秒速

https://amzn.asia/d/7UABYlW 漫画版が好き。 特に好きな一節があるのでメモ いつかずっと先に どこかで偶然に君に会ったとしても 恥ずかしくないような人間になっていたい 退職するから合わせる顔がないって 一因でしかないんだ 前に進むっていう強迫観念だって…… 他の人を好きになることも 敗北だと思ってた かつては持っていた真剣な思い 切実な…誠実な想い その想いを保てなかったことが 自分がずっと許せなかった 許せないまま見ないふりして 流されて…… なんなの? 真剣な思いって 現実にまた会えるとか 彼女が待ってるとか そんなことは思ってない でも それでも 他の誰かと未来を誓うなんて 幸せになって欲しいという願いとか、思いやりとか、 自分はこうありたい、という誓いとか、プライドとか 愛着が未練に変わって、それをどのように捉えていいのか判らずに居る 判らなかった感覚が、裏切ってしまった彼女との関係の終わり間際に言語化されて、露呈する その本当にギリギリの感情が凄く美しく描かれていて、堪らないんだ あらゆる感情の行き着く先は、感謝と祈りなのではないか、と思っている そこに至る前の、ミザリーな感情。 でも、そこを通らずに祈りに昇華されることはないんだ

2023年9月29日 · 1 分 · 33 文字 · Keito Fukushima

整理すること、捨てること、受け取らないこと

いいと思ったものは、よく考えてつくってある。 整理というのは、考えた上でのみ可能なことである。 忙しいのは、整理ができていないから。 整理ができていないのは、考えが足りないから。 考えが足りないのは、考えることに時間を割いていないから。 知るべきことを、知ることが出来ていないから。 考えるべきことを、考え尽くしていないから。 それは即ち、怠慢である。 頭を使って、心を尽くして、丁寧に生きていないからである。 丁寧に生きるのだ。 丁寧に生きなさい ――字がきたないのと、丁寧に書かないのは違うのです。わかりますか? 意識の有無、意志の強度。 漫然と生きる生に価値はない。 なぞるように、丁寧に。 死の淵で後悔しない様に。

2018年6月16日 · 1 分 · 16 文字 · Keito Fukushima

安心感って最強だと思うんですよ。

最近芸風を模索してるのだけれど、 自分の手のひらを見ながら、 『どんな風な感じで人に接したいかなぁ〜』 と考えた時に、 「安心感的なものを与えられる人種でありたいなぁ……」としみじみと思った。 「アナタはそのままでいいんですよ。」 と言ってあげられる感じがいい。 オレは、そうなりたい。 ……それだけで救われることは、とても多い。 ひとりで色んなことをやることに、最近限界を感じつつある。 今の自分が割と尖っている印象があって、(これは若いうちだから許されるもので)最近、「なんかそろそろ違うフォルムになりたい」と思うようになって来た。 このまま尖っていても、要らん軋轢を引き寄せるなぁ……と。(そんなのは望むべくもない) 苛烈さは自分に求めるものであって、他人に求めるものでは無い。無意識にあってでも、意識的にであってでも。 そういうことは、きっととてもよくない循環を招く。 精神的にも、そろそろ次のステップに移る時だと感じていて、じゃあどうなりたいですか? と問われた時に、 「意外と自分、何も出来ないから、 相手の話を聞いて、 相手のことを見て、 浅く笑って微笑んで。 『それで いいんだ』 と肯定してあげられる人間で在りたい」 そう思う。 そういう安心感。 今の相手を踏まえた上で、それを一旦「これでいいのだ」と受け止め切る感覚。 一旦受け止め切る。その上で、それを尊重して対話をはじめる。 これは幼い頃の憧憬として、「あなたはそのままでいいんですよ」と受け入れてもらった自分が居て。 その言葉ひとつに、心の底から救われた気がして、その言葉を支えにがんばり続けることが出来た自分が居たからで、 今でもずっと、「ああいう風に、つらい感情を抱えている人に、心を解きほぐすようなことを言ってあげられる人間になりたい」と思い続けている自分が居るのだ。……そういうところを起点にした考えだ。 あの言葉があったから、俺は頑張って来れたのだと思う。後ろがどうであれ、始点はそこなのだ。 そこを一回、踏んでいるのだ。 自分の考えを話すにしても何にしても、相手の歯車のカタチを知ることが不可欠で、 相手の歯車に、自分の歯車を合わせに行く感覚がたまらなく大事だと、思うようになった。 これはよくある一般論では無くて、『防御はセンスでなんとかなるけれど、攻めは努力して素振りを続けた上で体得するしか無い』という言葉の肌感覚に近い。だから、尖って居た期間があるのと無いのとでは深みが変わる話だと思っていて、 つまり最初から相手に合わせに行ったところで、こちらに対処するだけのスキルが無い状態であれば、受け止めることは出来ないと思う。 先の先を取る練習をした上でしか、後の先を取る技を練習してはいけない感覚。 フォルムを変えようと思った起点としては、「部下が出来たとして」 ということを考えたときに、 「今の俺は、部下を持つに足る器ではないなぁ」 と思ったところにある。 新入社員だから許されてきた領域から、一歩踏み出しはじめているのだろう。 この辺りの感覚について、考えはじめたのは、暗殺教室だと思う。 「目の前の人をちゃんと見て」 「対等な人間として尊敬し」 「一部分の弱さだけで人を判断しない」 「…私は彼女から、そういう教師の基礎を学びました」 「ただ真っ直ぐこちらを向いて」 「今日も彼女は平和に笑う」 「そうか、『見る』というのはこういうことか」 「誰にも正体を見せなかった私は、『見られる』事が嬉しい事だと初めて知った」 この感覚が、自分の中にまだ無いな、と思ったことが始点だったのだと思う。

