これは少し老荘寄りな考え方なのかもしれない。
社会の中での自分の立ち位置、みたいなものは、どこになるのがいいのかな、みたいなことを考えたりして、思った。
オレにとってはオレが全てだけど、オレが叶えたい目的のようなものを実現させたり、成功させたりするにおいては、俺という“個”は問題にならない。
結果のみこそに、価値が存在する。
「目的」にとってのValueを出すことが一番大事で、そこに俺という個性は必要ない。
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考えを足すことを目的に、ややわかりやすい友人の言葉を借りるのなら、
「ドラえもんの道具は、全部実現可能だと思ってるんよ」
「今の俺には、Howは無いし、それこそもっと言うなら今の世界には無いのかもしれないけれど、未来にはいろんなことが重なって。……きっと可能になると思う」
「可能か不可能か、という点では、時間軸を吹っ飛ばすと可能って言葉だけが残ると思う」
ロマンがあって非常によろしい。素晴らしい。そしてすべて、とは言わないけれど精神の根っこの部分では同意したい言葉だと思う。本当に。ほんとうに。
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目的を達成する手段はひとつではない、固執は妄執でしかないことが多い
俺は“個”も固執のひとつなんじゃないかな、と今や思う。
俺でなくても、別に構わない。
でもまぁ、その上で、『俺だからこそ加えられる1手』を時の爪痕として刻み込む行為には、
これこそロマンを感じるなぁ
科学者の喜びなのかもしれない