舞さんが昔言っていた。 「分からなかったことが、分かるようになるのは、すごく嬉しいことです。 世の中でこれに勝る喜びなんて、そうそうありません」 「でも、きっとやっぱりそれと同時に分からなくなってしまうこともあるんです。……これはとても寂しいですよね』
以下蛇足 この話の最中だったか、別のタイミングでだったかは忘れてしまったけれど、 「暗闇が怖かった時代もあったのに」という言葉が出たんだ。 俺はこの言葉が凄く好きで、……凄く憧憬的な言葉だと思う。 「暗闇が怖かった」ってのは、誰しもの心にある原風景だと思う。 モチモチの木で、豆太が夜怖くて小便に1人で行けない。みたいな。 そういう怖さが、誰の心にもあったはずなのにね。 もう忘れてしまったよ。 夕日に伸びる影をふしぎに思ったこととか、みんなで鬼ごっこしてて、ふと冷静になった時の風の心地よさとか。べたつく汗が気にならないくらい遊んだこととか。 そんな時代があったんだ。
樋口一葉のたけくらべを読んで、 「今とても高尚なものを読んでいる!」みたいなテンションになったのだよね。 あれは小4の時か。 でも、読み終わって心に残るものが無かったんだ。 精神年齢が、その作品を分かることが出来るレベルまで達していなかったんだと思う。 なのに、「今凄いものを読んでるんだぜー へっへー」みたいなことを思った自分が居て、でも読み終わっても俺は何も得られて無くて、ああ、これ意味ねぇな。と思ったんだ。 本を読むのならば、俺は一番楽しめる年齢で、一番楽しめる作品を読んでいたい。 わからない作品を、分かるフリをして読むのは愚かなことだと思うし、 「ああ、この本はいい本だけれど、もう少し前の自分だったらもっと楽しめたのに」と悔しく思うことも嫌なんだ。 常にギリギリ楽しめる最高のものを読んでいたい。 思想的に地続きでありたいのかもしれない。 飛ぶこともきっと出来るんだろうけれど、飛ぶことはちょっともったいないと思うんだよね。 そのレイヤーにある凄く魅力的なものを横目に飛ぶことは、やっぱりもったいないと思う。 知識と経験のバランスをとって居たい。 そう、飛んじゃったら多分、頭でっかちになってしまって、経験が追いつかない。 経験が追いつかないということは、哲学が追いつかないってことで、それはやっぱり肚に呑み込めて居ないんだ。
対象年齢は大事だ。 対象年齢ギリギリの最高のモノを読みながら、対象年齢がちょっと上のものを手に入れ続けることも大事だ。 思想的に地続きであるということは、きっとそういうことなのだと思う。 多分、自明にクレバーでありたく無いのだな。 勝てる試合で勝ちたくないのか、 経験値効率を最大化させたいというか。 そういう算段を、ずっと立てていたい。