2017年8月31日 · 1 分 · 52 文字 · Keito Fukushima

Rewrite Terra ラストシーンより

(朱音との最後の会話。朱音を見送りながら) こんな状況でも平然としてまぁ ……もう、時間が無い……か。 (丘へ) 篝、おまえに会いたいよ。 (そもそも、なんで俺はアイツに、こんなに会いたいのかな) (瑚太郎の記憶・枝世界の残滓) ああ、そうか、ずっと……追いかけていたんだ。 篝……? ありがとう、良い記憶でした、この上なく。 間に……合ったのか……? いいえ、残念ですが。 あと少し早くこの世界を見ることが出来ていれば。 そう思わずにはいられません。 そう……か…… (手を差し伸べて) 恥じることはありません、 一つの個体として、あなたはよくやった方です。 胸を張って、最後の仕事をして果たしなさい。 さあ…… 篝ぃ…… う、あぁ、、 もっと早くこうしてくれてよかった ずっと篝に導かれてきた。 でもそれじゃあ、いつまで経っても俺たちは…… だからこれは俺の意思で……決めて!! でも……でもさぁ! 何人も殺してきた! 信頼も愛情も裏切ってここまで来た! 世界に希望を残した! なのに!! その挙げ句に俺は終わる!! いいのです。これは、祝福なのだから 祝福なものか!! こんなものはただの呪いだ!! 俺を……苦しめるための…… 未来を切り開くための力と意思 たとえ母なる星を食い潰してでも、 あなたたちは拡がっていかねばならない ……それが、良い記憶。 私の導き無しに――よくがんばりました。 これで、良かったのか? 可能性は残されました。 そうか、俺はただ、あんたが気に入っていただけなのにな。 気に入っていた? 好きってことだ 気づきませんでした。 あんた、鈍感だからな 報われない想いなど、虚しいだけのはず それでもいいんだ ……ばかですね、個体のくせに…… ……そうさ、俺の恋は、これでいい

2017年3月28日 · 1 分 · 52 文字 · Keito Fukushima

書いて考えることでしか、俺は他人に追いつけない

読んで、書いて、考えて。 俺はこの手順を母と氷上に貰った。 読むことは母から。書くことは氷上から。 最初から上手くやれる方ではない。 0〜1は誰よりフツーに下手だと思う。 皆誤解をするが、最初はフツーに素人なんだ。 ずっと1つのやり方を続けられる人間ではなかった。 書いて、考えて、読んで。このループでしか俺は強くなれない。 制限がないこの方法で、直前の俺と対話し続ける以外に、俺に手段は無かった。 非常に使い勝手と応用の効く手段ではあったが、最初から上手く出来る人間では、断じて無いのだ

