姓名判断

基本性格 あなたは、これからどんどん年をとっていっても、ずっと子供のような無邪気で純粋なキモチをもち続けるでしょう。 ものごとを複雑にとらえることなく、常にシンプル。なにかと影響を受けやすいかも。 あなたは、環境や人付き合いによってどんな風にでも変わってしまう人です。 威張ったりしない限りは、純粋さから人が自然に集まってきます。 情緒不安定なところもあり、自分でどうしていいかわからないことがあると思いますが、そんなときは信頼できる人に相談するといいでしょう。 あなたは口うるさく言われるのがなによりも苦手。でも、信頼する人、尊敬する人の意見はとても素直に受け入れますよね。 仕事なども丁寧に順序良くこなしていき、余計なこと、輪を乱すことはしません。職場の体質にもっとも染まりやすいのも特徴です。 あなたが経営者である場合には自然とまわりが協力してくれることが多いようです。また、高級品でも日用品でも安く提供しようという、薄利多売の発想になりがちなところもあります。 恋愛においては受身なところがあり、押しに弱いようです。 気難しいのを嫌いますから、明るく楽しくいられる人を選んでいくでしょう。 けっして自分ひとりではなく、方向性を正しく示してくれる人との出会いが必要といえます。 あなたの一番の持ち味は、無邪気なかわいらしさで、人を魅了することでしょう。変に難しく、無理に振舞ってはいけません。 主な特徴 ●いつまでもかわいい ●永遠の少年・少女 ●単純 ●難しいことが面倒 ●影響されやすい ●他人に警戒心与えない ●変なところで意地張る ●陽気になるとはしゃぐ ●目上には逆らわない ●当たり前のことを言う ●物事をシンプルに解釈 ●崇拝する人の意見はスルリと受け入れる ●相手の考えを無理やり変えようとしない ●情緒不安定になりがち ●訳のわからない理論は通用しない 本来のあなたの持ち味は、他人が忘れかけているような、人として大切なものを思い出させてあげること。 あなたの発想には難しさがなく、いつでもシンプルなのです。 無理な振舞いをする必要はありません。素直さ・誠実さを大切に。 この男性の本性 0オトコといえば「永遠の少年」。子供のまま大人になってしまったような人です。子供っぽい自分と、大人であるべき自分という二面性を持っています。おだてると簡単に木に登ってしまいますが、言葉でまくしたてたり追い込んでしまうと爆発してしまうでしょう。当たり前のことしか言わないのも特徴です。 この男性の落とし方 受け身ゆえに、女性のほうからキッカケを作り、押さないと進展しづらいのが0オトコ。 しっかり者を気取っていてもホントはとても甘えたがりです。 母親になったつもりで、広い心を持ってアプローチしましょう。 なにかと急かしたり選択を迫るのはNG。暗い表情や難しい話も嫌います。また、0オトコは、自分の話をしているときに口を挟まれるのが大嫌いなところもありますので、とりあえずうなずいておきましょう。

2015年10月8日 · 1 分 · 39 文字 · Keito Fukushima

魔状に至る七伏の八卦

「人間関係の言語化は難しいと思うのですよ」 「だから、それを助けるって意味では、……占いはあってもいいと思いますよ?」 「もちろん、一喜一憂するような『弱い在り方』はいけません」 「けれど、自分のなかの、自覚できていない一面に光を照らしてくれるのが、占いだと思うのです」 「占いは、統計みたいなものです」 「これも等しく修身です」 「気に入った言葉があれば、身に刻めばいいですし、『なんだこれ、全然外れているや』と思うのであれば、すぐ忘れてしまえばいいのです。……ほら、なにも損ではないでしょう?」 「だから私、占いって結構好きなんです」 ――小3の頃。冬になり始めた日。

