2017年初心

2017年は反射神経だけで生きていこうと思う。 存在しない神経で、勘と、間と、が作り出す、粋とか妙とかの空間で生きる。 今年はこうなりたい、とか、そんな感じの予定を立てない。やりたいこととかも、具体的には想像しない。「こうすればこうなる」みたいな回路を(みんなの迷惑になる or NOTだけはちゃんと踏まえた上で)極力回さず、 目の前と手元に来た現象を、即殺し続ける感じ。 荒れ狂う殺劇の宴のように即殺し続ける。(殺劇舞荒剣) そう。いうなれば、**下半身だけで生きる。**面倒なことばかりを考えるこのアタマを行動から抜く。 衝動で生きる感じ。 足の赴く方向に向かって、自分に対して自分を偽らず、邪気を無くす感じ。 ……これまでちゃんとやってきたし、考えないオレも、そんなに変な選択肢って選ばないと思うんだよね。 なんか違和感を感じたら、その時はちゃんと立ち止まって考えるよ。 ≪蛇足≫ モデルケースとしてはアレですよ。P5のジョーカー。 ホントカッコいい。まじスタイリッシュ @イブラジにて 「今年はオレ、Gackt様と藤原竜也と棗恭介を足して3で割った感じになろうと思う」 「ほう」 「その3つを足すとP5のジョーカーになる」 「Gackt様要素、だいぶ強いな?」 「折れた翼を羽ばたかせ、すべてを消してみせよう……(REDEMPTION)」 「Gackt様だ」 「Show Time!! ……その身に受けてみろ……(ジョーカー)」 「どうしよう、やっぱGackt様要素、強いな」

2017年1月2日 · 1 分 · 26 文字 · Keito Fukushima

2016年総括

2016年のことを考えつつダラダラP5やってた(ジョーカーカッコいい!!)んだけど、 やっと言葉になった。 「こうなればいいな」と思って弾を込めて撃ったら、大体ほぼ全弾外しきった年だった。 ホント、尋常じゃなく外した気がする。 なんなら途中から「外すなー、コレ」 みたいな想像がつきながら弾を撃ってた自覚がある。 外れるは外れるんだけど、外れた先で何かに当たるから、ちゃんと経験値は入る……んだけど、 いや違うからね? と失笑する感じ。 弾はタダじゃないし、俺のMPは無限じゃないのよ? 11月〜12月にかけては、基本的になにか新しいことに手を出すでもなく、何かを学習するでもなく、基本的にはぐーたら生きていた。 ツいてねー時にジタバタしても、あんまりいい目は出ないんだよな。 ↓↓ 精神的にはこんな感じ ↓↓ **「停滞」**があるのだ。(キリッ) 初手で死に覚えは、俺にとっての勝ちパターンだったりするから、必要よりも余計にアクセル踏んだ自覚はある。……んだけど、もうちょいなんとかなっても良くねぇか!? と思わずには居られない一年だった。(振り返ってみるとね) まぁ、その時々で反省はもちろんあるんだけど、実に俺らしい選択肢を選び続けてきたから、仕方がないw 仕方が無いって言葉は、後ろ向きに前向きで好きだ。(TOB?) 一旦受け止めて、ゆったりと落ち着いてから、前に進む。 体感としては、2拍。2拍タイミングがズレていた。 尺度は事象によって様々だけど、全ての事柄で、前に後ろに2拍ズレている感覚だ。 誰かに言葉をかける、少し黙る。 自分にゴーサインを出す、今が引き際だと判断する。 その場から動く、待ちすぎる。 それら全てが、往々にして2拍ほどズレていた。 2ヶ月だったり、2秒だったり、2分だったり。 オレの中の適した時間感覚。……今だ、って思うタイミングから、1呼吸半ズレてた気がする。 原因はなんだろう。分からない。そういう星回りだったのかも知れない。 もしかしたら、学生だった俺のペースと、世間のペースを擦り合わせるのに必要な感覚を養ったのかもしれない。どこで札を出したら勝てるのか、的な。一般解は大事。

2017年1月1日 · 1 分 · 31 文字 · Keito Fukushima

家族観

家族観に関しては、何度も綴った気がする。 確執はあったし、俺はそれを忘れることは、恐らくないだろうと思うのだけれど、 母親や父親と、休日に焼肉に行ったり、 仕事帰りの母親と下校時に合流して、美味しいものを食べに行ったり。 1回だけだけれど、家族旅行をしたり。 そういうのは、代え難い幸せだったと、今の俺は思う。 「ああ出来たら、こう出来たら」という感覚は、無い。 やっぱ幼少の俺は常日頃は家に帰りたくなかったし、「このまま居なくなることが出来ればいいのに」と何かに対して願い続けた日々は、無かったことには出来ないけれど、 ふと思い返す、いい記憶も同様に存在して、 ああ、幸せだったな。 と心から思う。 「いつか恩義に感じることの出来る日が、きっと来ます」という氷上の言葉まで届いたのだと、 そう思う。