2017年3月4日 · 1 分 · 10 文字 · Keito Fukushima

クロスの世界の端っこ

昔ネット上で一瞬だけみとせのりこさんと絡んだことがあって、 その時に彼の方が仰って下さった言葉の一節に、 「今を呪う気持ちと、未来を望む気持ちは、同質のものだと思うのです」 という言葉を頂いて、以来ふとした時に思い返す。 その2つが、表裏一体のものであると、一体誰が気がつくのだろう。 誰が今を呪っている時に、本当は未来を望んでいるのだと気がつけよう? とても美しい言葉だと思う。珠玉。 しかしどこか悲しい言葉だね。

2016年12月9日 · 1 分 · 8 文字 · Keito Fukushima

遊び

それは外へ外へと理解を求める行為なのかも知れない。 子供の頃から、特に、中学を除いた部分では、俺のやっていることは根本的に変わっていない気がする。 トリックオアトリートだ。 身の丈が大きくなった分、その分動ける範囲が変わっただけで、俺は常にあまりやっていることが変わらない。 遊びは難しい。 白川静先生が、「神はひとりで遊べるけれど、人間は神なしでは遊べない」 「お祭というのは、神様と人間が一緒になって遊ぶ儀式」 「神は一人でも遊べる。しかし、楽しくない。だから人と遊ぶ」 「襟を正す。本質は神からの恩寵」 俺の好きな遊びは、身持ちを崩すといったことではなくて、在り方として遊ぶ、といったことが理想だ。 会社に入って、この辺が伝わる人間が減ったのと、ここに価値を見出したことが無さそうな人間が多くて、 少し脱力気味に笑ってしまう。 なんだか浅いな、と。 生きている、理由が違うのだ

2016年10月6日 · 1 分 · 14 文字 · Keito Fukushima

あの人ならなんて言うかな

好きな人を前に、胸を張る感覚。 襟元を正すと言うか、端的には、カッコつけたい感じ。 随分長いこと、これを真ん中に据えて生きていた。 φ 今は?? と自問すると、 「その感覚は薄くなったなぁ」 と思う。 (心を砕くほど好きになれる人なんて、世の中にそんなに居ないよ) でも、たまに「あの人ならなんて言うかな?」 「今の俺を見て、笑ってくれるだろうか」 みたいなことを、今でも俺は、ふと思う、 そして、なにか懐かしい人と会った気になる。 俺の行動、言動、思想の端々に、あの人の残滓のようなものがあって、 「ああ、また会ったねw」と苦笑いしてしまう。 『愛の究極系は、相手の息遣いを自分の癖や生活に刻むことだ』という一節を、俺は昔読んだ。 とても深く、美しく、しかし同時に、とてもいじましい感慨を覚える。 関西に10年住んだけれど、俺が関西弁に染まらなかった理由は、俺は幾つか考えていて、 「関西弁に対する忌避感」 (バリ〜 とか、パチこく とか、そういう言い回しを好きになれなかった) 「住んだ地域の関西弁が、なんだか中途半端だった」 (神戸以西、尼崎以東なら染まっていたかも知れない) 上2つも大きいと思うが、一番大きいのは、 「頭の中で、咀嚼を続けた言葉が、舞さんの言葉で、 それと同じレベルの言葉に、関西弁っていうガワがついた状態で、あんまり出会わなかった」 という点だと思ってる。 言葉や口癖というのは、伝染するものだと思うんだ。 気に入った言葉や、好きな人の口癖は、やっぱり自分でも言うものでしょう?? 現に、心から尊敬するひとに旅行に連れて行ってもらった後、俺もしばらく関西弁になったんだ。 関西弁で考えていた、というか。 言葉というものは、そうやって確立されていくもんなんじゃないか、と思う。 「夢で会えたら」と。 おもひつつぬればや人のみえつらん ゆめとしりせばさめざらましを 少し離れるけれど、他人を想い、焦がれ、求める気持ちなんて、これくらい身勝手なものだよなw

