俺の大学院生活は、「完璧主義からの脱却」からスタートした。 CJG6v1VUMAAZkb3.png-large.png 拙速巧緻。


新しい研究室に移ってスグの頃、今でも覚えている応答だけれど、 「〜〜〜〜やったら、こうなると思うんですよ」 とディスカッションの時にこぼしたら、 「じゃあやって?」 と即答されたんだよね。 「ああそうか、ここはそういう場なんだ」 っつー感慨と、 「誰も正解は知らないのだから、基本的にはヤッてみないと分からない」 っつーことを肌で理解するまで、結構かかった。 色々頭で考えたところで、結局一番正しいのは目の前の現実であって、 サイエンスとはただひとつ、再現性のみを信奉する宗教なのだということ。 ――それから延々と実験は失敗し続けたし、 失敗するだろうと分かっている実験を繰り返すことに嫌気が差して、 何周か回って「死ぬこと以外は誤差」という結論に至った。 (この世界のことでただひとつ、命のことだけが不可逆だ) この精神性は今でも(とてもツラいタイミングで不敵に笑う時に口を突くという意味で)変わらない。


完璧主義だと、失敗を出来ないんだよね。 失敗が嫌すぎて、失敗する未来が漠然と見えてしまったら、行動するのが億劫になる。 行動するのが億劫になるから、PDCAが遅くなって、結局なにも成果を出せずに終わる。


完璧主義からの脱却への足がかりになる言葉は、大学院に入る以前でも、幾つかは持っていたのだけれど、

「無変化は停滞しか生まない」 「人間は行動することでしか、世界に関わることができないのだから、“考える”だけならそれは全て無意味だ」 「何を信じて、何を考えるか、よりも、何をするかで人は評価されるべきで、 高尚なかみさまを信じていても、やってることが大量虐殺ならソイツは俺の領域に入ってきたら、何をおいてもまず排除すべきクソ野郎であって、 逆にどんだけイカれた思想でも、やってることが力いっぱい人助けなら、そいつは俺にとってはイイヤツなんだよね。 だから、思想はOSで大事だけど、行動より先に評価される項目ではないね」

ああ、人間関係では実際、SAOのユウキみたいな大胆さを持って色々やったと思う。(その節は大変ご迷惑をお掛け致しました……)

『でもね、ボクは思うんだ。演技でもいいや……って。強いふりをしているだけでも、それでも笑顔でいられる時間が増えるなら、ぜんぜんかまわないじゃない、ってさ。ほら、ボク、もうあんまり時間がないからさ……。誰かと触れ合う時に、遠慮して、遠くから気持ちの端っこを突っつきあったりする時間が勿体ないって、どうしても思っちゃうんだよね。それならさいしょからどかーんとぶつかってさ。もし相手に嫌われちゃっても、それはそれでいいんだ。その人の心のすぐ近くまで行けたことには変わりないもんね』(マザーズ・ロザリオ)

これは俺にとってかなり大事な言葉で、大学1〜2年生くらいはこの言葉を信奉して生きていた。(今でも少し。) 他にも、せんせーから掛けてもらった

「手を見ろ、手を。自分の手が生み出すものを見ろ」 「それと一緒に育ちなさいよ。そういうスタートをする時期だよきっと。」 「自己や親を振り返る暇があるなら俺は何かを生み出せるって自信を持てるようになりなよ」

と(いやこの言葉最強すぎるけれど) でも、これらの言葉を以ってしても、「積極的に死に手を打つ」くらいの精神性で行動することは、出来なかったんだ。


なんであんなに、失敗するのが嫌だったんだろう? と思い返す。 これという理由は無いんだけど、一番コレクトなのは、やっぱり「誤答を差し出すことの効率の悪さと気まずさ」が念頭にあったんだろうなー。「余計な時間と負担がかかる」 失敗して尚、心から褒められることって、あんまり無かった。 正解をとりあえず出しておけば、放置しておいて貰えたし、ともすれば褒められた。 試行錯誤するよりも、スルリと正答を置く方が、なにごとにおいてもスムーズだった。 失敗を繰り返して、死に手を潰すってスタイルを体得するのに、結構かかったのだと思う。 いや、いっそ未完成でも取り敢えず出しちまうことの効率の良さよ。 高校〜大学院のどこかのタイミングで、「間違うことを嫌がって、挑まないことが最低で、それは緩やかな死と同義である」という風にルールが変わってたんだよね。 明確な正答が手に入らなくなった頃からか。 それは「一般学生」 → 「ルール(実のところ)無用社会」っつー転換点が、緩やかに存在したということだと思う。ホント。誰も正解を知らない。誰も正解を持っていない。みんな思ってるより考えていない。

