工場実習がウルトラつらくて(体力的に)(精神的には……どうだろう? 分かんないや)(まぁ院試の後の俺ほどじゃねぇやね。あの時はもう…、呼吸をしているだけで惨めな気持ちってこの世界にあるんだな。あんな感情、この世にあっていいのかよ、と思ってる)(それに比べりゃマジでこの実習の精神的苦痛さはぬるま湯でしかない)


何はともあれ、実習中は大体考え事をしている。(現実逃避) ずっとずっと、「なんでだろう?」みたいなことを考えている。 全てのことに対して。 「ある土地に定住して、なんだかんだとお堅い職に付き、一生を予想出来るカタチで終える」 という可能性は、就活の時に「ああ、これ駄目なんだ」と受け入れた。 仕方が無い。 オレはどうもそういう、「凄く自明に安泰」という選択肢を、キレイに受け入れることが出来る人間では無いらしい。 まぁそうだよね。そういうことが出来る人間は「無変化は停滞しか生まねぇ、死ね!!」なんて、口が裂けても言わねぇだろうがよ。自嘲とともに笑えて来てしまう。 余談だけれど。その会社ホント超いい会社で、仕事があまりない(超ラクな)わりに妙に給料良かったから、それはそれは本当にいい会社だったんだけど、 俺は「この会社に入って、人生を過ごしてて、俺は不敵にわらえねーなー」とか思ってしまった。 不敵に笑うって、「一番、オレ以外の人間が出来ない顔」だと思う。(あー、いや、ちょっと違うな。俺に一番似合って、それを俺が心から愉しんでいる状態なんだと思う)(まぁこれがニュートラルってのも、どうかと思うやねw) まぁでもあの会社に対しては今でも思うけれど、「人生が10回あったら、そのうちの1回は入りたかった」と思う。 仕方が無い。今の生き方をオレはもう選んでしまったんだから。


生まれてこの方、ひとつの土地に定住できたことは無い。 運命かもしれない。このことには最早、諦めみたいな感情がある。 西宮には10年住んだが、あの土地がオレの故郷という感覚は、オレにはない。 「土地より人」というのが、オレの結論だ。 この結論から逆推するに、西宮にはオレが帰りたい、と恋焦がれる存在が住んでいないのだろうか。 帰る場所では、ないんだ。 どうなんだろうな。オレの帰属意識はどこに向かうんだろうな。 親に対しても現在進行形で帰属意識を持てていないのだ、オレは。 (無論感謝はしているのだ)(そのへんの折り合いみたいなのはまぁ、一生かかるかもな) わからない。 帰属意識を他に置く感覚こそが間違いなんだろうか? だとしたら「電波的な彼女」で堕花雨が言っていたように、人間は死ぬまで「自分」に向かって歩いて行くのだろう。 孤独な道だね。百年の孤独。 誰かの幸せを祈ることが出来たら……そんな相手が居るんなら、多分それはなによりも幸せなことなんだと思う。 オレは自分が好きになった女の人が、オレの知らないところで幸せに生きていてくれればいい、と思うことができるようになるまで、10年かかった。……まぁいいさ。性分だな。


帰属意識に関してもう少し。 帰属というと、一番最初にやはり“家”が来るのではないか、と思う。 ハードとしての家について、 持ち家か借家か、みたいな議論については、まぁタイミングにもよるが、「基本的に50年スパンで考えると実質変わらない」というのが(どこかで読んだ)オレの結論だ。(マネーフォワードのお金のQ&Aだったかも知れない。忘れた) 浮世なのだから、全てが借り物なのかもしれない。 3.11の地震の後、オレはどうも日本人は全体的に「所有する」ということに執着が薄らいだ様に思う。バブルから連綿と続く、所有に対する欲求が根本的に別のところにシフトしていっている感覚。 日本は地震国家で、これまでも飢饉とか超いっぱいあったはずだから、思想としては「桜」を美しく思う様に、刹那さみたいなものを尊重する感覚があると思う。 もののあはれ。 わかんねぇな。これ以上は被災していないオレが言語化していい領域ではないやね。


割と物欲はある方だと、俺は思う。 ここ6年分くらいの家計簿を分析したら、生活レベルを一定に維持した上で、自由になるお金のほぼ全てが「レアリティの高い経験値」と「本」に変換されていた。ここもブレないな、と思った。 人間関係の潤滑油としての出費も惜しんでいなかった。 (だから浪費は存在しなかった)(すべて実験) (この辺のお金の使い方は、「大学入る時に決めた通りに使うことが出来た」と感じた)


仕事に関しては、これは抽象的な目標というか、オレのサイコーに達成感を得られた時の共通項なんだけれど、「全ての手を打ち終えた後で」「後はかみさまだけが知ってるのさ」と「諦めたように笑って」「結果を待つ」 ってことを終着点にしていたい。 すべてはそこに、終着していて欲しい。