Webは時間を表現しようと画策している
タイトルだけ、去年の3月にノートに残してあった。 久々にデジタル文献の整理に時間を割きたくなったので、これに文言を足してみる。 Webは時間を表現しようと画策している。 なんとなくそんなことを感じる。 そういう進化を辿っている?? どこへ行き着くのだろう? インターネットの情報の蓄積は、20年そこいらだ。 一線を超えたら、データとしてこれ以上のものが本当に無くなるのではないだろうか。 いや、キュレートする存在はどうあがいても人間で居続けるのだろうが、(I/Oの判断とモノを活かす回路がそんじょそこいらで成立しうるとは、俺は思わない。PCの本質は”とても愚かしい単純作業を爆速で”というところを抜けることはやはり難しいのではなかろうか) 抽象度は増すのだろうか? それとも類推に関するアルゴリズムが進化をとげるのであろうか?? ちょっと分からないが、データの蓄積には価値が有るように感じる。 そのデータを任意に、すぐに活かすことの出来るレイアウトで表に引きずり出すことは可能になる気もする。 VRかARか。データを現実にModifyする 時間軸方向の蓄積が、そのタイミングにおける、確からしい回答を可能とする。 そういった方向の進化を、俺は遂げているのではないだろうかと思う。 文字データは貴重だ。 考えが足りないな。もう少し未来が見えてから練ろう