そりゃそうだ、って話だけれど、オレは割とこれ自戒的に言葉にしておかないと、大事なところで踏み出せないヘタレチキン野郎みたいなところあるから……

 百聞一見。

 いや、やっぱ強いんだよな、行動のほうが。今までのオレの言葉なら、**「人間は行動することでしか、この世界と関わることが出来ない」**って、割と迂遠な言葉だったけれど、もっと端的になった。

 いや、理系になった。

実験は基本的には失敗するものだってのが本当によく分かった。身に染みて分かった。

「〜〜〜思うんですけど、どうなりますかね??」「う〜ん、やってみないと分かんないねw」っていうのがオレの研究生活の大半だった。(今も)

ハヤタ風に言うなら、PDCAサイクルの高速回転。オレ風に言うなら、“居付き”を取っ払う。

行動のほうが、強いんだよね。

“居付き”を取っ払う、なんて、いわば反射訓練だし。

爆音が聞こえたらとにかく伏せるコマンド訓練みたいなもんだ。

そんなのは『一回目』じゃ絶対出来ないし、もうただ一線を越えるための訓練あるのみなのよな

 世の日本人が文系に進む理由の大半が、**「数学(もしくは理科)が出来ないから」**ってのが本音だと思う。能動的な表向きの理由は、後ろ向きな言い訳だろう。出来なくていい、ってのは、やらなくていいとイコールじゃない。とりあえず守。精神神髄をつかめたら初めて離だろう。**見切りの早さは長期的には甚大な損を生むさね。**きちんとした情報収集に基づいた構想のもとに、終着点を思い描いて選択せねば。……結局、碌な選択肢が残らない。

 いや、オレ文系出身で理系でそれなりにやって来たからこそ言葉にするけれど、「そんなのは言い訳ですの。やらなかっただけですの」……どの面下げて技術大国だクソ野郎。つべこべ言わずにまずは分からないところを整理して言葉にして、読んで書いて考えろよ、と。いや、昔のオレにも当てはまるけどさw

 今でこそもっと上手くやれたよなぁ、みたいな思考は、それこそ2周目(強くてニューゲーム)の思想だねw

 これを一番いいレイアウトで他人(自分の子供とか身内)に投げるなら、実際にやってみせて、一緒に肩を並べて笑っててやらねぇといけねぇのかなぁ、とか思う。どこまで時間を割いてやれるか、になる気もする。南場智子さんの言葉を借りるなら、「孫正義さんのカバン持ちとか買って出てでもやりたいものですよね」

 一番大事なのは現実。

他を蔑ろにする訳では決して無いけれど、現実に即すことが一番大事で、そこを違えてしまえば基本的には失敗するし、

「それはアナタの妄想ですの」「現実を見なさい」

 現実を見るためには、行動して試して、世界にアクセスしてみなくてはならない。(そしてこれは基本的には失敗するw)

 日本人の完璧主義みたいな要素は、オレは嫌いじゃないけれど、失敗に対して後ろ指をさす様な精神は(日本に限らないかもしれないけれど)学校教育で培われるのかなぁ、とか思う。一問一答方式の試験で、満点を取ることに家でも学校でも固執する感じ。

 まぁ固執大事なんだけどね。色んな認められ方に対して寛容になるというか。

成功パターンと失敗パターン、おもしろおかしくもっとたくさんあってもいいような気もするなぁ。……個人の資質によるか。あちらを立てればこちらが立たず。これは政治だな。

 昔、小学校の理科の実験で、「塾で学んだ知識と違うから」っていう理由で、実験で出たデータをオレの知ってる知識に書き換えて、友人にも「こうなるんだよ」って言い切って(オレは正答を教えてやる、くらいの軽い気持ちだった)レポートを書き換えさせていたのを目に止められて、マジで理科の先生に怒られた理由は、このへんにあると思う。当時のオレが抱いた、漠然とした『きまり悪さ』の様なものを、オレは覚えている。

 行動のほうが強い。現実が一番強い。

目の前に広がる、圧倒的な現実の前では、人間の常識なんて薄っぺらいものさね。

だから、誰がどう言おうが現実が一番エラい。

サイエンスってのは、その現実を信奉する、ひとつの宗教の様な部分も持ち合わせていると思う。