久々に適度な運動をしたら、考えがまとまった


苛烈さが足りない。取り戻さなくては。

自分のどこかに甘えがあって、それがとても良くない。腹をくくっていない。
9月の焚火から、緩やかに波を描きながら、苛烈な精神性に寄っていっている。良い傾向である。

過去自分に一番甘えが無かったのはいつだろう。
誰かの心に、何かを残そうとした時ではないだろうか。

過去の苛烈な時分を振り返り、共通項を結んでみると

  1. 行動原理であるところの、「いたずら」を仕込むために、
  2. 手当り次第情報を貪り、
  3. 手に入る情報すべてを吟味して、
  4. 手触りを確かめて、
  5. 少し透かしてみて
  6. 駆け引きに使って、
  7. 相手の反応を確かめてみて。

そういう遊びを、遊びの外面を保ちながら、
一つの目的に複数の手段を結びつけて、
一番いいもの以外はサッパリと捨て去るような手順を繰り返す、
そういう精神性が根ざしている。

「あれだけ頑張ってたのに、そうも簡単に手放すの?」
「うん。だってもう分かったから」
「怖いのね」
「だってそんなものにこだわっていたら、間に合わないから」
「何に?」
(アナタの横に、並ぶのに)


精神的苛烈さというのは

  • 目的を達成するために、八方十全十二分に手を尽くすこと
  • なりふり構わず、人目を気にせず、カッコつけず、自分の主張を持つこと
  • 主張に固執せずに、考えること、考えを前に進めることを恐れないこと

この言葉に集約される気がする。後一つあるとしたら、危機感か。
手段を選び、手数を講じ、
「これでいいや」という甘えをなくす。
我が意を通す。負けないという意思を持つ。
おそらく、前提には選択がある。

「ここは譲れない」
「ここはこだわりである」
「知らないままにしておくことが、(自発的に)出来ない」

己の価値を己で決める覚悟の様なものが必要なのだろう
そしてそれはきっと、過去未来を通して連続する、
自分の思想と相反しないものなのであろう
そしてそれは今は珍しく定まっている。