iMac 27 inch 5K
iMac 27 inch 5K フルチューンで36万円くらい。 非常に欲しいし、いつか多分買ってしまうんだけど、 とりあえず欲を抑えるためにMagic Mouse 2を買った。 しかし36万円か……困ったねw 株を売れば買えるのか。うーむ。
iMac 27 inch 5K フルチューンで36万円くらい。 非常に欲しいし、いつか多分買ってしまうんだけど、 とりあえず欲を抑えるためにMagic Mouse 2を買った。 しかし36万円か……困ったねw 株を売れば買えるのか。うーむ。
年末・年越しという感覚が、年々薄れてきている感じがしていて、 それはなぜだろう? と漠然と考えていた。 子供の頃は毎年、七尾の祖母の家に帰省していた。 年に数回しか会わない従兄弟と暴れまわるのが何よりの楽しみだったのだが、その祖母の家も、もう代替わりして、従兄弟の子供たちが暴れまわるようになったらしい。 場所か、匂いか。 なぜだろう? と考えていたが、 「元旦からどの店も営業する様になって、年越しに向けて買い込まなくても良くなった」って記述をどこかで見かけて、 ああ、これはそのとおりかも知れねぇな、とか思った。
2017年は反射神経だけで生きていこうと思う。 存在しない神経で、勘と、間と、が作り出す、粋とか妙とかの空間で生きる。 今年はこうなりたい、とか、そんな感じの予定を立てない。やりたいこととかも、具体的には想像しない。「こうすればこうなる」みたいな回路を(みんなの迷惑になる or NOTだけはちゃんと踏まえた上で)極力回さず、 目の前と手元に来た現象を、即殺し続ける感じ。 荒れ狂う殺劇の宴のように即殺し続ける。(殺劇舞荒剣) そう。いうなれば、**下半身だけで生きる。**面倒なことばかりを考えるこのアタマを行動から抜く。 衝動で生きる感じ。 足の赴く方向に向かって、自分に対して自分を偽らず、邪気を無くす感じ。 ……これまでちゃんとやってきたし、考えないオレも、そんなに変な選択肢って選ばないと思うんだよね。 なんか違和感を感じたら、その時はちゃんと立ち止まって考えるよ。 ≪蛇足≫ モデルケースとしてはアレですよ。P5のジョーカー。 ホントカッコいい。まじスタイリッシュ @イブラジにて 「今年はオレ、Gackt様と藤原竜也と棗恭介を足して3で割った感じになろうと思う」 「ほう」 「その3つを足すとP5のジョーカーになる」 「Gackt様要素、だいぶ強いな?」 「折れた翼を羽ばたかせ、すべてを消してみせよう……(REDEMPTION)」 「Gackt様だ」 「Show Time!! ……その身に受けてみろ……(ジョーカー)」 「どうしよう、やっぱGackt様要素、強いな」
2016年のことを考えつつダラダラP5やってた(ジョーカーカッコいい!!)んだけど、 やっと言葉になった。 「こうなればいいな」と思って弾を込めて撃ったら、大体ほぼ全弾外しきった年だった。 ホント、尋常じゃなく外した気がする。 なんなら途中から「外すなー、コレ」 みたいな想像がつきながら弾を撃ってた自覚がある。 外れるは外れるんだけど、外れた先で何かに当たるから、ちゃんと経験値は入る……んだけど、 いや違うからね? と失笑する感じ。 弾はタダじゃないし、俺のMPは無限じゃないのよ? 11月〜12月にかけては、基本的になにか新しいことに手を出すでもなく、何かを学習するでもなく、基本的にはぐーたら生きていた。 ツいてねー時にジタバタしても、あんまりいい目は出ないんだよな。 ↓↓ 精神的にはこんな感じ ↓↓ **「停滞」**があるのだ。(キリッ) 初手で死に覚えは、俺にとっての勝ちパターンだったりするから、必要よりも余計にアクセル踏んだ自覚はある。……んだけど、もうちょいなんとかなっても良くねぇか!? と思わずには居られない一年だった。(振り返ってみるとね) まぁ、その時々で反省はもちろんあるんだけど、実に俺らしい選択肢を選び続けてきたから、仕方がないw 仕方が無いって言葉は、後ろ向きに前向きで好きだ。(TOB?) 一旦受け止めて、ゆったりと落ち着いてから、前に進む。 体感としては、2拍。2拍タイミングがズレていた。 尺度は事象によって様々だけど、全ての事柄で、前に後ろに2拍ズレている感覚だ。 