ずっと買っておいておいた本を積み上げてある本の山から見つけ出したのでさらっと読書録のようなものをつけてみようと思う。

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読書録というほど大したものではないけれど

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無目的にブログを始めたというわけではなくて、そうだね、この場所は俺にとっては**「思想の貯蔵庫」**なんだよね、 
だから目的として「考えたこと、思ったこと、感じたこと」を忘れないように、というものに適うのであれば、どんなものでも記入して行こうと思う 
(今回わざわざこんなことを書くのは、俺の中でこの場所をどういうものにすればいいのか、決まってないから) 
自分にとって最適なレイアウトになって行くまでには、いろいろと試してみないとね……
最適というのも変な話だね。
変わっていくことと保守とのバランスの良さが最適の本質なのかもしれないね

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文章に対して感じたことは、そんなに凄い文章でもないなぁ、と。 
例えば凄い詩的な表現が使われているわけではないし、 
身震いするような描写があるわけではない。
(いきなり余談だけれど、横溝正史の八つ墓村は凄まじい文章だった絶対読んで損はないと思う。読まないと損な気もする。)

しかし、実際的ではあったように感じる。 
言葉を足すと、一意的な文章だった。
淡々としていたんだよね。文章が。
きっと綴る時に、スラスラと出てきた文章なのではないかな、と感じた。 

ずっと溜め込んできて、自分の中にじくじくと蛆のように育った汚い感情が、キレイに吐出されている、

そんな印象を受けた文章だった。

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オマエの思考は毒物だ

っていう言葉を偶にもらうことがあって、その言葉に僕は多少の好感と、どうしようもない諦めのような感情を同時に抱く。

その言葉は仕方のないものの様に感じるのだ。
僕の起点は一人の女の人で、俺はその人に気に入られよう、その人ならなんて考えるかな。褒めてくれるかな。
そんなことばかりを考えて幼少期を過ごして、

なんで俺はあの人と離れてしまったのだろう、
あんなにも唯物に感じていたのに。
お慕い申し上げていたのに。
ああ、でもコレはおれの身勝手な感情で、
きっと俺よりも師匠の方があの人の隣にいるに相応しくて、と
そんな喪失感に苛まれて俺は青年期を過ごしたから。

まぁ、しかたがないと思う。それはなかなかにレアな人間に(結果的に)なるだろうね、と。冷静に(今となっては)思う。

自分の中の判断基準に
「あの人ならどう思うかな、」
という客観的な自問が在るのは、俺にとっては自然なことだけれど、他人にとってはそうでもないらしい。

オマエの人生は物語的だと皮肉られることがたまにあるけれど、ここに起因しているのではないかと思う。あとは圧倒的なまでの内省か。

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堀江さんは、福岡の八女の出身なそうだ。

現状が嫌で嫌で仕方がなくて、しかし彼は優秀だった。

そこにはきっと理由があるのだと思う。
納得の回路がゲームのようだな、と、俺は思った。
後は結果的に自分の世界に向いたのだろうな、と思う。
逃避の先が内省だった?

なんでもいいけれど、この人は俺よりもカワチせんせーと話が合いそうだな、と思った。(あの人が、おもしろい、と感じて納得しそうな人間だと思った)

違うな、内省じゃなくて、現状の打破の為の前向きな努力だったのだろうな。

彼にとっての成功体験の列挙はどうあがいても彼の行動の帰結で、(きっと当時の彼にとってはそこまで論理的な思考の帰結では無かったのだろうが)(後から考えてみると、というアレだ)

その辺りのセンスが素晴らしく前向きで現実的だったのだろうな、と思う。

氷上が俺の受け皿になってくれなかったら、俺はきっと壊れてどこかおかしくなっていたと思うけれど(そのおかしさというものはきっと社会との隔絶、という形で現れる)(何故かと言うと、悪いことをするようになると思うからだ)
彼にはそれが目の前のことを自分の思うとおりにするその究極の一手が、勉強だったのだろうな、と思うのだ

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僕は子供の頃、それなりにレベルの高い英才教育のようなものを、かなりいびつな形で受けさせられて、

そう、俺が嫌々やらされて会得した掛け算のようなものをその場で自分で思いついてこなす友人の答え(それはとても遅くて拙いものだったけれど、答えとしては間違っていない、正解だった)を見て、

「俺はやり方を教えられてやった、こいつは知らないまま自分で考えだした、――どっちが偉いのだろう」

ということまで考え至ったときに、自然と笑いがこみ上げてきて、俺は泣くように笑い続けた。ああ、俺の時間は、俺の意思のない時間はすべて無駄だったな、と。

俺の動機はきっと親からの否定の連続で潰えてしまったよ。

そこまで強い意思を抱けなかった、オレも悪いのだろうね。
けれどこの世界に目の前の好きな人がじぶんのものにならないのならばいっそころしてしまえ、という感情以上に強烈な衝動は、

それに匹敵するくらいのものは、俺の中についぞ生まれなかった。

きっと親元に居たくない、という感情の強さで、俺は堀江貴文さんに負けているのだろうな、と。

俺は彼の文章を読んで思った。まぁ俺が親と合わないのは割りと俺側に問題が有るようのも思うので。箱のなかに気づいたら違うOSが入っていたようなもんだ。親から見れば。(俺から見たら、そのOSの方が性に合っていた、というだけで)

彼はどうしようもなくやはり人間なのだ。
マスコミの報じる彼の切り取られた一面と、彼の内面はやはり違う。
マスコミが離れて、彼が自分を(意識しようとしまいと)演じることをしなくても良くなったことは、救いのように思う。

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≪追伸≫
いやいやいやいや、こんなことより卒論書けよ、僕