ちなみに僕は天才という言葉が嫌いだ
φ
どういう人が天才と評されるかを考えた時に、
ある集団のおおよそ1.2倍、(なにかを)上手くこなすことが出来るのならば、その人は(その集団においては少なくとも)天才と評されるようになるのではないか、
と、俺は思っている。
細かく定義したところできっと意味はないだろうし、大抵の物事というものは『時と場合による、』という超絶便利な結論が大半を占めるのだから。(今回もそういう話ではあるだろう)
1.2倍出来ることには、理由があると思う、
たとえば、それだけ多く時間を使っていたり、
たとえば、それだけ効率を意識していたり
たとえば、工夫して違うやり方を編み出していたり、
たとえば、上手くやるためにたくさんの文献で読んだ経験を活かしたり
たとえば、単純に既存の無駄を省いたり
たとえば、他人が知らないツールを使っていたり
たとえば、過去の似た経験が活きていたり、
そしてたとえば、上手くいくための考え方をしていたり。
……考え方。
φ
時間という絶対的な支配者をどう捉えるか、それこそ人によるのだろうが、僕は最近こんな風に捉えている
「平等に与えられる、浪費可能な資源」
と。
φ
ユダヤの諺だけれど、
「場所を取らない物が無いのと同じ様に、
時を持たずして生まれてくる人間も居ない」
……凄い言葉だと思う。少なくとも、俺は自分の中からこの言を生み出せる自信はない。
私事ではあるけれど、
俺は割と無駄に便利な小物が好きで、(その無駄に便利な小物というものは、後から考えるとそこそこに、無駄な物、に分類される上に、(これは趣味だが)本に関しては、その本と、本に書いてある内容が(少しだけ未来の)自分にとって必要、もしくは一読の価値アリ、と断じた瞬間に読む時間があれば際限なく買うが故、金遣いが荒い方だと自分を捉えている。(まぁ、その買ったものを無駄にしない位には使い倒している気はするのだが)
最近は部屋に物が溢れていて、場所を取らない物は無いという言葉は自戒の念を禁じ得ない(笑)
そして同時に、時間についてのユダヤの考え方に感動したのだよね。なるほど、と。
φ
時間は大事だと最近、切に感じる。
人生は後半の方がはやく過ぎ去る様に感じる理由は(答え合わせはまだだけれど)過ごした時に比例するだけの経験から、一瞬でより多くのことを感じ、考える様になって、だからこそ多くのことをしたくなるからではなかろうか。そして同時に残された刻限を(これもまた同じ様に、知識と経験から)想像出来るが故に、焦燥感と危機感に、意識の何処かで苛まれるからなのではないか、と思う。……、ああ、後、考えたことを実行するだけの体力と精神力の衰退もあるのだろう。バイタリティ大事よね……、
しかしそれは懸命に生きたからこその感覚なのかもしれないと思う。だから僕にはまだわからない。
早く感じるということにはきっと理由があるのだろう。……僕にはまだわからない。
人間は、自分にとって新しいことをしている時は、長く時を感じる、というTIPSを読んだ。(信憑性はわからない)しかし、そういうものかもしれないな、とも何処かで思う。
新しいことをするのはストレスであると同時に愉しみなのだろうな、と思う。
一生(どのような形であれ)勉強というものが続くのは、なんとなはなしに今の時点で予測がつくのだけれど、俺は「既存のものをよりよくする」エンハンスenhanceという概念がとても好きだ、愛している。……、いや、、今回関係ないな、この話は。
φ
年をとるにつれて安寧を求めるようになるのは自然なことだし、知らないこと、というのは減っていくのだろう、と俺は考えている。
まるで安寧を悪いことの様に言っている様にも捉えられるかもしれないがそんなつもりは無論、一切ない。それを得るための努力以上に尊いものはこの世界にそうそう無いと思う。僕も安定が欲しい。(そして失いたくない)
