コンプライアンス その2

俺は、俺の発言で誰かの心持ちが変わるのならば、 変わってしまえ、と思う性質なのだ。 「ニーチェを読むのなら、ニーチェの様に暮らしてみろ」 「一挙手一投足をもって、その人間をなぞれ」 「それでもってなお『残るもの』だけがオマエの個性だよ」 友人の進路に口を出したことがある。 それで友人は進路を変えた。 俺は俺の指摘が間違っていたとは(今でも)思わないし、後悔とか有ろう筈がないんだけど、どっかで、 「良かったのかなー?」 と一縷思う俺が居た。 その答えはまだ出ないんだけど、(全ては結果論だもの) (なんで俺は口出したんだろう??) とは、頭の片隅でずっと思っていた。 最近、件の友人と遊ぶ機会があったので、話しているうちに、少し納得があったので以下に。 答えはアレだ、 「自分の世界」を友人があのタイミングで持っていなかったから、 俺と、俺の友達連中は殴りに行ったんだ。 俺は友人の持つ世界が大好きなのに、それに反することをしていたから、 「オイちょっと待て、ちょ待てよ」 と言いに行ったんだな。 「例えば、俺は今いろいろあって経理をやっているけれど、まぁいわばある種、今の状況は俺らしいと思うんだw」 「せやな」 「でも、例えば俺が今、『いろいろあって水素水を売ってるんだ』っつったら、多分オマエラ俺のこと殴りに来ると思うんだよね」 「wwwwww せやなwwwwww 『それは無いだろ!!』とか、『せめてもうちょっとアタマ使ってくれよ!!』とか、殴りに行くなぁwwwww」 「だろ?w これって、多分なんだけど、俺が(おまえらがいいと思ってくれた)過去の俺の信条に反することだからなんじゃねぇかな、と思うんだ」 「殴らずにはいられないね」 「かかってこいやァ」 きっとこれもコンプライアンスの一種なんだと思う。 自分らしさとは変わっていくものだけれど、「過去の自分を嘘つきにしない」ことは少し気を払っていたいものだと思う。