誰かに言葉をかける、少し黙る。 自分にゴーサインを出す、今が引き際だと判断する。 その場から動く、待ちすぎる。 それら全てが、往々にして2拍ほどズレていた。 2ヶ月だったり、2秒だったり、2分だったり。 オレの中の適した時間感覚。……今だ、って思うタイミングから、1呼吸半ズレてた気がする。 原因はなんだろう。分からない。そういう星回りだったのかも知れない。 もしかしたら、学生だった俺のペースと、世間のペースを擦り合わせるのに必要な感覚を養ったのかもしれない。どこで札を出したら勝てるのか、的な。一般解は大事。
昔ネット上で一瞬だけみとせのりこさんと絡んだことがあって、 その時に彼の方が仰って下さった言葉の一節に、 「今を呪う気持ちと、未来を望む気持ちは、同質のものだと思うのです」 という言葉を頂いて、以来ふとした時に思い返す。 その2つが、表裏一体のものであると、一体誰が気がつくのだろう。 誰が今を呪っている時に、本当は未来を望んでいるのだと気がつけよう? とても美しい言葉だと思う。珠玉。 しかしどこか悲しい言葉だね。
家族観に関しては、何度も綴った気がする。 確執はあったし、俺はそれを忘れることは、恐らくないだろうと思うのだけれど、 母親や父親と、休日に焼肉に行ったり、 仕事帰りの母親と下校時に合流して、美味しいものを食べに行ったり。 1回だけだけれど、家族旅行をしたり。 そういうのは、代え難い幸せだったと、今の俺は思う。 「ああ出来たら、こう出来たら」という感覚は、無い。 やっぱ幼少の俺は常日頃は家に帰りたくなかったし、「このまま居なくなることが出来ればいいのに」と何かに対して願い続けた日々は、無かったことには出来ないけれど、 ふと思い返す、いい記憶も同様に存在して、 ああ、幸せだったな。 と心から思う。 「いつか恩義に感じることの出来る日が、きっと来ます」という氷上の言葉まで届いたのだと、 そう思う。
仕事としてお金を扱うようになって、 まぁ謂わば経営というものに、少し関わってみると、ちょっとずつ視野が拡大されてゆく。 高校生から大学生になった時、みたいな。 今勤めている会社に対して、あまりにも未練が無い。 学生の頃思い描いていた職種から程遠いのもあるけれど、なにより「この会社にやりたい事業、もう残ってねぇしなぁ〜」なんて。 口座にお金が無限に有っても、今の俺は目の前の仕事をやるだろうか? とたまに自問する。 「まぁ向こう4年くらいはYesだなぁ〜」 と思う俺が居て、あぁ、期限は5年なのかと自覚する。 俺の行動原理は、今も昔も本質は変わらないんだと思う。 「世の中にイタズラを仕掛けたい」 邪気のないトリック オア トリート。 それが多分、俺なりの「明朗・溌溂・無邪気」の尺度なのだと思う。 今の俺の現状はギャグを体現して居てて、自分で自分を笑ってしまう。これはおもしろい。 でも、多分どこか、いつかのタイミングで、俺は俺の現状を許せなくなってしまうんだと思う。 そんな予感は、確かに自分の中に存在するのだ。 それは今ではないけれど、多分そんなに遠くない。
3月まで学生だった。 学生時代にやり残したことは、友人4人でシェアハウス以外は特に無い。 そして多分これは並行世界の俺は実行しているから量子論的にはノーカウント。 学生から社会人になって、8ヶ月目。 学生とは、なんだろうな? とたまに考える。 随分長く学生をやらさせてもらったものだが。 あの時代はなんだったんだろう? と考える。 今と比べてどうだろう。 何かが変わったかといえば、あまり何も変わらないものだと思う。今も昔も。 やっぱり今の俺はあの頃の俺の思想的な地続きの先にあるものだ、と感じる。 何故エンジニアになる気満々で修士を出て、エンジニアリングに一瞬も触れずに経営層に突っ込んでいるのか俺には分からないんだけど、 この現状はなかなかあるものでは無いから、シチュエーションとしては既知のものって感じはある。(常に「こんなはずでは」「何故俺はここに居るんだ」と自問する人生だった)(決して社会的に低くない地位ではあったけれど、本意ではなかったものな)(斜め上にしか動けない縛りの人生) 俺の心持ちで何か変わったかと言われたら、多分そんなに変わらない。 物事に、向き合う姿勢は、多分学生として過ごして来た半生でちゃんと培われた。 学生生活は、ほどほどに手を抜きながらも全力だった。代え難いものだった。 恵まれた環境だった。 修士の時の恩師に 「2年でこれだけの成果を出した生徒は初めてでした。どこ行って何をしていても、キミは活躍できる人だと思います。応援しています」 という言葉は、やはり嬉しかった。 学生生活を思い返して、俺の中に浮かぶ感慨は、 よい物語を読んだ後で、あぁ、とても満足だ。と自然に笑みが溢れて、 本を閉じる。 そんな感覚だ。
