座禅は組み終わったので、言語化しよう 最近の行動が、正しく自分らしいのだろうか、という照らし合わせ。


近況

近況を一言で言い表すと、なんという言葉になるだろう? 『自己矛盾の解消のための足掻き』だろうか。 「このまま進むと向こう5年、自分の性質に合わない感じの仕事を続けることになる」 という見立てが立ったまま、「かといって転職もなー」と、 ぬるま湯でダラダラしていたのだが、ふと思い立ってぬるま湯の底を覗き込んでみたら、悪意がドロドロと渦巻いていて、挙げ句こちらを見て指をさして厭らしい顔で笑っていた。 それまでは「顔の見えない有象無象に負けた」 というなんとも言えない感覚だったが、 「顔の見えない有象無象の悪意に負けた」 というクソくらえな状況であることに気がついて、超足掻いた。 こんなところだろう (上記まで、7/30時点の文。以下10/21後記) これ以上は言葉にならず、ある種の判断保留を重ね続けた。結果、一番「あらまほしき」と、望んだところに落ち着くので、何を言われようが正答だと胸を張れる。 いやしかし、選択肢を切り捨てることは、どうも未熟らしい。然もありなん。 訓練がいるなぁ……(大変だ これは生きるスタイルの話だから。


行動原理

世の中に対する遠大なトリック・オア・トリートと言祝いで、遊んでいたけれど、傍目には目的から遠いところで回っているのかもしれない。 最近指摘されて、考えた。 それは初めは会社の都合だったけれど、1年も続けられる言い訳では無いな、と。 友人に、「ポーって、『嫌です』ってあんまり言わないよね」と指摘されて、ああなるほどなるほど、良くねぇな、と思ったんだ。 「世の中に」という尺度が、言葉の割に、俺が想像出来ている領域として、狭いのか。 周りの好きな人がどう思うか?という枠組みから外れていないんだな。多分、『芸を見て欲しいだけの浅はかな犬』から、マインドのところでは脱却していない。 それは世の諸般を有象無象と切り捨てているうちは、遠いのかもしれない。(だとしても急にギアチェンジできる気はしないのだが 傍目に遠いところで遊んでいるように見えるのは、 「世の中に対して何かを投げかける、ということを俺がまだ経験していないからだろう」と考えていたけれど、「準備が整っていないことを言い訳に、何も行動を起こさないのはただの阿呆」と吹聴しているので、これはただの言い訳だと気がついた。(遅い) 「目的と定めた所へ、脇見をせずに向かう」という姿勢は、生きる理由のスコープをどの領域にまで設定するか、ということからドロップされる意識なのかもしれない。 だとしたら、まだまだ先がある。先の考えがある。 もっともーっと上の領域がある。 (でも、俺はそこで遊びたいのかと問いかけると、んー、と浅く笑ってしまう) 意識の階層が合わないのかもしれない。 足りないことだらけだ。 でも、及ばない対象、今のままでは敵わないと思うことの出来る対象が、身近に居てくれることは、この上ない幸せだね。 あんまり、それ以上を求めていないのかも知れないなぁ!