長くなったので改めた
「出世したい??」と問われて、「ええもちろん」と即答している。 男に生まれたからにゃあ、そりゃあ偉くならねばな! と思うんだけれど、 この間課長に呼び出されて説教食らった時に、 「てめぇそんなんじゃ現場の人間はついてこねぇよ!!」 みたいなこと言われて、心の奥底で「ンなこたぁねぇよ」と怒りの疼痛を感じている俺がいる。 怒りと痛みと反骨を覚えている俺が居る。
上司に怒られるって、超初体験だったけど、アレだな。 「ああ、今オレ、相手の間合いに不用意に踏み込んじまってんだな」 みたいな感覚だった。 そして尚且つ、こっちが刀抜くの許されない感覚。 刀抜いたら、こっちが余計に傷を負う感覚。 アレよくねぇな。難しい。 「今ここで斬られておかないと、もっと深い致命傷を負うなこれは」って感覚。 斬られっぱなしだと死ぬんだろうけどな。上手い怒られ方ってのも、体得しないとな。
まぁ一回線を超えたことで、「何処に地雷が埋まっていやすいのか」っつー死に手を覚えた(類似を全部スイープ出来た)から、コスパは最高に良かったんだけど、難しいね。 人間を悪し様に言ったつもりはないんだけど、現状のクソ極まりないシステムも、それはそれで誰かの手がかかってて、それはニアリーイコールで『誰かの子供』みたいな認識をしておかないと、超反感を買うな。と。いやまぁクソ極まりないシステムってのは本当にクソ極まりないシステムだと今でも心の底から思っているんだけどね。だから吐いた唾を飲み込むつもりもないけれど、一番効くカタチで硫酸を流しこむって方法以外で唾を吐くのは無意味だな、とも思い知った。クサいしキタナイ。美しくない。 最初は処女のようにたおやかに、後に烈火の如く猛攻。これが真髄なのに、俺は威嚇行為みたいなことをしてしまったんだ。気をつけないとな。処女のようにたおやかに。THE 奸計。 特にオレはそれを殺し切るってのが至上命題の職種だから、まぁなんというか、色々と気をつけないとな。身の振り方難しいな。 まぁでも無変化は停滞しか生まねぇし、感情論で説教されてもオレは折れねぇよな…と思った。感情論って「最後にはそこに行き着くのは分かるんだけど、今は方法論≪ビジネス≫の話ししてるからさ?」って感じがいやもう**本当にもうマジで感情論と理性は分けて説教してくれ頼むから。 ……**俺も気をつけないとな。 強く在らねば。強さを模索せねば。挑む前には勝っていなければ。
全ての説教と、俺に対する示唆に 「他人を使うことを覚えろ」という旨が入る。 使えない訳ではない。しかし、自分一人で出来る自負もあるし、正直出来てしまうという感覚もある。つまり、「その方がはやいじゃん?」 俺より大学時代、いろんな人に火を焚べてもらって、いろんな人に引っ張りあげてもらって、オイ!アレやろうぜ!! っていう楽しみ方をした人間は、居ないと思うのだ。 まぁつまり、「あんまり大失態とかも今までは無かったし、これからもある気があまりしないんだけど、なおせなおせって、なおす必要、ある? その時が来たり、本気で困って首が回らない状況になったら、俺はちゃんと変質出来る自覚があるんだけど。……それよりもあなた方も個の力を全力で磨いた方が良くないか? 学がない学がないって、学なんざ自分の哲学にそぐう本を見つけて掘ってみたら意外とアッサリ身に付くものだぞ、というかそもそも本を読んでる? 俺より読んでる?」とか思ってしまってどうにもな……。なんだろう。俺も剣が抜けるタイミングがあればいいのにな。 いや、そんなにそんなに挑むことばかり考えているわけでは、決して無いのだ。 ただ、俺の方にも言い分は腐るほど在るし、そんなに浅い部分で言葉を連ねられても、そこは一度通ったぜ? だからもっとスゴいのくれよ? と思ってしまうんだ。 反省する部分は反省する。なおす。俺が悪い部分は俺が悪い。でもまぁ地雷はなんだかんだ新兵だからまだ分からなかったな〜 と思う。まぁいいや。
人を使うって感覚は、よく分からない。「一緒に遊んでもらう」「巻き込む」みたいなことと、それは違うんだろうか? 使うって感覚と表現は、正直、嫌いだ。「やってもらう」「Takeを噛ませてやってもらう」「別のところで報いるよ」 みたいな感覚が、俺には誰よりある。分かんない。投資して、投資される感覚? ボッたりボラれたり。それが池袋の摂理。(ウエストゲートパーク)
他の人に投げる、自分が一歩下がるライン。その分岐点は、やはり怒りだと思うんだ。 「俺はぐーたらしていたいのに、なんで俺が頑張ってみんな遊んでんの!?」みたいな怒りだ。 これを一番最初に自覚したのは、小学3年生の時で、そのことを意識した時の通知票には 「ひとりで出来ることと、ひとりでやること は違います」「ひとりでやること、やってしまうことが多く、心配していましたが、ある時からピタッと止みました」と書いてあった。俺はこの評を読んだ時、「ああ、なんて頭のいい先生なんだ」と思ったことをいまでも覚えている。 いい風に書かれていたけれど、正直後ろにあったのは上述の怒りだ。「キサマら働け!」「俺より働け!」
それと同時に、斬り込むのは常に俺でないと成功しない印象がある。 発達初段階のサイクルを俺より早く、上手く回すことの出来る人間は、そんなに居ないんじゃないかと思う。実のところ、俺は多分「意が通って、尚且つ『コイツ出来る』って判断出来た人間」には、誰より早く投げるし、まぁそういう人間は実際通じ合うよね、みたいな感性が俺にはある。答え合わせでいいし、それが一番効率がいい。俺も幸せ。みんな幸せ。 俺についてくる必要はあるのだろうか? 俺が人を使う必要はあるのだろうか? 根本的に選民意識がある。莫迦が天才の進む道を阻んでいる状況に、並々ならぬ嫌悪感を覚える。 一方で、世間はなんだかんだ正しい、という意識もある。 それと同時に、常識というのはある時一瞬で方向を変えるものだ、という意識がある。 全ては志なのだ。人間はかなりの度合いで、他人の野望に引きずられる。だから、抱いたもん勝ちなんだ。大きい夢と、覚悟を。 俺にはやりたいことと、引き寄せたい未来の憧憬がある。俺は今すぐそこに行き着きたいんだ。だからもう、そこのけそこのけ、俺が通る。きっと楽しい、一緒に行こう? ああ、すべては時と場所と場合によるのだろう。