この世界で味わいうる全感情を味わってから死にたい。
それにはどうも孤独と愛が足りない。
(やっと家族の軛から一時解放されるので、存分に力を振るおうと思う。……決意は無為になることがどうも多いので考えた、程度に留めおこうと思う。(どうもそのほうが試みというものは成功しやすいようだ)
φ
これもまたユダヤの諺だけれど、
「人間は暇になったら政治を始める」
そうだ、(この言葉の意味はまだはかることが出来ていないけれど、世相を見ていると自然と納得がいくような気はする)
φ
なんだか話が逸れ過ぎているので話を戻そう。
……天才性と考え方について。
僕は、他人に感心出来る点があれば、それを自分なりのレイアウトで可能な限り真似して取り入れようとする習性がある。(高校の近しい友人にも多く見受けられた。要は;『勝手に学ぶ(パクる)』)
その行為は単純に楽しい。
φ
天才性と考え方。
友人に一人、(これは人間に対して使う言葉ではないと強く思うけれど、)「ふつうに意味がわからない」人間が居る。
……彼のことは俺は理解を半ば放棄している。きっと何処か似ているにも関わらずカバー範囲が違う。
(この感覚は大して珍しいものではないようだ。……、ただ、彼に関しては恐らくレアケースが過ぎるのだろうと思う。
まぁいい。
結論に急ごう。
φ
菊池隼太の天才性の要因は幾つかあると思うのだけれど、
一つ、とても大きな要素として、
「イメージの抽象的深さと、それを現実世界に持ち出す手法についての勘の良さ」
は大きな要因ではないだろうか
φ
後の俺にも分かるように言葉を加えておくと、
「イメージの抽象的深さ」というのは、言語化しない段階でのイメージのこと。
状況を規定した後はパフォーマーに任せて、「結果として上手くいくかどうか」のみを判断するという様な。
彼の言葉だが、
「『全てのことは想像に始まって、想像に終わる。いいか?想像出来て、出来ないことを俺に教えてくれ。
人間が飛ぶことが出来ないのは飛ぶ構造と機構と、それを動かす様子を委細、想像出来ないからだ。だからそれ(人間が外部ツールを使わずして飛ぶこと)は不可能だ。
――逆に想像が詳細にわたって可能な上で出来ないことなんてこの世に無いんだよ、』
って、俺の親父は俺に常に言っていたんだ」
「んー、全員が楽しむことが出来る状況は、俺は想像出来なかったんだよね。無人島に、あの人数で行って、何人かは確実にどうしていいか分からなくなる。
そこでお前やドヤさんみたいな人間を、あの"島"っつー空間に置くんだよ。そしたらああ、これは大丈夫だ。パースとして足りるわ、ってなったんだよ。
俺がやるべきことは、端っこでつまらなさそうにしてる奴を楽しい側に叩き込むことで、それでなんとかなりそうだったんだよね。」
「いや、イメージが湧かへん。絶望的やw」
「昔、数学者が女と付き合ってて、結婚寸前までいってフられたんだよ、あなたのことがわからないって。
そしたらその後で別の、これまたいい女が、
そうね、あなたとの結婚生活は想像出来るわ、
っていって、そのいい女と結婚することになったんだよ、
俺はドラマのそのシーンを観て、いいなぁ、って思ったんだよね」
φ
つまるところ、幼い頃から
「想像→行動→結果(答え合わせ)」ということをそれこそ無限回繰り返したハヤタは、
「凄く使いやすい」ツールとしての想像と、
なおかつその想像の範囲を
「どのレベルまで想像すれば上手くいくか」
「どのレベル以上は想像しても無駄か」
「その境界はどこにあるのか」
「実行しないとどうなるか」
「実行しない人間(他人)はどうなるか」
肌感覚で知っていったのだろう、と思う。
