はレターを大事にする(音信?) 『友達になったからといって手紙を出すわけではないけれど、決してあなたのことを忘れないから。 手紙を出さなくとも、一度イエスと言ったら絶対にイエスなんだ、ということをよくいっておく』 『エロスは動物全体に在る感情だからやっぱ強い、合一したいという押し付けとの間に友情が入ってきて、(中略)友情というものはおもしろいもので、色々なところに入ってくるし、入ってこなかったらおもしろくないのです』 一体感がベースにあってそれが内なる異性との一体感に置き換わるのです それが外にいる異性との一体化、すなわち結婚によってなされるということで結婚は象徴的にハッピーエンディングになるのです どちらか一方から見ると言うのはよくない 1つの理論というか1つの見方だけで簡単に結論を出さないことが大事じゃないかと思います 今の学生さんはどうか知りませんが 確かに我々日本人は少し年齢が上になってくると、自分が何をしたいのかよりも、人がどう思っているかをすごく気にしてしまう。 確かに、アメリカ人はみんながどうしているかということではなく、私はこうすると、個人の欲望とか意思を明確にする。そういうものを大事にする。しかし、個人の意思において、みんなで同じことをしているじゃないか 何かに対して1つの意見がポピュラーになると、どこへ行ってもみんな同じようなことをいいます。 そういう風に分けることによって人間の意識というものが明確になってくるのです。 分けるの反対は融合する? 汝自身を知れというのは非常に大切なことだと思いますが、汝自身を知るにはどうしたらよろしいでしょうか 芸術家というのは融合の世界にありながら、たとえば薔薇そのものを一つの絵として、一つの完全なイメージとして分ける世界に表現することができるということです。最後は耐えられなかったのだと思いますよ。自分が見るものに 融合、言語化?? 三島由紀夫はなんで自害したの?? 大きい石や岩が神なのではなく、そいつを見た時に感じる感覚全てが神なのだと 全体的なものを神と感じる ユング 「慎重かつ良心的に観察すること」 日本人は宗教性というのが現実生活と混ざっている われわれは「自然科学の知」と「神話の知」の両方を持たないといけないのではないか そうでないと「私」という存在は消え失せてしまうのです。 河合隼雄の人生読本 鷲田小弥太 現代思想

2015年6月19日 · 1 分 · 47 文字 · Keito Fukushima

ダンジョンヘリクス (世界)初プレイ

我らが同期の、友人2人のサークル(WYゲームズ:http://wy-games.com/)の記念すべきデビュー作。ダンジョン ヘリクスを発起人の指導の下遊んだら、案の定(笑)とてもおもしろかったので布教活動ですぜ。広く出回ると嬉しいそうなので、そこのアナタもぜひダンジョンに出会いを求めてみましょう。ええ。倒れたって恥ずかしくは無いのです。メタな話ですがこのゲームでは−2 点でレスキューされます。 ゲーム概要:http://gakuseibg.blog.fc2.com/blog-entry-17.html ゲーム詳細:http://gakuseibg.blog.fc2.com/blog-entry-19.html 購入ページ:http://wy-games.com/shop/ そう。俺が一般顧客層の“世界初” プレイヤーだ!w フッフッフ 役得役得。アーッハッハッハ φ 非常に良く練られたゲームバランスと芸の細やかさを感じた。この辺は発起人のテーブルゲームに対する造詣の深さが自然と伺える。本当に丁寧に作られてると思います。 どんなゲームなのか、というのは上記の公式の文に投げますが(気になったら見てね!)、以下に俺が個人的に「これはいい!!」と手を叩いてwktkしたポイントです。 ・1〜4人プレイが可能 「1人で遊べるの!?」「うん、相方がメッチャ1人プレイのゲームバランスとか天才的に調整してくれた」「……ああw そういうのホント天才的に上手そうだな!w」 対戦人数1〜4人それぞれでゲーム性が変わる。今回俺は友人と2人で1回やっただけだけれど、プレイヤーの個性と、適度な運の要素と、読みと……といった、まぁいわば Intellectual Battleの要素が絶妙なバランスで磨き上げられていて、初プレイながら本当にワクワクした! ・サイズ感とかUIとか 写真(ボールペンとの比較)から分かる通り、非常にコンパクトで取り回しがいい。(装丁も豪華)実物を見る機会、プレイする機会があれば判ると思うんだけれど、カードのあらゆるところに、カユイところに手が届くような。非常に心にくい、快適にプレイするための工夫と気遣いに満ち溢れている。 例えば、数字カードと矢印とで表される『現在のライフポイント』やら、カードの裏の色を合わせれば自動的に山札が組み上がる仕組みやら、端から端までプレイヤーの遊びやすさが追求してある様に感じた。 プレイ時間も素晴らしい。約45分。熱中してしまう ・ダンジョン探索のワクワク感 このゲームの醍醐味かも知れない。Helix(らせん)の語が表す通り、まるで段々と自分のレベルを上げながら、強いモンスターとお宝の眠るダンジョン深層にグルグル、ぐるぐるとパーティーで潜っていく、冒険心をくすぐる感覚は素晴らしい錯覚だと思う。 それでいて相手を器用に蹴飛ばすことも必要だったりと、奥が深い。 ・研究室プレイ 1名誉点あたり200円、勝者総取り、とかだとプレイスタイルに妥協が無くなって面白いと思う いや、みんな、賭け事はいけませんよぉーう? ・総評 いやぁ、友情意見とか抜きで、胸張ってオススメ出来るゲームさね。広く、いろんな人にプレイして欲しいものです。興味を持ったらお気軽に購入ページ:http://wy-games.com/shop/ までどうぞ。回し者ではありませんが布教活動。イイものはイイのです。 数量限定生産品(100個)だから、売り切れてしまったら手に入らないYO!(俺は研究室用と家用とで2個買わせて頂きましたとも)そしてこの内容このクオリティこの値段なら俺はお買い得極まりないと思う。 ええ。そしてちなみに初回プレイで俺が勝ちましたともさ!!w さすが俺。

2015年6月5日 · 1 分 · 35 文字 · Keito Fukushima

アナログさとデジタルさ

第0稿〜第1稿までは、間違いなく紙とペンがいい。 もしかしたら、マインドマップとか、Scrivenerとかは代用ツールになりえるのかもしれない。 まぁ保留。Scrivenerについてはもっと読んでもいいなぁ

2015年4月25日 · 1 分 · 3 文字 · Keito Fukushima