久々に適度な運動をしたら、考えがまとまった
苛烈さが足りない。取り戻さなくては。
自分のどこかに甘えがあって、それがとても良くない。腹をくくっていない。
9月の焚火から、緩やかに波を描きながら、苛烈な精神性に寄っていっている。良い傾向である。
過去自分に一番甘えが無かったのはいつだろう。
誰かの心に、何かを残そうとした時ではないだろうか。
過去の苛烈な時分を振り返り、共通項を結んでみると
- 行動原理であるところの、「いたずら」を仕込むために、
- 手当り次第情報を貪り、
- 手に入る情報すべてを吟味して、
- 手触りを確かめて、
- 少し透かしてみて
- 駆け引きに使って、
- 相手の反応を確かめてみて。
そういう遊びを、遊びの外面を保ちながら、
一つの目的に複数の手段を結びつけて、
一番いいもの以外はサッパリと捨て去るような手順を繰り返す、
そういう精神性が根ざしている。
「あれだけ頑張ってたのに、そうも簡単に手放すの?」
「うん。だってもう分かったから」
「怖いのね」
「だってそんなものにこだわっていたら、間に合わないから」
「何に?」
(アナタの横に、並ぶのに)
精神的苛烈さというのは
- 目的を達成するために、八方十全十二分に手を尽くすこと
- なりふり構わず、人目を気にせず、カッコつけず、自分の主張を持つこと
- 主張に固執せずに、考えること、考えを前に進めることを恐れないこと
この言葉に集約される気がする。後一つあるとしたら、危機感か。
手段を選び、手数を講じ、
「これでいいや」という甘えをなくす。
我が意を通す。負けないという意思を持つ。
おそらく、前提には選択がある。
「ここは譲れない」
「ここはこだわりである」
「知らないままにしておくことが、(自発的に)出来ない」
己の価値を己で決める覚悟の様なものが必要なのだろう
そしてそれはきっと、過去未来を通して連続する、
自分の思想と相反しないものなのであろう
そしてそれは今は珍しく定まっている。