精神的には、「一回休み」 この言葉を最近自分に言い聞かせている。 9月末までは、とりあえず大人しくしていようと工場実習の後に決めた。 「オマエの思想は、毒物だ」と、ガキの頃に言われた。言い得て妙だな、と思う。 毒が回って、奸計が実る予感を得られるまで。大人しくしていよう、と。 ステイの出来ない犬はバカに見られる。 自覚的に、オレは「芸を見てもらいたい犬」の気質を持っているが、「バカな犬」では有りたくはない。


精神的には休みながら、色んな本を読んだ。 世の人の、仕事に対する所感がまとまった本やら、会計の本やら、歴史の本やら、安易にラノベやら。 イーロン=マスクの伝記を読んで、「オレは……このままでいいのかな」とか、漠然と思ってしまった。 世の未来を希求する様な、未来へと歩を進める様な。 そんな大志を、心に持ち合わせているだろうか? 人類としての歩みを止めていないだろうか?


現状と願望の、乖離の様なものは、人生で常に感じ続けてきた。 オレは、オレの思う「最善手」というものを、どうも手に入れることが出来ない。 それは俺からすると、「親や環境からの」「不可避の外力」や、(ある種意思とは関係ない強制的な「幸運」)だと思っていたのだが、 物理的にも精神的にも親と適切な距離を置くことが出来るようになって、尚その感覚を得続けているということは、なにか別のところがズレているのかも知れない。 分からない。ガキの頃に、思い描いたことが丸っきり現実になっちまったりするのを見て、「ああ、この試行は便利だが面白くはないな」と思ったことがある。アレは鮮明に覚えてる。 今とは程度が違うけれど、始める前に思い描いた結果に、違わずある目の前の光景を見て、予定調和は嫌だな、と思った記憶がある。 無変化は停滞しか生まないという哲学と強迫観念が、オレにはある気がする。 安泰は嫌なんだ。 「人生の8割はグータラしていたい」と豪語しているけれど、この言葉の本質は、実は逆にある。 「2割は冒険いていないと精神が死ぬ」 ここに偽りの感情が一切無いことは、近しい人間になら伝わるのかな、とか思う。 伝わらない相手に説明する気も無い。 世の大半の人間は有象無象なんだ。


ロジックに感情を混ぜなければ、当たる確率は上がる。 でも、感情の輝きが、オレは何よりも好きだ。 そこと、プラグマチックなところの融和とかは面白そうだ。


「文系のまま進んでたら、オマエ東大通ってたろ」 確かにそう思う。 分からない。オレは結局、心理学でやりたかったテーマに関しての1つは、ちゃんとフィールドワークで終わらせた。 やりたいテーマのもう1つは、一生まったりと付き合えばいいかな、とか思っている。 趣味で極められると思う。 理系の学問なんざ、強制力が無いと修められないやね、と思ったことは嘘では無いが、 思っていたよりしんどかったことも嘘ではない(いやマジ向いては居なかったやねw) 6年かけて理系の思考は手に入った。思ってたより時間は掛かったけど、そんなものかな、とも思う。


分からない。何が正解かは分からない。 けれど最近、思い通りに行かないストレスを禁じ得ないから、やっぱりそろそろ『一回休み』は終わりなのかな、とか思う。 考えることを、恐れるな。 答えは全て、自分の手の中にある。