2016年10月6日 · 1 分 · 32 文字 · Keito Fukushima

ハヤタの天才性

ちなみに僕は天才という言葉が嫌いだ φ どういう人が天才と評されるかを考えた時に、 ある集団のおおよそ1.2倍、(なにかを)上手くこなすことが出来るのならば、その人は(その集団においては少なくとも)天才と評されるようになるのではないか、 と、俺は思っている。 細かく定義したところできっと意味はないだろうし、大抵の物事というものは『時と場合による、』という超絶便利な結論が大半を占めるのだから。(今回もそういう話ではあるだろう) 1.2倍出来ることには、理由があると思う、 たとえば、それだけ多く時間を使っていたり、 たとえば、それだけ効率を意識していたり たとえば、工夫して違うやり方を編み出していたり、 たとえば、上手くやるためにたくさんの文献で読んだ経験を活かしたり たとえば、単純に既存の無駄を省いたり たとえば、他人が知らないツールを使っていたり たとえば、過去の似た経験が活きていたり、 そしてたとえば、上手くいくための考え方をしていたり。 ……考え方。 φ 時間という絶対的な支配者をどう捉えるか、それこそ人によるのだろうが、僕は最近こんな風に捉えている 「平等に与えられる、浪費可能な資源」 と。 φ ユダヤの諺だけれど、 「場所を取らない物が無いのと同じ様に、 時を持たずして生まれてくる人間も居ない」 ……凄い言葉だと思う。少なくとも、俺は自分の中からこの言を生み出せる自信はない。 私事ではあるけれど、 俺は割と無駄に便利な小物が好きで、(その無駄に便利な小物というものは、後から考えるとそこそこに、無駄な物、に分類される上に、(これは趣味だが)本に関しては、その本と、本に書いてある内容が(少しだけ未来の)自分にとって必要、もしくは一読の価値アリ、と断じた瞬間に読む時間があれば際限なく買うが故、金遣いが荒い方だと自分を捉えている。(まぁ、その買ったものを無駄にしない位には使い倒している気はするのだが) 最近は部屋に物が溢れていて、場所を取らない物は無いという言葉は自戒の念を禁じ得ない(笑) そして同時に、時間についてのユダヤの考え方に感動したのだよね。なるほど、と。 φ 時間は大事だと最近、切に感じる。 人生は後半の方がはやく過ぎ去る様に感じる理由は(答え合わせはまだだけれど)過ごした時に比例するだけの経験から、一瞬でより多くのことを感じ、考える様になって、だからこそ多くのことをしたくなるからではなかろうか。そして同時に残された刻限を(これもまた同じ様に、知識と経験から)想像出来るが故に、焦燥感と危機感に、意識の何処かで苛まれるからなのではないか、と思う。……、ああ、後、考えたことを実行するだけの体力と精神力の衰退もあるのだろう。バイタリティ大事よね……、 しかしそれは懸命に生きたからこその感覚なのかもしれないと思う。だから僕にはまだわからない。 早く感じるということにはきっと理由があるのだろう。……僕にはまだわからない。 人間は、自分にとって新しいことをしている時は、長く時を感じる、というTIPSを読んだ。(信憑性はわからない)しかし、そういうものかもしれないな、とも何処かで思う。 新しいことをするのはストレスであると同時に愉しみなのだろうな、と思う。 一生(どのような形であれ)勉強というものが続くのは、なんとなはなしに今の時点で予測がつくのだけれど、俺は「既存のものをよりよくする」エンハンスenhanceという概念がとても好きだ、愛している。……、いや、、今回関係ないな、この話は。 φ 年をとるにつれて安寧を求めるようになるのは自然なことだし、知らないこと、というのは減っていくのだろう、と俺は考えている。 まるで安寧を悪いことの様に言っている様にも捉えられるかもしれないがそんなつもりは無論、一切ない。それを得るための努力以上に尊いものはこの世界にそうそう無いと思う。僕も安定が欲しい。(そして失いたくない) この世界で味わいうる全感情を味わってから死にたい。 それにはどうも孤独と愛が足りない。 (やっと家族の軛から一時解放されるので、存分に力を振るおうと思う。……決意は無為になることがどうも多いので考えた、程度に留めおこうと思う。(どうもそのほうが試みというものは成功しやすいようだ) φ これもまたユダヤの諺だけれど、 「人間は暇になったら政治を始める」 そうだ、(この言葉の意味はまだはかることが出来ていないけれど、世相を見ていると自然と納得がいくような気はする) φ なんだか話が逸れ過ぎているので話を戻そう。 ……天才性と考え方について。 僕は、他人に感心出来る点があれば、それを自分なりのレイアウトで可能な限り真似して取り入れようとする習性がある。(高校の近しい友人にも多く見受けられた。要は;『勝手に学ぶ(パクる)』) その行為は単純に楽しい。 φ 天才性と考え方。 友人に一人、(これは人間に対して使う言葉ではないと強く思うけれど、)「ふつうに意味がわからない」人間が居る。 ……彼のことは俺は理解を半ば放棄している。きっと何処か似ているにも関わらずカバー範囲が違う。 (この感覚は大して珍しいものではないようだ。……、ただ、彼に関しては恐らくレアケースが過ぎるのだろうと思う。 まぁいい。 結論に急ごう。 φ 菊池隼太の天才性の要因は幾つかあると思うのだけれど、 一つ、とても大きな要素として、 「イメージの抽象的深さと、それを現実世界に持ち出す手法についての勘の良さ」 は大きな要因ではないだろうか φ 後の俺にも分かるように言葉を加えておくと、 「イメージの抽象的深さ」というのは、言語化しない段階でのイメージのこと。 状況を規定した後はパフォーマーに任せて、「結果として上手くいくかどうか」のみを判断するという様な。 彼の言葉だが、 「『全てのことは想像に始まって、想像に終わる。いいか?想像出来て、出来ないことを俺に教えてくれ。 人間が飛ぶことが出来ないのは飛ぶ構造と機構と、それを動かす様子を委細、想像出来ないからだ。だからそれ(人間が外部ツールを使わずして飛ぶこと)は不可能だ。 ――逆に想像が詳細にわたって可能な上で出来ないことなんてこの世に無いんだよ、』 って、俺の親父は俺に常に言っていたんだ」 「んー、全員が楽しむことが出来る状況は、俺は想像出来なかったんだよね。無人島に、あの人数で行って、何人かは確実にどうしていいか分からなくなる。 そこでお前やドヤさんみたいな人間を、あの"島"っつー空間に置くんだよ。そしたらああ、これは大丈夫だ。パースとして足りるわ、ってなったんだよ。 俺がやるべきことは、端っこでつまらなさそうにしてる奴を楽しい側に叩き込むことで、それでなんとかなりそうだったんだよね。」 「いや、イメージが湧かへん。絶望的やw」 「昔、数学者が女と付き合ってて、結婚寸前までいってフられたんだよ、あなたのことがわからないって。 そしたらその後で別の、これまたいい女が、 そうね、あなたとの結婚生活は想像出来るわ、 っていって、そのいい女と結婚することになったんだよ、 俺はドラマのそのシーンを観て、いいなぁ、って思ったんだよね」 ...

2014年1月22日 · 1 分 · 147 文字 · Keito Fukushima