舞さんが昔言っていた。 「分からなかったことが、分かるようになるのは、すごく嬉しいことです。 世の中でこれに勝る喜びなんて、そうそうありません」 「でも、きっとやっぱりそれと同時に分からなくなってしまうこともあるんです。……これはとても寂しいですよね』 以下蛇足 この話の最中だったか、別のタイミングでだったかは忘れてしまったけれど、 「暗闇が怖かった時代もあったのに」という言葉が出たんだ。 俺はこの言葉が凄く好きで、……凄く憧憬的な言葉だと思う。 「暗闇が怖かった」ってのは、誰しもの心にある原風景だと思う。 モチモチの木で、豆太が夜怖くて小便に1人で行けない。みたいな。 そういう怖さが、誰の心にもあったはずなのにね。 もう忘れてしまったよ。 夕日に伸びる影をふしぎに思ったこととか、みんなで鬼ごっこしてて、ふと冷静になった時の風の心地よさとか。べたつく汗が気にならないくらい遊んだこととか。 そんな時代があったんだ。 樋口一葉のたけくらべを読んで、 「今とても高尚なものを読んでいる!」みたいなテンションになったのだよね。 あれは小4の時か。 でも、読み終わって心に残るものが無かったんだ。 精神年齢が、その作品を分かることが出来るレベルまで達していなかったんだと思う。 なのに、「今凄いものを読んでるんだぜー へっへー」みたいなことを思った自分が居て、でも読み終わっても俺は何も得られて無くて、ああ、これ意味ねぇな。と思ったんだ。 本を読むのならば、俺は一番楽しめる年齢で、一番楽しめる作品を読んでいたい。 わからない作品を、分かるフリをして読むのは愚かなことだと思うし、 「ああ、この本はいい本だけれど、もう少し前の自分だったらもっと楽しめたのに」と悔しく思うことも嫌なんだ。 常にギリギリ楽しめる最高のものを読んでいたい。 思想的に地続きでありたいのかもしれない。 飛ぶこともきっと出来るんだろうけれど、飛ぶことはちょっともったいないと思うんだよね。 そのレイヤーにある凄く魅力的なものを横目に飛ぶことは、やっぱりもったいないと思う。 知識と経験のバランスをとって居たい。 そう、飛んじゃったら多分、頭でっかちになってしまって、経験が追いつかない。 経験が追いつかないということは、哲学が追いつかないってことで、それはやっぱり肚に呑み込めて居ないんだ。 対象年齢は大事だ。 対象年齢ギリギリの最高のモノを読みながら、対象年齢がちょっと上のものを手に入れ続けることも大事だ。 思想的に地続きであるということは、きっとそういうことなのだと思う。 多分、自明にクレバーでありたく無いのだな。 勝てる試合で勝ちたくないのか、 経験値効率を最大化させたいというか。 そういう算段を、ずっと立てていたい。
どんなタイプが好きなの? と訊かれて、大抵の場合。 ……返答に困る。 母親のおかげで、10人居れば2人には「イイ」と言ってもらえる顔に生まれついたとは思ってるんだけど、(いや分かんないけどさ)(まぁ初対面で嫌悪を覚えられなきゃ十分だ) やっぱり多分オレは根本的には人間嫌いなんだ。 「愛の無いエッチはダメですよ??」 と氷上に釘を刺されて以来今生、あんま愛の無いエロには手を出せていない。 もう年齢も年齢で、んなピュアなことばっか言ってんじゃねーよぅ。と、いざ愛の無いエロに手を出そうとしたら、もうホント寸前も寸前で、(いやともすればチョットだけ踏み越えたとこで)頭の中で氷上が**「本当にいいんですか!?」「もう知りませんからね!?」** みたいなことを、うら若い感じで(あの人がまだどっかで生きていてくれるのなら、俺の年齢+19ですよ?)(← もう魔女の域ですよ)(……多分若いんだろうけどさ) 警句して来て、オイオイまじかよ。 