その感覚はちょっと一朝一夕で身につくもののようには思えないし、
説明されて即座にマネできる様なものではなかった。(どう『想像』してみても、デチューンしたものになるなぁ、と)
φ
想像に関して言葉を重ねるけれども、昔彼に一番初めに会った時に、高校時代に本をよく読んだ、という話をした。
僕も「趣味は?」と聞かれて、「読書。」と即答していいと思うくらいには読む性質なので、他人が「本を読む」と聞くと、
「ホントかよw」と疑ってかかってしまう。
……、まぁ、読書家はなんとなく言葉を交わしていれば分かるからなぁ……、
(また話が逸れた)
その時、「まぁでも、昔本読んでて奇声を発して周りに取り押さえられてからは小説は控えるようになったなぁ」
「拷問されてるシーンでね、」
という言を聞いた。うん。覚えてる。「親父もそうだ」「爺さんもそうだったって聞いたかな」
――その時は意味がわからなかったんだ。
後になって、俺の中で彼の人物像をアウェイクしていく中で、パースをつなぎ合わせると、
「ああ、そうか、アイツは痛みを錯覚するくらいまで想像してしまったのか。」
「文章力も有るのだろうな、きっと精緻な文章でドブの様な情景だったんだろう」
「彼の本のチョイスなら素晴らしい至上の作品くらいは引き当てるだろう」
「というか、そういう(同じ)買い方をしている」
「ああ、でも俺はそこまで芳≪かぐわ≫しく想像できるかな」
「……そうか、だから、ハヤタはああなのか」
と。
抽象的深さを超えたら彼はむしろ危険なのだろうな、と。漠然と思った。
越えさせてみてぇなぁ、とも思った。出来るかはわからない。(彼の琴線が俺にはわからないから。俺と奴はまだ違いすぎる)
φ
後もう一つか。
「イメージの抽象的深さと、それを現実世界に持ち出す手法についての勘の良さ」
イメージの抽象的な深さに関しては、上記でなんとなく分かってもらえたかもしれない。
もう一つ、現実世界に持ち出す手法についての勘の良さは、……まぁ奴にもムラがある気はしてて、
オレも巧く言語化出来る自信は無い。
そもそもコレはカリヤのハヤタに対する評で、
オレも漠然と納得したんだよ。
要素として上がるのは、
・そもそもの基本スペックの高さ
・行動力と実行力
・他人を巻き込むだけの意志力とカリスマ
・道理が無意味な俺ルールと絶妙な常識力
……なんかスゲェな
一番の構成要素として思い浮かぶのは、やっぱり彼の卓越した想像力かも知れない。
……、中国で逆ナンされて茶店に連行されたことがあって、その時こっちは男6人で、相手は女2人だったんだよね。
で、危機感を感じたのが、オレとハヤタの二人。
後の4人は圧倒的に楽観だった。
その時、ハヤタは逃げる算段を頭のなかで何通りも回してて、(結局女の子2人は善人で徒労に終わったけど)
オレは「“その時”が来たら全員仕留めて有り金置いて逃げればいいか」と考えていた。
そういう時の思考(シミュレーション?)が、現実寄りなんだよね。
実際に回してみて実現可能性が高いというか。
その、切れる(使える)カードの持ち札が、他人と同じ時間で、他人の10倍多く用意出来て、
尚且つ2倍はイイ札を(最終的には)切る、といった様な。
イメージ的にはゲート・オブ・バビロンなんだけど描写力がオレには足りねぇや
φ
さいごにだが、
オレとハヤタはきっと、ルーツがわりと反対側にあるのに同じ結論と似た行動を取りやすいのだろうな、と思う。
なんにせよ奴に会って思考と思想を知ることが出来たのは、オレにとってちょっと久しぶりの『いい引き』だった。
……物事を、始める時と、行動の前に、ちょっと前よりも多く想像を巡らせて、『想像できるか』『出来ないか』
を評価基準に入れている自分に気づいて、苦笑いをすることが、最近増えた。
これもまた呪いや祝福の類いだろうか、ねぇ?