2015年10月2日 · 1 分 · 9 文字 · Keito Fukushima

陰陽占い④ 釵釧金と白鑞金の相性

== 相性診断結果(考胤流) == 庚戌(かのえいぬ) → 辛巳(かのとへび) [陰陽相性: ◯ ] 陰陽合体して対立・恨み合いがありませんが、相手の気持ちがよくわかりません。ケンカをしてもあとに残りません。 [日干の相性:敗財 ◯ ] 無償奉仕(なぜか与えてしまう)の関係。なぜか、この星の相手が出現すると、何かしてあげたくなってしまいます。相手もなぜかそれを快く受け取りますので、してあげて当たり前のような感覚になってしまいます。与える量は多くなく1cal分ですが、与えるほうは見返りをまったく求めないので問題がおこらないわけです。しかし、与えるほうは、事実上 1 cal分のエネルギー損失はまぬがれないので「敗財星」の名前がついています。陽干のひとは、同族敗財で夫婦の相性となります。 == 相性診断結果(考胤流) == 辛巳(かのとへび) → 庚戌(かのえいぬ) [陰陽相性: ◯ ] 陰陽合体して対立・恨み合いがありませんが、相手の気持ちがよくわかりません。ケンカをしてもあとに残りません。 [日干の相性:劫財 ◯ ] なんとなく頼ってしまう(もうける)の関係。 劫財とは財を奪うという意味です。さしずめ、コバンザメいか吸血鬼かノミのような関係です。一方的に吸い取っても相手はいやがりもしませんから、離れる必要もないわけです。この関係は敗財星と裏表の関係になり、あげる・もらうの関係となります。敗財星と同じく陰干は同系列の陽干との関係になりますので、それは同族劫財とよびます。雄と雌の関係と言ってよいかもしれません。

2015年10月2日 · 1 分 · 31 文字 · Keito Fukushima

陰陽占い③ 白鑞金

白鑞金(はくろうきん)とは白鑞(ろうそく)状の柔らかい金属の意味。錫(すず)と鉛(なまり)からなる合金(はんだ)で、主に金属と金属を接合する道具(接着剤)として使用される金属。*仕事の役割は重要だが、金属自体の価値はない。*従って、決して高価な金属ではないが重要な仕事をする金属であることから、一般的には「白鑞の如きしぶい仕事をする人」の意である。 確かにこの生命の者は自分に厳しい仕事人で、何ごともひた向きに取り組む研究家であり情熱家である。釵釧金の生命のような決して偉い人間(自尊心が強く高振る人)ではないが、燻銀(いぶしぎん)の如きしぶい職人技を見せる地味な専門家である。野口英世や伊丹十三(辛巳)あるいは小沢征爾や篠山紀信(庚辰)と言えば、その玄人(くろうと)受けする職人振りと地味な人象がお分かり頂けるものと思われる。彼等はまさに白鑞の如き仕事人と言えよう。 釵釧金の生命とは異なり、白鑞金の生命が誉め讃えられる理由はその人格にある。彼等は真の専門家であり教育者であって、世に貢献したいという純粋な動機の持ち主である所が高く評価される。同じ金性(辛と庚)の生命でも地支と生命因縁が1 8 0 °異なると、人格が正反対となって現れる。 辛巳は巳の法身期の生命であり、律儀で果敢な情熱家が法身として現れる生命で、自己の存在価値を社会に見出し、その意義を仕事に見出す人間である。また庚辰は辰の老年期の生命であり、*優れた感性と情感を備える青年が老巧な老人として現れる生命で、自己の生涯をかけても見事な作品を創作し、後世の人間に残してやりたいと願う仕事人である。*いずれの生命も老齢であり、自分のできることで世に貢献したいのであって、子供っぽい目先の欲望に囚われてはいない。 この様に分析して見ると、 6 0干支の生命因縁人格の構成に大きな影響力を持つことが良く分かる。庚戌が応身であっても寅(少年)で現れるのなら、結局寅に過ぎなく寅の人格を越えることは難しい。田中角栄(釵釧金・辛亥)も振る舞いだけは報身でも、結局少年の総理大臣に過ぎなかった。魂胆や動機が不純でも、立派な業績や優れた創作品はできるものだが、人間を知ってしまえば残念ながらその価値は半減してしまうものである。 白鑞金と対沖する納音は釵釧金(辛亥・庚戌)。**白鑞金の生命は分をわきまえ強欲を慎み適量を知るが、釵釧金の生命は限度を知らない。****前者は決して高慢にはならず自分が特別な人間だとは思ってはないが、後者は自分は偉い人間で人の上に立って当たり前、人より優秀で当たり前の人間である。また前者が厚い同情心や深い人情を備えた人間であるのに対して、後者は有名な人格破綻者(人間失格者)である。**良い創作品を作るためには全てを犠牲する釵釧金と、まず人間の完成を目指す白鑞金とでは子供と大人の違いがある。