と色んな意味で天を仰いじまった。オメー俺がここまで来るのにどんだけ労力と決心を。マジかマジかよ。みたいなことを。いや、俺の脳内で起きてることですけども。三つ子の魂というか、あぁ、これが躾というやつか。と。 昔々、夕陽の差し込む喫茶店で、指をピンと立てた氷上が、「貴方はきっとこのまま行くと、女で身を滅ぼすと思うんですよ」「優しいですし、節操無いですし」 「そこで祝福をあげましょう。だから契約です」と言い切った。 今から思うと「何言ってんだ……。」って話なんだけれど、 当時の俺は彼女には大人扱いされたかったわけで。(正直、信奉と言っても過言ではないくらいもうゾッコンだったし) 一方で、(今でも多分)本質的には甘えたがりのガキだから、なんだかんだとイチャモンをつけながら、貰えるものは貰うよ、と捻デレたんだと思う。 んでいざ何さと問うと、 「本当に好きな女の子以外とエッチなことをしなかったら、貴方はずっと女神の幸運を与えられ続けます」「………それ、オレが別に好きじゃない子とエッチしたらどうなるんだよ」「多分死にます」「……呪いじゃねぇか」 こんなことを今でも全面的に信じている訳ではないけれど、(いや、大学2年まではなんだかんだと信じてた気がするけど)サイエンス教に入信しなおしたあたりから、 アッハッハ まぁまぁよろしく護ってくれよ? って笑う感じに捉えるようになった。 多分精神的な距離がちゃんと氷上から離れたんだと思う。前にも考えたけど、会えもしない人にいつか会えることを期待して、裏切らないように、って生き方は、男としてどうなのよそれ。自分の足でしゃんと立ちなさいよ的なことを毒杯を飲み干すテンションで受け入れていったんだ。偉いぞ二十歳近辺の俺。 ……ほら、年齢重ねると身綺麗ばかりでは居られねーのさね。 けどまぁしかし、いざそういう感じになってみると、頭の中で警告されて、マジかマジかよとなって、思考停止していた。 やっぱ愛の無いエロはダメなのかなぁ〜みたいな感じで敗戦の感覚(笑)と同時に、どっか清々しく感じてたんだけども(あぁオレはやっぱりそーゆーのは向いてねぇのか、みたいな感じで)(ハイハイハイハイ、ニュートラルポジションはやっぱりそこなのね? みたいな) まぁでもしばらく例によって濾過の時間を取ると、体験と感情に対する言語化が進む。(自動式) ふと思い浮かんだのが、身体を異性と合わせた後の残り香について。 身体洗ってもどっかにしばらく残る相手の体臭。 「生臭坊主」って表現の意味、昔は分からなかったけれど、今は分かる。いや、分かる笑。 そうだよね、性って生臭いものなんだよね。 知らなかった。 好きな人とエロいことして、その残り香を含めて、生臭いと感じたことは無かった。 むしろ、離れてもしばらく付き従う相手の残り香に、好きな人を思い返してどこか切なさを感じで「フフッ」ってなる。 愛しさが募る。心がくすぐられる。 けど、愛の無いエロだと、その残り香に対して、少しの以上の嫌悪感があるんだな。 民族臭って概念をどこかで読んで、「ああ、俺これなんとなく分かる気がする」って思った記憶がある。 上記の嫌悪感は、多分俺の理想が勝手に高いのと、俺が性的にスレてない部分(謂わば愛の無いエロに対する慣れて無さみたいなもの?)に由来するものだろうか。 分かんない。セックスは奥が尋常ではなく深いし、人生は短い。 これから極める機会が来るのかなぁ。……どうなんだろう。エロを極めた俺というのを、俺はあまり想像出来なくてちょっとおもしろい。 愛とか恋とか、世は推しなべて失敗例ばかりさ。 どんなタイプが好みか。 わかんない。 オレはなにを以って人を好きになってるんだろうね。 外見から入って? 哲学を訊いて。 それで、はじめてイイって思う気がする。 「人は外見ではないよ」 「オレは顔の美醜はあまり分からない」 とか偉そうにのたまっておきながら、好きになったり付き合う相手は全員美人だったみたいだから、俺は俺のこのセリフと考えをあまり信じていない。 ま、面構えには人生が出るらしいからな。 その辺を見てるんだと思うんだけど。 同じものをイイと思って、でも違うからこそ興味を持って。 愛というものは難しいと常々思う。 まぁでも「それでも人は誰かを好きになる」んだ。