90にして奥義を極め
画聖・葛飾北斎の、齢75にして構え直した志 「故に八十六才にしては益々進み 九十才にして猶其(その)奥意を極め 一百歳にして正に神妙ならんか 百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん」 中段、九十歳にしてその奥義を極め あんま長生き出来る気はしないんだが、俺はこの言葉がとても気に入ったから、その方向に向かいたいなぁ、と思う
画聖・葛飾北斎の、齢75にして構え直した志 「故に八十六才にしては益々進み 九十才にして猶其(その)奥意を極め 一百歳にして正に神妙ならんか 百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん」 中段、九十歳にしてその奥義を極め あんま長生き出来る気はしないんだが、俺はこの言葉がとても気に入ったから、その方向に向かいたいなぁ、と思う
四柱推命より <長生の年> 運気(+1)。 母胎を離れ産声をあげた状態。 順調。豊かな可能性。 <正官の年> 正財とは独力で財を稼ぐの意であり、正官とは自己を律することができるうようになった意であり、規則を守り、世の常道を理解できる一人前の人間の意です。社会人となってやっとサラリーをもらい「人間」としての身分と称号を授かった段階の意味であり、世に受け入れられ本人もこれからという段階と言って良いでしょう。十干サイクルの第5星にあたり真面目に律儀にやっていこうとする星です。周囲からは「優等生」のレッテルをもらって本人も素直に受け入れて更なる努力をしていこうとする年回りになります。昇進や賞与をもらえる年で、目的の一部は達成されます。しかし、なんと言っても人間社会では青二才に過ぎず、それではやっていくことはできません。順風満帆ながら、いまいち収穫や完成にはほど遠い段階と言えるかもしれません。仏法では「作」の段階の意であり、周囲や社会に作用を及ぼせる段階になった意です。 2015 九紫火星-坤宮 二黒同会 坤宮に回り合わせたあなたは、現在置かれたあなたの立場と環境に不満を持たずに何事も堅実に努力する事が大切な時です。と言うのは、徐々に運気が回復している時ですから、思い切った行動をとるよりも、長い将来を考えた堅実な行動やプランが、結局はあなたの為になるからです。ビジネス面では着実に営業成績の上がる時です。それも、旧来の事業や計画にさらに力を入れる事によって、収益が上がる傾向があります。家庭的には、子供や配偶者に関する問題が起こります。それも概して喜び事になるはずです。対人関係などもまじめで誠意のある交際が活発になる時です。アドバイスとしては、不動産運のある時ですから、土地を買うのも長い眼で見たら良いかも知れません。 方針;基本的には地味に生きる 程々にやるべきことをやり、 将来のために取捨選択をする 省エネバンザイ 「〜があればもっと出来るのに」 「〜が無いから出来ないんだよ」 みたいな言い訳はしない。取り敢えず死ぬ事以外はかすり傷。 人間、命の事以外は取り返しがつくので、その辺は大胆に生きようと思う ケチらない ・特に、ニーモシネには積極的に書き込んでいく ・時間的な意味でも、無駄は割と無駄じゃないから、面倒だし時間のかかること、からこなすようにする
「いき」とはーー 運命によって 「諦め」を得た「媚態」が 「意気地」の自由に生きるのである 媚態 手に入らないものに対しての憧れとか、強烈に焦がれる感じ 割とチラリズム的な 自分と異性との間の緊張状態のこと いき、の基礎 意気地 自己に対する制約 武士は食わねど高楊枝的な、「武士道」によってもたらされた信念 諦め 垢抜けしてあっさりしている様 世間の裏切りによって得られる仏教の「無常」の観念に近いもの 上品さ、渋み、上流さ 世情に通じていて、人情を理解している やってしまうと無常しか残らない、 自分の器を理解して、そうなる前にあえて距離をおく そのいさぎよさが我々に特別な美をともなってうつるのでございましょう