2016年12月5日 · 1 分 · 13 文字 · Keito Fukushima

対象年齢って大事だ

舞さんが昔言っていた。 「分からなかったことが、分かるようになるのは、すごく嬉しいことです。 世の中でこれに勝る喜びなんて、そうそうありません」 「でも、きっとやっぱりそれと同時に分からなくなってしまうこともあるんです。……これはとても寂しいですよね』 以下蛇足 この話の最中だったか、別のタイミングでだったかは忘れてしまったけれど、 「暗闇が怖かった時代もあったのに」という言葉が出たんだ。 俺はこの言葉が凄く好きで、……凄く憧憬的な言葉だと思う。 「暗闇が怖かった」ってのは、誰しもの心にある原風景だと思う。 モチモチの木で、豆太が夜怖くて小便に1人で行けない。みたいな。 そういう怖さが、誰の心にもあったはずなのにね。 もう忘れてしまったよ。 夕日に伸びる影をふしぎに思ったこととか、みんなで鬼ごっこしてて、ふと冷静になった時の風の心地よさとか。べたつく汗が気にならないくらい遊んだこととか。 そんな時代があったんだ。 樋口一葉のたけくらべを読んで、 「今とても高尚なものを読んでいる!」みたいなテンションになったのだよね。 あれは小4の時か。 でも、読み終わって心に残るものが無かったんだ。 精神年齢が、その作品を分かることが出来るレベルまで達していなかったんだと思う。 なのに、「今凄いものを読んでるんだぜー へっへー」みたいなことを思った自分が居て、でも読み終わっても俺は何も得られて無くて、ああ、これ意味ねぇな。と思ったんだ。 本を読むのならば、俺は一番楽しめる年齢で、一番楽しめる作品を読んでいたい。 わからない作品を、分かるフリをして読むのは愚かなことだと思うし、 「ああ、この本はいい本だけれど、もう少し前の自分だったらもっと楽しめたのに」と悔しく思うことも嫌なんだ。 常にギリギリ楽しめる最高のものを読んでいたい。 思想的に地続きでありたいのかもしれない。 飛ぶこともきっと出来るんだろうけれど、飛ぶことはちょっともったいないと思うんだよね。 そのレイヤーにある凄く魅力的なものを横目に飛ぶことは、やっぱりもったいないと思う。 知識と経験のバランスをとって居たい。 そう、飛んじゃったら多分、頭でっかちになってしまって、経験が追いつかない。 経験が追いつかないということは、哲学が追いつかないってことで、それはやっぱり肚に呑み込めて居ないんだ。 対象年齢は大事だ。 対象年齢ギリギリの最高のモノを読みながら、対象年齢がちょっと上のものを手に入れ続けることも大事だ。 思想的に地続きであるということは、きっとそういうことなのだと思う。 多分、自明にクレバーでありたく無いのだな。 勝てる試合で勝ちたくないのか、 経験値効率を最大化させたいというか。 そういう算段を、ずっと立てていたい。

