昔こんな文を書いた。 上位2%にだけ触れていればいい 原理的には、俺の書く文章も、100本中2本は「おお、名文」となる原理。 その2本を生むために100本書く。 それはまぁ、ロマンだよね、とか思う。


俺の行動原理の割と大事な部分に、 思想を遺す、ってのがある。 それは過去、両親に考えたことを全て潰されたガキの頃の俺の怨嗟から来る思想でもあり、同時に、舞さんに拾い上げてもらった俺が、次に誰かの何かを拾ってあげられたらな、という希求からくる思想でもある。 表裏一体だね。 ガキはガキなりに考えてるってことを、忘れちゃいけない。拾ってやらねぇと、子供は極端な手段を取るしか無くなるんだ。 ま、考えてない部分は拾う必要はないと思うけどね。その見極めはどうしたものか。 難しいね。


思想を遺す手段の一環として、ラジオを録っている。 大体、1回/1〜1.5ヶ月のペースで録っている。 由来は多分、C・サイクスの「ファインマンさんは超天才」だと思う。 この本は、ファインマンの生前のインタビューを非常に有機的に再構成して、まるでファインマンと、彼の知己との間に繰り広げられる会話の渦に自分が参加している気になるんだ。 この本を読んで、ああ、インタビューを遺すって効率いいな、と思った。 インタビュー・ウィズ・バンパイア。


ラジオを録りはじめて、もう20回目になる。 死ぬまでに500回を目指そうぜ! って言ってる。 500回をクリアーするために、がんばって1回/2週で録ってみたんだけど、聞くに耐えない駄作が連続した。 ああ、もう、録らなきゃやってらんねぇよ!! ってテンションになってから、自然に収録しないと、面白くならない。 つまり、拍。タイミング。タイミングを計る勘に従う。 質も大事だが、質を確保するには、適切な時間を置かないといけないらしい。 インプットより多いアウトプットを求めても、良いもんはなかなか出来ないらしい。 俺は、やっぱ、自分の中の何かの区切りとして、書きたがるらしい。 昔っからそうだな。 丹精込めて書きたくったノートを、燃やすような感覚なのかも知れない。