子規庵(坂の上の雲 2 p294~)

子規は相変わらず、根岸の里で病を養っている

という一文から始まる。

・子規について

子規は、死ぬまでのあいだに日本の今の俳句短歌の思想を一変させてつぎの代に引き継ぎたい悲痛な気持ちになって古歌や古俳句を分類したり、研究したり、俳句論や短歌論をかいたりしているが、かといって彼の本来の気持は、かれ自身すきな日本語のひとつである、

「のどかな」

というふうな心境にあこがれていた。

・子規と漱石

漱石は子規に無茶なことをよく言われて、それでも「子規さんの言うことなら……」と聞き入れてしまうふうな描写が多いように思う。

子規について、「なんでも大将にならねばすまぬ男であった」と描写したのも漱石か

・子規と陸羯南について、漱石にあてた手紙を元に

陸羯南について、子規は温情を常に感じていたようだ。

陸羯南という人物は、どうやら目下の者に自然と尊敬される徳の高さがあったようだ。本当に心根の優しい人だったのだろう新聞日本について

「羯南が社長だが、日本の連中は羯南を社長とはおもわず、師であるとおもっている。そういう連中があつまっていた」

「日本は売れぬ」

「ホトトギスは売れる」

「陸氏は、僕に新聞のことをときどきいう。けれども僕に書け(もっと新聞のほうに文章をのせよ)とはいわぬ。ホトトギスを妬むというようなことはすこしもない。僕がホトトギスのために忙しいということは十分知っている故」

「僕からいえば日本は正妻で、ホトトギスは権妻というわけであるのに、とかく権妻のほうへよく通うという次第だから、日本に対して面目がない。それで陸氏の言を思い出すといつも涙が出るのだ。徳の上からいうて此様な人はあまり類がないと思う」