2015年10月2日 · 1 分 · 11 文字 · Keito Fukushima

陰陽占い② かのえいぬ

== 鑑定結果(考胤流) == [命式] 年柱 月柱 日柱 時柱 ーーーーーーーーーーー 干支:辛未 乙未 庚戌 蔵干:庚 己 壬 天干通変星:敗財 正官 蔵干通変星:比肩 劫財 食神 十二運星:長生 長生 病 空亡:戌亥 辰巳 寅卯 九星:九紫 八白 九紫 [星命] 日干支:庚戌(かのえいぬ) 加減の知らない独裁犬 この星命は応身の少年期に当たる生命で、丙寅とは正反対の因縁で結ばれている。戌の仲間では二番目に若い生命体であり、軍犬の壬戌を少し賢くしたような生命である。*絶対の帝王として君臨する応身体の少年期なので「猛犬」と呼ばれるが、別に吠えて噛みつく訳ではない。*この生命は大変な能力の器を備えているものの、独断の帝王と言われる独裁者であり、人の都合や事情を一切無視して自分の都合だけで決定し、その決定に基づいて判断行動する主義なので、壬戌同様に危ない生命の1つとされている。律儀な硬骨漢で信念や覚悟の堅い野武士のような生命だが、神経が図太く情感が薄いため相手の痛みを推察し得なく、余計に独断独行が危ない生命と言える。そもそも応身とは破壊神(記憶を消去する役割)の意味であって、自分自身に嫌気がさせば簡単に自分をも殺し兼ねないものすごい生命である。いずれにしても、この生命は生きる価値や生命の尊さを感じ難い人離れした宇宙の原始生命体と言えよう。 納音:釵釧金 釵釧金(さいせんきん)とは装身具の金属の意味。釵(さい)とは簪(かんざし)、釧(せん)とは腕輪のこと。人間の付加価値を高める装飾用金属であり、単なる鉄とは異なり、それ自体に独立した意味と価値を持つ貴金属の意。そのような意味から、一般的に釵釧金とは“釵釧の如く尊い価値を持つ人"の意。 しかし、釵釧は宝物として大事に扱われるがいわゆる身を飾る装飾品であって、それ自体は食べれない金属であり絶対に不可欠な必需品ではない。美しい簪は自己の気品と美貌を高める物だが、同時に羨望や嫉妬の火種を周囲に蒔き散らす物でもある。釵釧はともすれば欲望の化身ともなり得る物で、人間社会に醜き災いをもたらす物と言える。従って価値は高いが悪影響を及ほすことから“釵釧の如く問題多き人"と言い変えた方が的を得ているかも知れない。 例えば、川端康成や太宰治(庚戌)は確かに価値は高い人間だが、読者に人生を説いておきながら自らの人生を全(まっと)うせずに自殺してしまう。善悪の両面が出るという意味だが、それは田中角栄(辛亥)にしても同じであり、業績と害悪を比較すれば業績の方が高いが、いずれにしても善と悪の両面を備えているのがこの生命の特徴と言えよう。まさに釵釧の如き問題多き生命である。 釵釧金の生命がなぜ問題多き人間なのか、その訳は地支の報身(亥)と応身(戌)に原因があって、彼等が若い生命因縁を持っていることが理由である。そもそも巨大容量を誇る報身や応身は限度を知らない生命で、激しい集中力や想像を絶する徹底さを備えた人間である。何かに夢中になったら人のことなどお構い無しに、全てを犠性にしてでもやり抜いてしまう。例えばゴルフファーならば全大会に優勝して当たり前という徹底さを示すために、権力や富を根こそぎ獲得して一人占めしてしまう。その只ならない強欲さに問題が生じて来るのである。その反面、貰えるものなら全部欲しいという人間離れした生命だから、逆に価値ある業績もまた残せるのである。 重要なことは、釵釧金の生命は全て自分のために取り組むということであって、日本国のために政治を行うのではなく、自分のために総理大臣になるということである。「簪(かんざし)は他を装飾するものに非ず」のように、自分の満足のために詩歌を詠み、自分の満足のために小説を創作するのであって、人を導くためのものでは無い。だから必ず矛盾が生じ問題が生じてくるのである。つまり動機か不純であり、醜い魂胆が物議を醸し出すのである。 釵釧金と対沖する納音は白鑞金(辛巳・庚辰)。釵釧金はそれ自体に価値のある貴金属だが、一方白鑞金は金属と金属を接合する“白鑞(はんだ)“であり、それ自体には価値のない道具として使用される地味な金属である。同じ金属だが、一体どちらに金属としての価値が在るのだろうか。 [元命] 劫財の性格 負けず嫌いで、自己顕示欲が強く、人の好き嫌いが激しく、あまり協調性はありません。金銭、名誉に貪欲で、達成するためにはどんな困難も乗り越える強い意志をもっています。ひととのかけひきが上手です。賭け事、勝負事が好きで、酒好き、女好きです。自立自営の仕事には向いていますが、ひととの共同事業にはあまり向いていません。 [大運] 男性の場合 0才から 乙未、正官、長生 0才 1ヶ月から 甲午、偏財、養 10才 1ヶ月から 癸巳、傷官、胎 20才 1ヶ月から 壬辰、食神、絶 30才 1ヶ月から 辛卯、敗財、墓 40才 1ヶ月から 庚寅、比肩、死 50才 1ヶ月から 己丑、劫財、病 60才 1ヶ月から 戊子、偏印、衰 70才 1ヶ月から 丁亥、印綬、帝旺 80才 1ヶ月から 丙戌、偏官、建禄 90才 1ヶ月から 乙酉、正官、冠帯 100才 1ヶ月から 甲申、偏財、沐浴 110才 1ヶ月から 癸未、傷官、長生 女性の場合 0才から 乙未、正官、長生 10才 2ヶ月から 丙申、偏官、沐浴 20才 2ヶ月から 丁酉、印綬、冠帯 30才 2ヶ月から 戊戌、偏印、建禄 40才 2ヶ月から 己亥、劫財、帝旺 50才 2ヶ月から 庚子、比肩、衰 60才 2ヶ月から 辛丑、敗財、病 70才 2ヶ月から 壬寅、食神、死 80才 2ヶ月から 癸卯、傷官、墓 90才 2ヶ月から 甲辰、偏財、絶 100才 2ヶ月から 乙巳、正官、胎 110才 2ヶ月から 丙午、偏官、養 120才 2ヶ月から 丁未、印綬、長生 [年運] 15才(2006) [6]丙戌、偏官、建禄 ○ 後厄 16才(2007) [7]丁亥、印綬、帝旺 17才(2008) [8]戊子、偏印、衰 18才(2009) [9]己丑、劫財、病 19才(2010) [1]庚寅、比肩、死 ● 20才(2011) [2]辛卯、敗財、墓 ● 21才(2012) [3]壬辰、食神、絶 ● 22才(2013) [4]癸巳、傷官、胎 前厄 23才(2014) [5]甲午、偏財、養 本厄 24才(2015) [6]乙未、正官、長生 後厄 25才(2016) [7]丙申、偏官、沐浴 ○ 26才(2017) [8]丁酉、印綬、冠帯 ○ 27才(2018) [9]戊戌、偏印、建禄 ○ 28才(2019) [1]己亥、劫財、帝旺 29才(2020) [2]庚子、比肩、衰 ...

