俺は、俺の発言で誰かの心持ちが変わるのならば、 変わってしまえ、と思う性質なのだ。 「ニーチェを読むのなら、ニーチェの様に暮らしてみろ」 「一挙手一投足をもって、その人間をなぞれ」 「それでもってなお『残るもの』だけがオマエの個性だよ」


友人の進路に口を出したことがある。 それで友人は進路を変えた。 俺は俺の指摘が間違っていたとは(今でも)思わないし、後悔とか有ろう筈がないんだけど、どっかで、 「良かったのかなー?」 と一縷思う俺が居た。 その答えはまだ出ないんだけど、(全ては結果論だもの) (なんで俺は口出したんだろう??) とは、頭の片隅でずっと思っていた。 最近、件の友人と遊ぶ機会があったので、話しているうちに、少し納得があったので以下に。


答えはアレだ、 「自分の世界」を友人があのタイミングで持っていなかったから、 俺と、俺の友達連中は殴りに行ったんだ。 俺は友人の持つ世界が大好きなのに、それに反することをしていたから、 「オイちょっと待て、ちょ待てよ」 と言いに行ったんだな。


「例えば、俺は今いろいろあって経理をやっているけれど、まぁいわばある種、今の状況は俺らしいと思うんだw」 「せやな」 「でも、例えば俺が今、『いろいろあって水素水を売ってるんだ』っつったら、多分オマエラ俺のこと殴りに来ると思うんだよね」 「wwwwww せやなwwwwww 『それは無いだろ!!』とか、『せめてもうちょっとアタマ使ってくれよ!!』とか、殴りに行くなぁwwwww」 「だろ?w これって、多分なんだけど、俺が(おまえらがいいと思ってくれた)過去の俺の信条に反することだからなんじゃねぇかな、と思うんだ」 「殴らずにはいられないね」 「かかってこいやァ」 きっとこれもコンプライアンスの一種なんだと思う。 自分らしさとは変わっていくものだけれど、「過去の自分を嘘つきにしない」ことは少し気を払っていたいものだと思う。