2016年12月5日 · 1 分 · 38 文字 · Keito Fukushima

道化

自分の、心と、身体が、乖離する感覚。 手指が冷たくなって、足先の感覚がなくなる。 本心というものを、人はどこまで表に出すのだろう。 顔で笑っておきながら、心が笑えない時に、俺は自分をどうしようもなく道化だと感じる。 ココロに鍵をかけたまま 冷たい態度で 仮面を身につける だれが僕の素顔 知っているだろう? 君のほかには 自分の弱さも強さも さらけ出したいなんて 一度も思わずに 涙かくしてきた 本当の顔を見せられる人 (Masquerade コードギアス) 昔から自覚があるんだ。 小学3年生の頃に、クラスメイトと話が合わなくなった時? それとも、幼稚園の年中の頃に自分の親のことを信じられなくなった時? 心を偽って笑わないとスムーズに生きていけなかった。 笑うことは俺にとって、何処か死ぬことの裏返しみたいなところがあった。 死にたいなぁ、この世界から消えて、無くなってしまいたい。 そんな風なことを、狭い世界で毎日考えて、 いつしかよく笑うようになっていた。 嘘から出た真なのかもしれない。……どちらでもいい。 でも、俺の真は、そこには無いんだ。 本心が、深く深いとても昏いところにあって、 俺はその自分の、何処かドス黒い部分を 振り撒いてしまうことが嫌で、 世の中の流れは遅くて、 「もっとこうなればいいのに」 と思って、(結局はいつもそうなるのに) ほとんど誰も付いてこれなくて、挙句 「勉強し過ぎるとバカになる」 「いや違う、オマエラが付いてこれないだけなんだ」 と心で叫んで、 その叫びを理解して欲しくて、 でも理解してくれる人は、この世界には中々居なくて、 寂しいけれど共感はされず 人間失格と自分の心をヒロイックに笑ってみたり 音楽を聴いた時に、少し救われた。 それはクロノクロスという作品で、 俺には何か、静謐な音の檻、水底にたゆたう静けさ、 そういったものを、俺は感じて。 それは俺が俺の中で、ずっと大事にしていた本心の懐いていた風景で。 昏い昏い蒼色で、光は少ししか届かないんだけれど、 水面の波のように表情豊かで、静謐で、 世界から少し離れているのだけれど とても綺麗なんだ。 大学生の時に、俺はとんでもない女と付き合った。 図書館で「茶の湯の心理学」って本を読んでたら、なんかもうコイツ大丈夫かっていうくらい俺と同質の目をした女に 「おもしろい本を、読んでいるわね」 と静かに声を掛けられて、 その時に思ったんだよ 「うわマジか、とんでもない美女だオイ」 「うわマジか、なんでこの女まだ生きてられるんだ。よく死んでしまわなかったな」 (美男美女は、世界の宝だ。愛でなくては!) 「ああ、俺はこの女ときっと付き合って、恋人同士になることを避けられないんだけど、 きっとそう遠くないうちに終わる」 俺はなんか妙な勘が働くというか、 「目の前の相手と自分の関係が、どんな風に終わるか」 みたいなのが(相手によっては)漠然とわかる時があって、 大抵、そうならないように本気を出したり、出さなかったり、 そういう俺の努力の有無や、 望む望まざるに関わらず、 俺が最初に幻視した風に関係が終わる。 最初で最後が思い浮かんで、 そうならないように「俺らしく」「俺らしくなくワザと自分の行動を崩してみても」 どう本気で足掻いてみても、 その人との関係は、「見たことがある」 「知ってた……」 という風に終わる。 「この人と結婚するんだろうな」みたいな勘とか、匂いとかは、みんな感じると聞くから、きっと同質のものなのだろう。 捨てられたことから身につけた、自己防衛のような感覚なのではないかと、 俺は、思う。 (続く)

2016年11月18日 · 1 分 · 77 文字 · Keito Fukushima

あの人ならなんて言うかな

好きな人を前に、胸を張る感覚。 襟元を正すと言うか、端的には、カッコつけたい感じ。 随分長いこと、これを真ん中に据えて生きていた。 φ 今は?? と自問すると、 「その感覚は薄くなったなぁ」 と思う。 (心を砕くほど好きになれる人なんて、世の中にそんなに居ないよ) でも、たまに「あの人ならなんて言うかな?」 「今の俺を見て、笑ってくれるだろうか」 みたいなことを、今でも俺は、ふと思う、 そして、なにか懐かしい人と会った気になる。 俺の行動、言動、思想の端々に、あの人の残滓のようなものがあって、 「ああ、また会ったねw」と苦笑いしてしまう。 『愛の究極系は、相手の息遣いを自分の癖や生活に刻むことだ』という一節を、俺は昔読んだ。 とても深く、美しく、しかし同時に、とてもいじましい感慨を覚える。 関西に10年住んだけれど、俺が関西弁に染まらなかった理由は、俺は幾つか考えていて、 「関西弁に対する忌避感」 (バリ〜 とか、パチこく とか、そういう言い回しを好きになれなかった) 「住んだ地域の関西弁が、なんだか中途半端だった」 (神戸以西、尼崎以東なら染まっていたかも知れない) 上2つも大きいと思うが、一番大きいのは、 「頭の中で、咀嚼を続けた言葉が、舞さんの言葉で、 それと同じレベルの言葉に、関西弁っていうガワがついた状態で、あんまり出会わなかった」 という点だと思ってる。 言葉や口癖というのは、伝染するものだと思うんだ。 気に入った言葉や、好きな人の口癖は、やっぱり自分でも言うものでしょう?? 現に、心から尊敬するひとに旅行に連れて行ってもらった後、俺もしばらく関西弁になったんだ。 関西弁で考えていた、というか。 言葉というものは、そうやって確立されていくもんなんじゃないか、と思う。 「夢で会えたら」と。 おもひつつぬればや人のみえつらん ゆめとしりせばさめざらましを 少し離れるけれど、他人を想い、焦がれ、求める気持ちなんて、これくらい身勝手なものだよなw

