好きな人を前に、胸を張る感覚。 襟元を正すと言うか、端的には、カッコつけたい感じ。 随分長いこと、これを真ん中に据えて生きていた。 φ 今は?? と自問すると、 「その感覚は薄くなったなぁ」 と思う。 (心を砕くほど好きになれる人なんて、世の中にそんなに居ないよ) でも、たまに「あの人ならなんて言うかな?」 「今の俺を見て、笑ってくれるだろうか」 みたいなことを、今でも俺は、ふと思う、 そして、なにか懐かしい人と会った気になる。 俺の行動、言動、思想の端々に、あの人の残滓のようなものがあって、 「ああ、また会ったねw」と苦笑いしてしまう。 『愛の究極系は、相手の息遣いを自分の癖や生活に刻むことだ』という一節を、俺は昔読んだ。 とても深く、美しく、しかし同時に、とてもいじましい感慨を覚える。
関西に10年住んだけれど、俺が関西弁に染まらなかった理由は、俺は幾つか考えていて、 「関西弁に対する忌避感」 (バリ〜 とか、パチこく とか、そういう言い回しを好きになれなかった) 「住んだ地域の関西弁が、なんだか中途半端だった」 (神戸以西、尼崎以東なら染まっていたかも知れない) 上2つも大きいと思うが、一番大きいのは、 「頭の中で、咀嚼を続けた言葉が、舞さんの言葉で、 それと同じレベルの言葉に、関西弁っていうガワがついた状態で、あんまり出会わなかった」 という点だと思ってる。 言葉や口癖というのは、伝染するものだと思うんだ。 気に入った言葉や、好きな人の口癖は、やっぱり自分でも言うものでしょう?? 現に、心から尊敬するひとに旅行に連れて行ってもらった後、俺もしばらく関西弁になったんだ。 関西弁で考えていた、というか。 言葉というものは、そうやって確立されていくもんなんじゃないか、と思う。 「夢で会えたら」と。 おもひつつぬればや人のみえつらん ゆめとしりせばさめざらましを 少し離れるけれど、他人を想い、焦がれ、求める気持ちなんて、これくらい身勝手なものだよなw