圧倒的な情況が、オレの目の前に在り続けた とても濃い一年だった。(継続中)


組織は個を鑑みない。 個が個を鑑みる。 組織の中で個を押し通そうとするならば、個を使う以外に無い。

組織は個を鑑みないんだ。 組織は組織を自己保存するために裁を下すのだ。 ……そうでなければ、今のオレがこんな所に居るかって話だ。 まったく……(苦笑)我がことながら、おもしろ過ぎる。 オレが今この状況に居るのは、まぁオレの選択と行動の結果で、 最初から「ここに突っ込む」って分かっていたら、もっと別の選択肢をちゃんと選んだのだけれど、 まぁオレとて全知でも全能でもない。 折々で一番オレらしい選択肢を選んで来たのだから、仕方があるまい。 この現状に突っ込んでることで、オレの価値が下がった訳では無いし、(当然だが)即死したりする訳ではないのだから。 大学院の時のオレの人生訓は、「死ぬこと以外は誤差」だった。 ……実験が失敗し続けたからな! こうでも思わなくてはやってられなかったのだ。 命のこと以外は、大抵取り返しがつくんだよね。 この世界で相変わらず、命のことだけが不可逆だ。


世は押し並べて有象無象で構築されている。 そして信じがたい非効率を「安寧」と呼び、 考えが足りずに、陥った(もしくは、危機を感知できずにその場に居続けた結果)目の前に展開される不遇を「誰かのせいだ」と糾弾する輩ばかりだ。 そして口を揃えて、誰にでも言うことのできる、誰かの言葉をしたり顔で言う。 そんな言葉に一切の価値は無いのに。

信じがたい非効率。 なんというか、やはり何事においても、触れて楽しいのは上位2%だけだった。 オレは他人を切り捨てない人間だと勝手に思っていたけれど、それは違った。 そもそも身内にカウントしないだけだった。(知ってたけれど、知らなかった) 思ってたよりも、7割増しで排他的だった。 今も昔も、有象無象に興味は無い。


嘘も方便

みんなみんな、嘘をつく。 ウソというのは、疑われる手間を増やす分、火力の面で効率が悪いと思ってたけれど、要点を押さえたなら、後は大体誤差で許される範囲みたいだ。 誰も損をしないけれど、自分にとっては都合のいい嘘とか、あるものな。 「前言っていたこと」との整合性を常に壊さないなら、好きに吐けばいいらしい。 面倒だが、便利に使えばいい。 嘘を吐くことと、本当のことを言わないことは別 だし、なによりも本当のことはみんな知らなかった。 それは嘘になるわ。悪意もあるはずがない。 まぁでも、嘘は本物の魅力を霞ませると思う。 「嘘みたいな本当の話」が、やっぱりオレは一番好きだ。 嘘、効率悪いと思うんだが。 まぁ時と場所と場合によるのか。 俺の場合、少し以上に黙ることを学んで、「芸を見て欲しい犬」からの脱却が先決な気がする。 まぁ追い追いだな。


男の大丈夫はだいたいダメで、女の子のダメは大丈夫

後者はね、舞さんが言ってた。「ダメは大丈夫だけど、イヤは本当にダメ」「なるほど」 前者は最近オレが思ってる。 「先っちょだけだから」「大丈夫だから」「ホントホント」 みたいな。うん、だいたいダメだ。


僻み嫉みを隠さなくなったら人間はお仕舞い

他人に『自分が幸せな様』というのは、あまり見せるべきではない気がしているってのを、前に綴った気がする。 現在進行形で幸せな有り様ってのは、あまり表に出さない方がいい気がしている。 存外、幸せを祝福できる人間というのは少ない。ある日突然、昨日と同じ顔をして、手の平を返す。みんながみんな、そうあり得る。(こころ) そこからそんなに遠くない概念なのだけれど、 オレはあまり、幸せな年寄りを知らないのかもしれない。生き方に色気があるなぁ、と舌を巻いて、何処か憧れていた人も、なんだか意地悪く変わってしまった。 それは自然に出てくる感情や傾向なのだろうか?? 新しいことを全然していないからではなかろうか。 分からない。でも、妬みや嫉みを聞いてキモチイイと思う人類は多分居ないから、これが日常的に口を突くようになったら、ソイツはお仕舞いだな、と。 これは自戒的に思う。 そういう感情は纏めて怒りにして行動に移しちまった方が効率がいいな。 そういう感情に割くリソースが勿体無いさね。 言葉にするのも、「暑い寒い痛い眠い」と同じくらい無意味だろう。 やっぱ事務所を作ってゲームとたまに仕事、みたいな老後を送りたい。 剣客商売だ。