2015年10月2日 · 1 分 · 164 文字 · Keito Fukushima

陰陽占い① 釵釧金

釵釧金(さいせんきん)とは装身具の金属の意味。釵(さい)とは簪(かんざし)、釧(せん)とは腕輪のこと。人間の付加価値を高める装飾用金属であり、単なる鉄とは異なり、それ自体に独立した意味と価値を持つ貴金属の意。そのような意味から、一般的に釵釧金とは**“釵釧の如く尊い価値を持つ人"の意。 しかし、釵釧は宝物として大事に扱われるが、いわゆる身を飾る装飾品であって、それ自体は食べられない金属であり絶対に不可欠な必需品ではない。美しい簪は自己の気品と美貌を高める物だが、同時に羨望や嫉妬の火種を周囲に蒔き散らす物でもある。釵釧はともすれば欲望の化身ともなり得る物で、人間社会に醜き災いをもたらす物と言える。従って価値は高いが悪影響を及ぼすことから“釵釧の如く問題多き人“と言い変えた方が的を得ているかも知れない。 例えば、川端康成や太宰治(庚戌)は確かに価値は高い人間だが、読者に人生を説いておきながら自らの人生を全(まっと)うせずに自殺してしまう。善悪の両面が出るという意味だが、それは田中角栄(辛亥)にしても同じであり、業績と害悪を比較すれば業績の方が高いが、いずれにしても善と悪の両面を備えているのがこの生命の特徴と言えよう。まさに釵釧の如き問題多き生命である。 釵釧金の生命がなぜ問題多き人間なのか、その訳は地支の報身(亥)と応身(戌)に原因があって、彼等が若い生命因縁を持っていることが理由である。そもそも巨大容量を誇る報身や応身は限度を知らない生命で、激しい集中力や想像を絶する徹底さを備えた人間である。何かに夢中になったら人のことなどお構い無しに、全てを犠性にしてでもやり抜いてしまう。例えばゴルフファーならば全大会に優勝して当たり前という徹底さを示すために、権力や富を根こそぎ獲得して一人占めしてしまう。その只ならない強欲さに問題が生じて来るのである。その反面、貰えるものなら全部欲しいという人間離れした生命だから、逆に価値ある業績もまた残せるのである。 重要なことは、釵釧金の生命は全て自分のために取り組むということであって、日本国のために政治を行うのではなく、自分のために総理大臣になるということである。「簪(かんざし)は他を装飾するものに非ず」のように、自分の満足のために詩歌を詠み、自分の満足のために小説を創作するのであって、人を導くためのものでは無い。だから必ず矛盾が生じ問題が生じてくるのである。つまり動機か不純であり、醜い魂胆が物議を醸し出すのである。 釵釧金と対沖する納音は白鑞金(辛巳・庚辰)。釵釧金はそれ自体に価値のある貴金属だが、一方白鑞金は金属と金属を接合する“白鑞(はんだ)“であり、それ自体には価値のない道具として使用される地味な金属である。同じ金属だが、一体どちらに金属としての価値が在るのだろうか。 この一群の生命は最終形が辛亥と庚戌という金性(辛と庚)のために金の一族と呼ばれる。金の共通性質を多分に保有しており、青年っぽい若い人象をしているのが特徴である。 金の生命は仏法五陰分類では受(じゅ:話せば分かる生命状態)そして五行分類では義(ぎ:約束を守る)に該当する生命段階であり、まだ一人前とは言えないが、取りあえず大人の仲間入りをした未熟な成長段階を意味する。 多感な生命で鋭い感性を備えているが、理性力に欠如するために自己の感情を上手にコントロールできないことが一番の特徴である。時に感情を爆発させたり剥き出しにする悪癖は持つものの、平素は生真面目で自己の是正にあくせくする律儀な潔癖漢である。 大人になりきれない不安定な境涯は様々な人間模様を呈示し、人気や喝采欲しさに見栄や体裁を張り、人の成功を妬んで嫌がらせをしたり、また虚勢を張って強がったり、途方もない夢想を抱いて大人物を装ったり、いかにも人間らしい多様な性質を現す生命である。他の生命と異なる所は攻撃性を持つ**ということと、自分を責めることを知らず他人のせいにする所であって、自ら災いの発端となる火種を起こす所が若いと言えよう。 自己を美化する詩人でもあるが同時に自己を正当化する詭弁家でもあって、人に受け入れられ愛されることを、あるいは喝采を浴びて称賛されること(情欲)を至上の喜びと感じる次元の低い生命でる。愛するよりも愛されたいという「親には成り切れない」生命であり、自己満足のために生きる勝手主義の生命と言える。 辛丑と庚子は金の一族ながら土の陛質も備えており、両方の基質を具有しているので注意。 **負けず嫌いで、自己顕示欲が強く、人の好き嫌いが激しく、あまり協調性はありません。**金銭、名誉に貪欲で、達成するためにはどんな困難も乗り越える強い意志をもっています。ひととのかけひきが上手です。賭け事、勝負事が好きで、酒好き、女好きです。自立自営の仕事には向いていますが、ひととの共同事業にはあまり向いていません。

