ガキの頃読んだ随筆にこんな一節があった。 「人の仮面ばかり作ってきた老齢の陶芸家が、人間のデスマスクを指で触れ、なぞる。 陶芸家はそれだけで、その人間の生きてきた道筋、苦労、幸運、ともすれば信念まで当然のように言いあてるのだ」


俺はこれ、あると思うんだ。 経験値がオーバーフローして、ともすればスピリチュアルだとしか思えないレベルまで高まってる感じ。 ここまでの究極にはなかなか遭遇したことは無いけれど、俺、やっぱなんとなくわかる気がするんだ。 武芸百編、神事に通ずというか。 師匠が一抱えくらいの丸太をあっさり斬った時に、 「え、やばいそれどうやるの?」 って訊いたら、 「え? いや、、あー、わかんねぇな。ずっと刀振ってたら、いつの間にか目の前のものが自分に斬れるかどうかが分かるようになってた」 みたいなことを言っていた。 職業病も、なんとなく近しいものなのかな、とか思う。


センゴク天正記で、センゴク権兵衛が、家臣を選ぶ時に、 「ツラ構えは大事やぞ」 「ああいう、悪意の欠片もありませんよ、みたいなツラをしたヤツに限って、土壇場でコメを持って逃げる」 みたいなことを言っていた。 紅で、九鳳院紫が、 「嘘をつく人間は、嘘をつく時、嘘をつく顔をしている」「真九郎、どうしてわからないんだ!」


経験値がオーバーフロー。 なんかこの言葉、スゲェ好きだ。 ……いや、俺は言語化して納得していくっつープロセスが全体的に好き過ぎるんだけど、 絶対に言語化出来ない域のものは、もっと好きなのかもしれない。 量からしか質は生まれない。 量をこなすということは、数限りない試行を、ウルトラ失敗しながら、それでも続けるってことだから、それだけで既に割と尊いと思う。 めげるな進め、めげるな進め いやしかし、物事を挫けずに続けるに於いて、成功体験とか、認めてもらうとか、そういう承認プロセスって、スゲェ大事だと思うんだよ。 だから、めげずに頑張ってる人間は、いち早く認めてあげられる人間でありたいものだなぁ