2016年9月23日 · 1 分 · 37 文字 · Keito Fukushima

魂という概念が嫌いだった

※ ガキの頃の話 「最近、魂ってなんだろう、って考えるんだ」 舞さんは浅く微笑み、小首を傾げて続きを促す。……俺はあの人のそういう所作が好きだった。 「魂ってのを考え始めると、俺の人生が、なんだか俺のものじゃない、みたいな気分になる」 「昔生きていた、誰かのものなんじゃないか、みたいに思えちゃうんだ」 「生まれ変わりとかを信じて、今生きている自分の目の前にある、いやなことに立ち向かわないのは甘えだと思う」 「魂って考えは、どこか、今生きている俺の生《せい》に対する冒涜の様なものを感じるんだ」 舞さんは、確か否定も肯定もしなかった。 なんて言ってたか、詳しくは思い出せない。 その通りですね、といたわるように微笑んでたのは覚えているし、でも、 「魂って考えは、どこか救いがあると思うんですよね」 こう言って笑っていたことも覚えている。 この年齢になって、社会に出ても、やっぱり俺は、魂という概念。 昔の俺の言う、「生まれ変わりとか」は甘えだと思う。 けど、同時に救いというのも、少し分かるのだ。

2016年9月23日 · 1 分 · 16 文字 · Keito Fukushima

常識は一定ではない

今週のジャンプの、ワールドトリガーの会話がスゲェ琴線に触れた。 常識というのは、存外儚いモノだ、とオレは思っている。 常識には転換点があり、それはとても緩やかに――しかし、後から考えてみると自明極まりなく思えるように――転換する。 幕府が最高権力で、逆らうことも出来なかった時代 → 維新 日本は後進国だ → 日露戦争 太平洋戦争 → 敗戦 土地神話 → バブル崩壊 ITバブル → 飽和 全てが「そりゃあそうだわな」と思えることだ。 常識は古くなる。更新される。 それは時代のトレンドやら、技術の進歩。プロダクトによる生活の改変と、価値観の改変。(改質?) 故・河合隼雄 先生が心理学に思いっ切り取り組んだのは、「太平洋戦争 → 敗戦」で変わった常識に、折り合いを付けたいがため、というのと、もう一つ。「太平洋戦争で歪んじゃったけど、本来の日本人ってのは、なんだっけ?」みたいな部分だと思う。(本人もそう述懐していたように思う) 「昨日まで『鬼畜米英!』『いざとなったら竹ヤリで特攻しろ』なんて言ってた政府が、今日になったら米国に媚びへつらうわけですよ」と。 忘れてはいけない。常識は変わるものだ。 変わる常識を読み、捉え、踏まえた上で強く在らねば、オレは自分を許せない。 胸を張ることが出来ないんだ。 世間は往々にして正しいが、基本的にはどこかしらかにおいて衆愚だ。 個として自分の足でしっかり立ち、自分の腕で世間を渡り、自分の手は価値を生み出すことが出来るんだ、という自負を持って生きるのだ。 今のオレにとって、強いカタチは、とにかくここにいったん行き着くことだ。 強く在れ 強く在れ 強く在れ。 「――戦うと、そう決めたのであれば、全身全霊で戦いなさい。一瞬も、一秒も気を抜かず、どんな手段を用いてでも、どんな汚い方法を使っても、勝利という一点に向かって貪欲に食らいつきなさい。まだ立てるのならば、まだ指が動くのならば、まだ牙が折れていないのであれば、立ちなさい。立ちなさい。立って、立って、斬りなさい。生きている限り、戦いなさい。戦え、戦え、戦え!」(リゼロ ヴィルヘルム=トリアス(ヴァン=アストレア)) 実習中、リゼロを(とりあえず第三章まで)読み終わった。 いい作品だ。本当にいい作品だ。なんていい文章を書くんだろう、この作者は。

2016年5月25日 · 1 分 · 39 文字 · Keito Fukushima