2015年10月2日 · 1 分 · 13 文字 · Keito Fukushima

女性観

師匠「おんなの方が、なんというか、際限がない気がするんだよな、特に、おまえが好きなあの女は、本当にいい女なんだけれど、自己の拠り所が他者なんだよ」 「スゲェ真面目なんだけれど、他者のため、なんだよね、それは、俺はイビツだと思うけれど、俺ではどうしようもない」 「……これはとても珍しいことなんだけれど、今あの女は僕に尽くして居ないんだ。僕だけを向いてなくて、きっと出会う順番とか、生まれてくる年齢とか、出会い方が違えば、一緒にいた、ともすれば救えたとか、そんな感じの人間なんだよね、お前は。だから、あの女がどうするのか、見守りたいってのが、俺の今の感覚だなぁ」 φ 風見雄二「女って奴は簡単だが面倒だ。」 偉そうに語れるほど女を知らねぇや! φ 「お兄ちゃんは、『この人のここは絶対に無理ィ……!』ってところが無いんだよね。だから凄いと思う」 「君は自己修復機能のない欠点が無いんだ」 「アナタのその、ナンパになりきれないところ、私は好きよ」 φ 俺の中のどっかに、女の方が強いってのがある。地に足付いてて、危機に対して粘り強いのは女の気がする。生活に根ざした対応、とでも言うのか。そう。実行力かな? 俺に出来ないことをいっぱい出来る。 糸井重里さんも言っていたけれど、男女だと関係性が自然になるんだよね、曰く、「電話ボックスに一番多く人が詰まるのは、男男でも女女でもなく、男女の組み合わせ」 φ 油断すると男女間は、恋愛感情に転んでしまうと思う。 俺はその危うさみたいな感覚が、きっと好きなのかもしれない。童貞力の残滓とでも言うべくか。 「ヤレるけどヤらない。だからシマコが一番エロいね」って感覚。いや、そんな直截的なものじゃあないと信じたいけれど。俺はやっぱこの辺りの愛らしい感じ好きだなぁ ファインマンも多分、似た事を考えてたんじゃねぇかな。 それが許される人格と、許されるライン。 難しいなぁ。なんか、そんなつもりは一切無いのに、弄んでるみたいで嫌だな……(苦笑) 男女を踏まえるけれど、丁寧に扱うけれど、男女を感じさせない、みたいな朗らかな在り方に憧れるなぁ。ハヤタに昔、「もっと適当に人と付き合えよ」と言われたけれど、これは性分だと思う。それでよくしてもらったことも、やっぱ多いんだと思う。 信頼感とかもあるのかもしれねぇな。 上手く言語化できないや。まだ浅い浅い ただ、心を踏みにじるような真似だけは、絶対に。そこさえ守れば、後は大丈夫。俺は俺で居られる。

2015年9月12日 · 1 分 · 25 文字 · Keito Fukushima

金銭感覚

お金に関して俺はあまり困らない人生を送ってきたと思う。俺は俺自身が割とロクでもない割に恵まれていると思う。 これはとても幸いなことだ。なぜだろう? きっと母が聡明だったことと、父がそれをよしとしたからではないだろうか。 道を外れるのに理由はいらないが、道を外れないことには理由がある。俺の場合は、多分。……いろいろな人に助けられた。 躾は大事だ。たぶん、俺をいろんな人が助けてくれたのは、修身がそれなりに整っていたからかもしれん。目上の人に対する素直さ。 金銭感覚。過去の金言の方が尊い言葉が多い。けどまぁ今の時点での俺の感性は言語化しておこう。 変わったら変わったで尚それもよし φ 「お金で幸いを得ることは出来ないけれど不幸を遠ざけることは出来る」 ヤン・ウェンリーの親父殿の言うところの、「金があれば、嫌なやつに頭を下げなくていい」ってとこに割と近い。 ……舞さんが、お金を沢山持っていたのに、どこかしあわせそうではなかったことが、俺の中の何かを常に喚び起こすんだ。