誰かを貶していいのは、相手の正面に於いてのみ ――忌み嫌うべきは、ただの情報を分析しただけで、本人のことをよく知りもしないのに、その人を判断して、知った気になって、悪評を連ねるような輩 何事も話をすることから始めるべきなのだ φ 徹頭徹尾、自身でやった事以外は、誇ってはならない ――生まれ落ちた時からすでに母の世話になっているのだから、此の世界で誇れるものなんて何もないじゃないかと言ったら、彼女は"終わったことより、先のことを考えなさいな。誰しもが同じように生まれますが、死に方は選べるのですから"そう言って、柔らかい手で僕の頭を撫でる。 答えになってないぜって笑ったら、“そうやって笑えるうちは、貴方は生まれたことを自慢していいってことですよ"と、意地悪く微笑して抱きしめるのだけれど。 φ 己の為に動くのならば、その責任全てを背負う覚悟を 誰かの為に――本当に…本当にその人の為になることを願い――動くのならば、その人が自分で悟るまで、己の善意であることを、その人に悟られないように尽くすこと ――言葉というものは、とても難しい。 純粋な気持ちでさえ、言葉に落とし込んだ途端に、そこにある輝きは失われてしまう。 だからといって、他人の言葉を疑ってかかるほど歪んでしまっていた人間不信に対して、“だけど、言葉が無ければ、何も伝わらない"と諭した少年の言葉で救われた誰かが、確かに居たのだけれど。 言葉の価値は、発する時や、人に依存する。 欲しい時に、欲しいことを、相応しい姿勢で告げられたのなら、その値打ちは、いかほどだろうか? その一言で心を救われたのならば…それは…それは…どんなに…… φ 男は背中でものを言え ――黙って行動で示せ、と(笑) どこか、善意の項と似るのは、其処には通さなければならない筋があるということ “なら、女はどうなんだよ?“と聞いたら、 “さあ?“と意地悪く笑った後に、 “私は、その、男性が示して下さるその心に気付く事ができる位には、聡明であろう、と心掛けておりますよ"と。 何処かで敗北感を覚えたのは、嘘ではない。 φ 考えることを、恐れてはならない けれど、曖昧なままであることの素晴らしさもまた、理解されるべき ――後半は、日本人であれば、自ずと理解できるもののような気がする。 ただ、前半の項は、未だに理解しきれない。 ああ、考える、ということは、……どうなのだろう? 知ってしまってはいけないことに、辿り着く。 ソレによって生まれた感性で今までとの認識との差違に、傷つく。 ……それでもなお、恐れを禁ずる。 “答は常に、自分の中にあるのです” 彼女はいつも、“考えることに疲れた"と、匙を投げる僕に対して、そう諳<<そらん>>じる “その自分に呼びかける為に、私たちは世界を学ぶのです” ………… オレは。 オレは未だ、この言葉の解釈を、諮<<はか>>りかねてる、 φ 道具は使い手を選ぶ ――短いにしろ、真実なのではないか、と。 “だから、他に持つべき人がいて、その人がそれを自分より遥かに活かしてくれると認めることができたなら、惜しむ必要はないんですよ?” 痛み入る。 φ 物質的なものに未練を抱いてはいけない ――実際はとても難しい事ではないかと思う。 彼女は、“愛着と、未練は違いますよ?” わかりますよね? と。 反論するのなら、 ソレは互いにとても近い感情だぜ、と。 仕方ありませんね、と、少し嬉しそうに目を細め、片方の手のひらをオレの頬に添える。 “捨てる、という決断は、時に英断です” なぜ? 彼女はもう片方の手を、オレの小さな手に添えて、 “そうしたら、空いた手で、次に掴むものを選べるのですよ?” 何かの宣誓の様に、ソレに口づけをする。 半分、納得がいったけれど。 質問の答になってはいないな、と “でしたら、残りの半分は、経験で埋めて下さいな” ……今ならば、 物じゃなければ、惜しんでいいのかい? と、キザったらしく返すのだろうが φ 後悔のない選択肢などないのだから――せめて可能な限り後悔の少ない選択肢を ――考えて、考えて、出した答えは、貫き通す。(空気王) それが、自分の最善だと信じるから。 けれど同時に、それは自分の為の行動だから…… “非があるのならば受け入れる勇気を” 頷きはしたけれど逃げられないことはとても怖いことだと、……そう思った。 φ 丁寧に生きなさい ――字がきたないのと、丁寧に書かないのは違うのです。わかりますか? 意識の有無、意志の強度。 漫然と生きる生に価値はない。 なぞるように、丁寧に。 死の淵で後悔しない様に。 ...