子規庵③(坂の上の雲 2 p319~) ・子規と真之 文章論やら詩論
「この淳さんというお人はなかなかの文章家じゃぞな。軍人にさえなっておらねば、秉公や清サンよりも上をゆく」
「いや、だめだ。あしには執着がない。物事は執着がなければものにならない」
「執着はあろうが」
子規はかぶせていう。真之は軍人になってもなおむかしの未練をのこしていることを子規は察している。
「ないな」
真之は、触れられたくなさそうな顔でいった。そういうことは忘れようとしていた。
真之の今の執着は海軍作戦のことしかない。この執着はちょっと異常なくらいである。
読書論
「淳さんは大そう本を読む」
子規は、この点だけは真之に頭をさげている。真之はいよいよ気乗り薄に、
「乱読よ。本は道具だからな」
「道具」
これには、子規はひっかかった。子規はわずかな家計のなかから書物を買っているが、その書物はことごとく美術品のごとく愛蔵し、多少書痴の傾向がある。
真之はべつであった。本はどういう名著でも数行、数頁しか記憶しない。気に入ったくだりは憶えてしまい、あとは殻でも捨てるように捨てる。人にやってしまうか、借りたものなら返してしまってそれでしまいである。したがってこれだけの多読家が、蔵書というものをほとんど持っていない。
「それが戦争屋よ。海戦をするのに本を読みながらではできまい」
「憶えておくのか」
「数行だぜ。その事柄つまりあしのばあいは海軍作戦だが、それに関心さえ強烈なら誰でも自然とおぼえられる。ただ、名文句にぶつかることがある。これは本の内容とは別に、書き抜いておく。もっとも書き抜きの手帳を紛失することがあって参考にはならんが、まあ憶えちゃいる」
「どういう名文句かの」
「いろいろある。漢籍はあまり読まんが、新聞にもそれがあり、英語の書物にもそれがある。それを書き抜いておいて、ときどき報告書などを書くときにおもいだす」
これが、真之の生涯を通じてただ一つの文章修行法であった。新鮮な方法とはどうして言い得ないが、文章のリズムを体に容れるには案外いい方法かもしれない。
名文
「しかし、なにが名文です」
と、清サンがきいた。真之は、わからんといって逃げたが、子規が代わって答えた。
「美に基準はあるまァ。あしは美に一定の基準なしと思うとるぞな。美の基準は各個人の感情のなかにあり、同一人物でも時が経つと基準がかわる。あしは美に一定基準なしと思うとるけん、何が名文かは、それを読んで感ずる人次第ぞなもし、清サン」