あの人は笑っていたけれどね。幸せか、という一面で考えると、自分の中の何かを人に渡すことでしか、幸せとか、甲斐、といったものを自覚出来ない人だったのかもしれない。 「カネはあるところにはある」「だからそこからそいつに損をさせないように引き出す」 俺の師匠は色々と詐欺師だった。ペテンではなく、ごまかしでもなく、相手にとって本当に価値のある最大成果を大金と引き換えに獲得して売り渡す。……まぁいわば詐欺師だった。 この氷上と対極をなす様な超然とした有様が俺には厭わしかったけれど、性質としてとても近いものを感じていた様に思う。 だからこそ、俺はあの二人にはある種家族のように取り扱ってもらったのだろう、と思う。 思想の継承とかその辺とかも込みで、どこか納得があるのはなぜだろう 「大金は幸福と不幸を一気に呼び寄せる。(秘匿せねばなるまい)」 欧米人(ユダヤ人?)が収入の1%を寄付する的な話を聞いた。厄除けなのかもしれないな、とそれを聞いて思った。 手取りの1%くらいは信頼できる団体に寄付する感覚は持ちあわせてもいいように思う。 俺はこれ、宝くじ買う、ってのでもいい気もするけどねw 自分のためだけではない、見ず知らずの誰かのために自分のリソースを割くって感覚は、余裕を持つことが出来ている証拠なのかもしれないな 「お金は寂しがり屋さんだから、仲間がたくさん居るところに集まる」 出発点が違うってとこに資本主義の不平等さはある。しかしまぁ、上手くやれば身分が関係ないってあたりにバッファがあってよろしいと思う。一線を越えた俺は実業家にならねばなるまい。お金は手段だ。目的じゃあない。 お金はお金を生む。俺が得るにはどうするか? あるところから、損をさせないように引き出す? まだ良くわからない。このへんは不退転の覚悟が決まってからにしようと思う。 お金は汚いとは思うが、俺は割りとガメツイので、穢れを纏って、しまうさね 身ぎれいに小金持ちでいたいね!! 「それなりに質素に、それなりに贅沢に」 極めると大体のことは中庸に落ち着く。ほどほどにがんばる。ダメそうなら全力で逃げる。若いうちは極論でよかろう。老いさらばえたらバランスが肝要だろう。まぁ、出るとこ出なきゃいけねぇけれど、拘りも風化するものではあろう。全てはバランス。熱力学。 φ 人生を通して、俺はどれくらい稼ぎたいのだろう? よくわからない。けれどまぁ、裕福でありたいと思う。この辺の金銭感覚に疎いのは俺これ良くないと思う。もっと具体的に考えないとな でも、そればっか考えていたくない、と思う俺が居る。 だから糸井重里さんみたいに、年に一度本気で考えて行動の方針をたてる、 (後は信頼できる人に任せっきりにしてしまう)ってなくらいでいいのかもしれない。 とりあえず、会社というのは、給料の3倍の価値を提供しないと立ちいかないらしい。(光田さんがブログで言ってた) 俺は、今まで両親にいくら使ってもらったんだろう? 母は2人分はかかってる、的なコトを言っていた。え? じゃあ6人分……?? まぁいいや。ライフプランは目の前のことを片付けながら本でも読んで考えよう。 社会に出た時に、いいモデルケースになる人が居てくれるといいのだが。 コミュニティに閉じ篭もらないためにはどうしたものか。 なにか手段でも考えておかないとなw φ 無知は罪ではないが、知らないことで被った損に後から文句を垂れる様は醜いと思う。 だから、税金やら制度やらの基礎知識を身につけて、遠目のお金をそれなりに手に入れることが肝要なのかと。 基本的な税金の話は、社会人直前くらいには体系的に頭に叩き込んでおかないとな。