誰かが握ってる情報は執拗なフォローを入れないと上がってこない。

つまり、同じ内容で3回メールする。 最短経路は◯◯キチガイになることだ。 人類は省エネに流れる。 だから、やりたくないことは、基本的にはやらない。 他人に何かをやって貰いたいなら、「フォローを重ねられる方が面倒だ」というレベルで執拗にフォローすることが最短経路のようだ。 いやホントまじで。情報の共有がスムーズなチームが強くなるわけだ。PDCAも高回転になるしね。 Googleの研究結果「チームの生産性の高さは、ただ一つの尺度「居心地」に比例する」ってのも、少しわかるようになった。無駄口こそ最強の伝達だわ。発言の敷居の低さは成果に直結しうる。 それはニアリイコール、カリスマや、人徳、共通価値観みたいなものも拾ってるものな。


無能ほど専門性を求める

専門性はツールであって、価値判断のバイアスの一つであるけれども、オレは人類の本質は「適応」の一択だと思っている。 自分の仕事を括っちまって、自分だけしか出来ない仕事にして、部内での地位を確立するのは有用だと思うのだけれど、 ある種無様だと思う。 進化があらゆる意味で無い。 無変化は停滞しか生まない。死ねばいい。


細やかなフィードバックは求心力に繋がる

それはどんな些細なレベルでもいい。 「ナイスプレイ」の一言で人は動くみたいだ。 承認欲求はある種のドラッグだ。 いい感じに噛ませられるようにしたい。


ユーモアは大事

いや、「誰にでも言えるセリフ」大っ嫌いなんですけど、ゴメンオレこれホント一般論ながら痛感してる。 え、なんでこの人こんなに笑わないの!? と思う相手は、どんなに優秀でも、相手をしていて疲れる。 知らなかった。ユーモアは大事だ。 優秀であることと、優しくあることと、どちらが大事かと問われれば、前者を取るけれど。 ユーモアには勝てない気が最近して来ている。 分かんない。俺まだこれ掴みきれてない!


総じて。 感覚としては、「ルールが変わったなぁ」 っつー感慨がある。 今までのオレのルールでは、何かしらの悪い状況が目の前にあったら、それには常に、 「オマエの所為だ」と、 胸倉を掴み上げるべき対象が在ったんだ。 でも、今のオレの置かれた状況に対して、……まぁやっぱフツーに腹が立つんだけど、 いざ誰かに対して怒りを向けようとしたら、向ける対象が居ないんだよね。 こういうルールは、俺の中に無かったんだ。 フツーに怒りを覚えたオレが、次に得た感慨は、「鮮やか!!」っつー驚嘆と、 「誰も悪くないのに、状況は悪くなり得る」っつー教訓だった。 違和感を覚えたら、そのタイミングで原因を全力でぶっ殺しに行かないと詰むんだな。 多くはその原因が分からないんだけれど。


だから総じて重ねるのならば、「引けるトリガーが増えた」 老獪さというのは、嵌められないと身につかないと思う。 少なくとも、学生の頃の俺にはズルイ手段は取れなかった。思い浮かぶ手段の中の、ズルさのある手段を取れば最高の効率で欲しい成果が得られるって知ってても、オレがオレにズルいことを許さなかった。 でも何を言い訳しようが、オレは顔の見えない有象無象の悪意のない嘘と無能に負けたんだよね。 「負けても勝ってる」 みたいなところがあるけれど、それは俺のリスクヘッジが効いただけであって、彼らの好意の結果では決してない。 ゲームも何もかも、勝つからこそ楽しいのだ。


合わせて、オレがズルい手段を取ってこなかった理由にも思い至った。 今から比較して考えると、関わる相手が閉じて居たものな。 だから、結果的に損をするバランスを感じて居たんだと思う。 そしてそれはきっと正しい。 けれど、社会に出てみると、ルールが違う。 「人生で恐らく二度と顔を合わせないだろう相手」がとても多いことに気がつく。 まぁつまり有象無象だ。 だから別に…… ・本意が複数あって、 ・そのうちの一つや二つが、強烈に相手に損を喰わせる選択肢であって、 ・たまたまその選択肢を選ぶことが俺に取って妙に得であったりしたら、 まぁ選んじゃうよねー、 「え? 騙された? いやいや、ルールも義もオレは通してるよ?」 「ハハハ、ふつうこっちを選ぶでしょう??」 「気がつけなかった?? あれーゴメンねー、考えが浅かったねぇー」 っつーのは、別に悪いことではないんだな、と。 抜け抜けといつも通りの笑顔で言える精神構造が身についた。 だってオレがまずやられたんだぜ? 今までは躊躇してたトリガーを引くことに、躊躇が無くなった。 ……なによりも、そのマインドを持っていないと食われると自覚した。


落穂 シャープと川崎で飲んでた時に、 「オマエ、理系のキャリアの王道パターンから、爆速でドロップアウトしたよね」 って発言があって、圧倒的に面白みを感じた。 オレはもうアレだな、モデルケースとかに縛られてないんだな。 もうなんか自由にこの社会で泳いでいいんだと思うと、それはそれで甚だ面白い。 好きな事業をやってる会社を探して、経営に力一杯突っ込む。 なんか最早そういう色がオレのキャリアには不本意極まりないうちについてしまった。