「ポーは、やっちゃいけないことを平然と実現可能な選択肢として入れているんだよ、
だから友人としては、いや、それは本当にダメなのだというタイミングがあって、それについては止めざるを得ない」
「どういうことだよw」
「梅田の地下遺跡が見つかったって時に、ポーは平然と、『警備員、気絶させて行こうぜ』って言い切るんだよ、真顔で」
「ああ、」
「冗談かと思ったんだけど、平然と言ってるんだよね。だから、ああ、本気なんだ、って」
(中略)
「崖があるとするじゃん? 崖の近くに行けば行くほど、いいものがあるんだよ」
「うん。」
「オレからすると、『生きて帰ってくれば』それでOKなんだよね。それ以外は基本的にどうとでもなるし、ギリギリのラインを見極めるのは多分できるし、オレなら生きて帰ってこれるっつーのが」
「わかる、わかるんだけど、ポーはその崖を壊して帰ってくるんだよね、次の人が行けないし、ポー以外の人間は無事では済まないんだよ」
「なるほど、」
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羽生善治氏の、大局観と、今北純一氏の共通として、”冒険”がある様に思う、
リスクというより、リスクを負わないリスクというよりも、
そこで得られるスリルやその辺りを込にした楽しみの様なもの、
(それは得てして、酒場で賑やかしく語られる武勇伝のようなもののように思う)
スリルと楽しみと危険とは背中合わせで、
どこまでをスリル、どこからをデンジャーとするかはやっぱりそれまでの経験によって決まってくるのだろうな、と当たり前に思う。
人間誰しもどこか狂ってる
オレの狂いはこの辺にあるのかもしれない。
答え合わせに意味は無い、刑事事件に発達した時にも身を守るのはお金だろう、。
地獄の沙汰も金次第