2015年9月12日 · 1 分 · 48 文字 · Keito Fukushima

できること、できないこと

「なんでもできろ」が俺の行動原理だけど、(学習コストも最終的に帳尻が合うようになっている) だがしかし、生き方にそぐわないこと、精神的負担が大きいこと、は出来ないフォルダーに入る。 そろそろ。マジで。 昭和の妖怪、岸信介が、歳をとったら以下の3つのことを守れ、と言っていた。 「転ぶな、風邪引くな、義理を欠け」 義理を欠いていい年齢とか、きっとある。 俺はまだその限りではないけれど、人生は有限で、時間は浪費可能な資源だから、そろそろ男として、『ひとつごと』になにをするか、というのを考えねーといけねーな。 コスパの悪いことばかりをやっては居られんのだよ 弱きを認めることもまた強さかな できないこと 出来ないこと。あー、具体的になんだろうな? 地道さが要求されること 創意工夫が必要とされないこと 変化が無いこと 俺の利益に繋がらないこと 誰かの心を踏みにじること 未来のないこと 慈愛に満ちたこと こんなところだろうか。 できること 俺は何ができるんだろう?? 情動に聡い 臨機応変な対応 多面的な思考 他者の扇動 ………あー、 どうなりたいか。どうありたいか。 なんか、出来ることを考えることは不毛だと気がついたのでこっちにシフト。この方が建設的さね どうありたいか、うーむ。あまり出来る人間ではないのだけれど、正しい強さ、みたいなものに憧れるかもしれない。あまり出来ないんだけど。 まぁ、ちゃんと状況に適応して、上手く立ち回って、最後にちゃんと勝つ人間でありたいな。 後、勝ちを譲って、でもそれが広義の勝ち、みたいな感じの立ち位置は憧れる。 電力の鬼たる、松永安左エ門の引き際みたいな感じ。 勝たねぇと。勝って。笑わねぇと。