真之の海軍大学校における戦術講義は。不朽と言われるほどの名講義だったらしい。――どういう原典も使わなかった。 「あらゆる戦術書を読み、万巻の戦史を読めば、諸原理諸原則はおのずからひきだされてくる。みなが個々に自分の戦術をうちたてよ。 戦術は借りものでは、いざというときに応用がきかない」 「無用に候」(坂の上の雲・十七夜)

だれも俺の正解は持っていない、ということに気がつくのに、かなり時間が掛かった。 舞さんが幼いオレに言ってくれた 「答えはすべて、あなたの手の中にあるんですよ」 という言葉の、深すぎる意味に、今ひとつ近づけたのかも知れない。


なんか自分が割と無敵で、幸運の女神に偏愛されてる自覚はあるのだけれど、人生はままならないものだね!!



昔、心から共感した会話で 「嫌々(一回入ってしまったし、一度始めたら、やめるってのも嫌で)好きでもないスポーツの部活を高校3年間やってたんやけど、今から思い返すと一日部活のことを思うだけで気が重かったし、いろんなことに身が入らへんかった。ホント時間のムダやったと心から思う」 「あの時間、もっと有意義に使えたやん。って思うんよ」 ……俺は、苦しい状況に耐え続けたら、きっといいことがあるみたいな考え方は不毛だと思う。 ねぇよ。そんなもんw 心身に支障をきたすだけだ。 状況というのは、良くもなるし、悪くもなる。 けど、心がイリイリする様な状況に在り続けて、何かが解決したり、何かいいことがあったり、抜本的に何かが良くなったりすることなんて、無いと断言できる。 無いよ。あるはずない。 むしろ絶対悪くなる。 そういう時にやるべきことは、基本的には『捨てる』こと一択だ。 俺は「取捨選択は『捨』以外は判断していない」と思う。『捨』以外は全部、「とりあえず持っておく」ことと同義だ。判断しろ判断。捨てろよ捨てろ、Simplify (全てに優先して捨てるべきことは、**「自分の大好きなひと以外の有象無象にどう思われるか」**という回路だったりする。人間もっと無責任になるべきだ) 「真の防衛とは正しい状況認識と適度な危機感、そして自分の身は自分で守るという最終的な防衛意識だ」これは余程の例外を除き、大抵の場合、責任よりも優先されることだろう。 目障り、耳障り、気障りなモノやコトは持っておくだけでコストになる。 償却しないといけなくなる。いや捨てろ、まじで捨てろ、すぐ捨てろ。シャットアウトしろ。 だって心が悲鳴を上げているんでしょう?


オレは心理学に救われた性質で、(興味というものを騙せずに)未だに色々と心理学には触れ続けているのだけれど、人間の心は結構簡単に壊れるよ。 極端な話、地下室で3日間拷問され続ける、その前と後とでは、見える世界は違うだろうし、 それと同じ強度に至りうる負荷というのは、現代日本でもフツーに有り得る。 強く在れという言葉を呪わしく思いながら、でもこの言葉に反しない様に生きて来ているけれど、強さにも色々あるのだと思う。 最近は過去の自分に矛盾しない、らしい判断を笑ってしていたいと雑に思う。 「このままここに居ても不毛だな」と切り捨てるのも、ひとつ大事な強さだよねぇ。



落穂① 人間、世の中は基本的には 「自分→世の中」の900倍くらいのレベルで自分に対しては無関心であることを認識するべきだと思う。 「世の中→自分」の注目度とか、ホントマジ無に等しいのだから、憎まれっ子は世に憚ればよいのではないかと思う。……大体の目の前の問題は全く関係ない他人からすると心の底からどうでもいいことだったりするのだから、。三十六計逃げるに如かず。


落穂② 「今まさに自分を悩ませている、目の前に存在する、『自分が大事だと思っているタスク』を、もし投げ出した場合どうなるのか」という仮定の答えは、

  1. 同じことを出来る誰かによって埋め合わされて
  2. その人の目一杯できるレベルまでクオリティーが下がる

というものだと思う。……その程度のことなのだ。 ――命のこと以外は、替えが効くのだから。