青春の終わり
今年で30になる 世の中によく言われる、「衰え」みたいなものは、まだ正直分からない。 30くらいからガクッと来るよ、みたいなことをよく聞くんだけど、体力的に不足を感じたことが人生であまりないのと、過去の自分に幻想を持たない性質の人間だから、感覚としてはまだ「衰え」というのは分からない。 どこかで急に落ち込むのか、緩やかに下っていてある時を境に自覚する頻度が増えるのか。 どちらにせよ備えはしておこうと思う。 衰えの感覚とは似て非なるものかもしれないけれど、 イブカの結婚式に向かう支度をしている時になんとなく、「あ、これが俺の青春の終わりなんだな」と思った。 今日終わるんだな、と。 熱中している時に、ふと冷静になる。我に返る感覚。 自分の中の熱と、外の冷気の温度の差を自覚して、心地よい理性を自覚する感覚。 荷物を詰めながら、そんな感覚を得ていた。 青春とは何だろうか。 「時間は売るほどあるが、金がない時代」 「攻撃表示で押し通すことが許される時代」 なんとなくこんな感じのイメージを持っていた。 若い年齢に対して、青という色の時があてられている理由について、大学の時の熱力学の講義の教授の雑談が印象に残っている。 「青い炎のほうが温度が高い」 「未熟な青」 なんとなく納得できるものであろう 結構な頻度で友人の結婚式には呼ばれて出席していたんだけど、今日のこの日に、強く青春の終わりを自覚したのは、 無限に自分のために時間を割いてくれて、いつも一緒に遊んでくれていたツレが結婚して、 物事の優先順位が明らかに変動することで、 俺の中の一部が不可逆に失われた感覚を、強く自覚したからだと思う。 吹田のカリヤの家に泊まりに行く道中とか、 シンヤの家で週に一回名作アニメをイッキ見したりとか、 昼休みに部室でスマブラをやったりとか、 道中がひたすらに長い旅で無限にギャグをやったりとか、 そういう、過去の何にも代えがたい、再現不可能な記憶が思い起こされて、 きっともう、同じことをすることは二度と無いのだろう。 当然なのだけれど、強く確信した。 形を変えて続くけれど、同じ形はもうあり得ないんだな、と。 寂しく思いながら、大事に手放すことが、多分できたと思う。 次に進もう、前に行こう。 次の大切を、ゆっくりと集めよう。 俺にもまた、自分の中のすべての感情を捧げられる相手が見つかるだろうか。 見つかるといいな。見つけなければ。 今日はよく、自分の手を見る一日だった。 この手が生み出せるものと、一緒に生きる。 20の時に俺はそう決めた。 次は何に手を伸ばそうか。 何が欲しいのか。 何を自覚するのか。 きっと疲れるけれど、それを確認してゆく道筋は、 きっと楽しい。 いい青春だった。もう二度と無い。 二度は無い。 愛すべき憧憬。 みんな、ありがとう。