2015年9月12日 · 1 分 · 33 文字 · Keito Fukushima

慈善の精神

慈善 これはどうもイマイチわからない。 どうもオレは同情の心に欠けるようだ。 それはなにも、情緒に欠けるといったものではなく、(悲しい物語を読んで泣いたり、逆に笑ったり、といったことは人一倍なのだから) もっと突き詰めるのならば、他者に対する慈しみが少ないのだろう。 男なのだし、自分のことを、なによりもまず十分な状態にもっていくべきなのだ。 風見雄二の「真の防衛とは正しい状況認識と適度な危機感、そして自分の身は自分で守るという最終的な防衛意識だ。」「何かを守るためには、まずは自分を守れ。」というのが、俺の中でしっくりくる。 それまでは、慈善や慈愛は他の人に任せるよ。ああ、慈悲は担えるか 祈り 俺の中で矛盾しない言葉としては、銀子と真九郎の祈りについての話だなぁ 『ずっと昔、真九郎がまだ小学校になったばかりの頃。名前は覚えていないが、同じクラスの男の子が交通事故で入院したことがある。朝、担任の教師は出席の確認をしたあとで生徒たちにそれを報せ、「○○くんの怪我が早く治るように、みんなでお祈りをしてあげましょう」と言い、みんなで一分間ほど手を合わせて目を閉じることになった。真九郎は、一応それに従ったが、薄目を開けて周りの様子を観察し、みんなが真面目な顔でお祈りしているのを見て、なんだかバカみたいだなあ、と思った。祈ってどうにかなるくらいなら、世の中に不幸な人なんていない。僕たちがどんなにお祈りしようと、実際に頑張るのは入院している彼であり、治療するお医者さんであり、看病する家族じゃないか。神様なんかいるかどうかもわからないんだし、こんなのバカバカしい。当時の真九郎は、そう思った。お化けや幽霊なんかいないし、超能力も予言もデタラメで、UFOもウソ、と何でも否定するのがカッコイイと思い込んでいた年頃だ。入院した男の子と特に親しくもなかったという、気楽さもあっただろう。自分の考え方が大人びていると思った真九郎は、休み時間になると、さっそく銀子に話してみた。 頭を叩かれた。「……痛いよ、銀子ちゃん」 「あんた、もしあたしが大きな怪我をしても、お祈りしてくれないわけ? どうせ無駄なんだから、やなこったって」「それは……お祈りするけどさ」「バカバカしいと思いながら?」「ちゃんとやるよ」「じゃあ、みんながお祈りするのをバカにしたらダメ。わかった?」「よくわかんない」 銀子にまた頭を叩かれたが、当時の真九郎には、さっぱり理解できなかった。 多少は成長した今なら、まあわかる。真九郎自身は、神様に祈ることは八年前からやめているけれど、それでも、誰かが真剣に祈る姿をバカバカしいとは思わない。目には見えず、言葉でも説明できず、全ては心の中で行われているのに、何かに祈るという行為には、たしかに神聖さがあるような気がするからだ。 両手を握り合わせて目を閉じ、静かに祈り続ける志具原理津を見ながら、真九郎はそんなことを思った。(紅 第2巻より)』 祈りは分かる。幸せを祈りたい相手が居ることはもはやそれだけで幸せなのだと思う。 自己愛 自己愛が強い訳ではない。と、思う。人並みだと思う。だとしたらこれは独立心だろうか。どこから来るものだろう。『強く在れ』だろうか 身内に優しい むしろ甘いとまで言えるかもしれない。俺は、あまり家族と根っこのところで繋がれた自覚は無かった、その寂しさのようなものを、ずっと他で補おうとして来たように思う。 それは友人関係であったり、師弟関係であったり。もっと俺にとって尊い何かであったり。 家族に似たなにか。 俺はきっと、そういう形の関係性がとても好きなんだろう。 だから、グレイセスのアスベル達はホント俺の琴線に触れまくったんだと思う。アスベル一家。 寄付の理由 ユダヤ人は稼ぎの1%を寄付に回すように教えられる、って読んで、分かりやすくていいな、と。 足りているからとかに関係なく、心の浄財。 もうこれ、いっそ自分のためだと思う。善行を積もうが積むまいが、不幸や逆境はこの身に降りかかるはだろうけれど、1%くらいなら、まぁいいよな、と思うものな。 保険的な感覚かもしれない。まぁ、自分以外の人間のために少しだけでもリソースを割いている、っていう感覚はいいものだと思うのだ φ 人の和を無視すると、最後は手痛いしっぺ返しがくる。 慈善という概念は、俺にとっては、そんな感覚

2015年9月12日 · 1 分 · 35 文字 · Keito Fukushima