子規庵②(坂の上の雲 2 p294~)
原文ママでは無い。抜き書き。 ・子規と真之
漱石が往ってから数日して、漱石とは逆に英国から日本へ戻ってきた友人がある。秋山真之である。
「アメリカでは、どうおしじゃった」
真之は、ごく要点だけを箇条書きのようにして話すと、
「淳さんも軍人におなりじゃな」
と、じれったがった。軍人というのははなしがおもしろくないというのである。
真之の軍人という職業観
「まったく妙な商売だ」
真之にすれば、軍人とは戦いに勝つために名誉と給料を国家からあたえられているという職業人である。
つねにロシア海軍の現勢と成長を頭に入れつつ、日本の海軍の持ち駒を考え、それとの海戦を毎日のようにあたまのなかで設計しては消している。
「日本というのは悲痛な国よ」
欧米を回ってみると、みな産業によって国が富んでいる。日本というのはまだまだ農業のほかろくな産業ももっていないくせに、ヨーロッパの一流国と同じ海軍をつくろうとしている、と真之はいう。
「それも超一流の軍艦をそろえたがる」
「**そのエナージーのひとつは恐怖だ。**外国から侵されるかも知れぬという恐怖が明治維新をおこし、維新後はこのような海軍を持つにいたった。しかし残念ながら、軍艦は小艦艇はのぞいてみな外国製だ」
子規の歌論
「なあに、それでええぞな」子規は歌論をしはじめた。
「あしはこのところ旧派の歌よみを攻撃しすぎて、だいぶ恨みを買うている。たとえば旧派の歌よみは、歌とは国歌であるけん、固有の大和言葉でなければいけんという。グンカンという言葉を歌よみは歌をよむときにはわざわざいくさぶねという。いかにも不自然で、歌以外にはつかいものにならぬ、淳サンが水兵に号令をかけるときにいくさぶねのふないたをはききよめよというか」
「軍艦の甲板を掃除せよということか」
「水兵が笑うじゃろ。笑うのは、結局は生きた日本語でないからじゃ」
子規は、外国語も用いよ、という。外国でおこなわれている文学思想もとりいれよ、といった。
「そういうことは日本文学を破壊するものだという考えは根本があやまっている」
「たとえ漢語で詩をつくるとも。西洋語で詩をつくるとも、はたまたサンスクリット語で詩をつくるとも、日本人が作った以上は日本の文学であることに間違いない」
「むかし奈良朝のころ、日本は唐の制度をまねて官吏の位階もさだめ、服色もさだめ、唐ぶりたる衣冠をつけていたが、しかし日本人が組織した政府である以上、日本政府である」
「和歌の腐敗というのは」
「要するに趣向の変化がなかったからである。なぜ趣向の変化がなかったかといえば、純粋な大和言葉ばかり用いたがるから用語が限られてくる。そのせいである。そのくせ、馬、梅、蝶、菊、文といった本来シナから来た漢語を平気でつかっている。それを責めると、これは使い始めて千年以上になるから大和言葉同然だという。ともかく、日本人が日本の固有語だけを使っていたら、日本国はなりたたぬということを歌よみは知らぬ」
「つまりは、運用じゃ。英国の軍艦を買い、ドイツの大砲を買おうとも、その運用が日本人の手でおこなわれ、その運用によって勝てば、その勝利はぜんぶ日本人のものじゃ。ちかごろそのようにおもっている。固陋はいけんぞな」