2016年9月23日 · 1 分 · 37 文字 · Keito Fukushima

年齢に対する感慨

きらめく青春を駆け抜けろ! ってこれさくら荘だったかな、、とか思ったんだけど、 もうそろそろ本当に青春という年齢では無いのだよな、と思ってなんだかしみじみしてしまった 最近25になったばかりだ。 25という年齢(その数字の持つインパクト)(= 今の俺)と、子供の頃俺が想像してた「25歳の男」の像の違いに、少し笑ってしまう。 肩肘を張っていない感じに笑ってしまう。 ……もっと必死で生きているものだと思ってたよw 何度でも言うけれど、20前半でオレはオレが結婚していると思っていたよ? 俺が氷上に会ったのは、俺が7歳で氷上が26の時だったから、……もうなんかホント後1年か、、とか思うと、凄い感慨がある。 考えや、己の行動の基準を、過去や他者に置くのは(ある種とても俺らしいけれど)女々しいことだから、止めにしよう。 オレはオレのために行動するように、ちゃんとしようと精神的なstruggleに塗れていたのが、18〜20歳の頃の俺。 ……あの頃に比べたら、『氷上ならどう思うかな』『今の俺を見て笑ってくれるかな』 と思う機会は、劇的に減ったけれど、 まぁたまには良かろうw 俺はなんで、氷上があんなに俺に構ってくれたのか、イマイチ分からなかったんだけど、今はなんとなく分かる気がするんだ。 せんせーが初めて俺に会ってくれた時に(当時オレは19歳)、この疑問を口にしたんだ。 「なんでオレに、舞さんはあんなに色々してくれたのだろう」 「オレはずっと考えてるんだ」 「一度だけ聞いたことがあるんだよ……直截的に、じゃないんだけど」 「『舞さんは、なんでお店やってるの??』『オレ、オレ以外にお客さんが入ってるの見た事ないよ』 (このお店大丈夫?)って。」 「そしたら舞さん、 『貴方みたいな人に、会えるんじゃないかと思って』」 「私は、なんとなく分かるなぁソレ」 「キミがきっと、このワニ博士のぬいぐるみを懐かしく思うようになる頃には、分かるようになると思うよ」 25になって、今の俺は、少し分かる気がする。 自分の辿った足跡で、とてもとても大事な足跡(それは時間を掛けて形成された哲学であったり、思想のクセであったり)を、「この子にあげたいな」と思ってもらえたのかな、と漠然と思う。 奢りかもしれない。でも、それだけのことはやってもらったと思う。 家庭教師や、塾講師やらをして、人に何かを教える立場になってみて、 俺の色んな言葉を、「今でも思い出しますよ、、」と苦笑いしながら、未だに連絡を取ってくれる生徒とか、 なんだろう、やっぱり嬉しいものな、 ああ、オマエは俺の思想を受け取ってるなw と思って、苦笑いするけど嬉しくなる。 (まぁ氷上はあらゆる意味で俺にクリティカルだった気がする) いや、多分もっと簡単な話なんだよな、 氷上と俺の関係を、今の俺の立場で置き換えるのなら、 小生意気でそれなりにちゃんと考えた受け答えをする、可愛らしい小2女子が、目一杯背伸びしてカッコつけて、自分に突っかかって来たら、絶対構わずには居られない気がするんだよね。 教えたら教えた以上の事を拾って来て、考えて納得して、……懐く。 そのやり取りは、多分とても楽しい。 それは世に言うロリ的な意味は無くて、いっそなにかとても清潔な感情だと思う。 わかんないや。どんなに言葉を尽くしても、なにか大事な思いを穢してしまう気がする。 後悔はあるけれど、 俺は多分、あの人との関係の終着点まで届くことが出来たのかな、と。 今のオレなら、そう思える。

2016年8月28日 · 1 分 · 45 文字 · Keito Fukushima

奸計秘さねば実らじ

(ジンクスのレベルだが) なにごとにつけても、進行中のことで、本気でやりたいことってのは、コッソリやらないと実らないという気がしている。 偉そうに、「俺、これやろうと思ってるんだ〜」みたいな事をひけらかせて、最後まで完遂したことって、多分俺にはあんまり無い。 多分、人に話す事の出来るレベルに考えが及んだら、「誰でも自明に出来ちまう」っていう、 まぁ謂わば「残っているのは作業だけ」で、 ……俺は作業というものが、致命的に出来ない。対処は人一倍出来るんだけどね。作業はムリだ。犬にでも食わせておけ。 話しても伝わらないレベルでしか、構想できていないのなら、(simplify出来ていないのなら)まずネガティヴを食らう。 食らうネガティヴの量が多くなる。 そしたらやる気は無くなるさねw MPってのは無限じゃない。 だから、俺はホウレンソウというものは、俺には「報告」以外無駄なのではないかと思っている。 全てを完了形にしろ。 ………コッソリ仕込んで、トラップカードを オープンにしたら勝ち確。みたいなプレイスタイルが、1番カッコいいと、思うんだ!w←

2016年7月21日 · 1 分 · 14 文字 · Keito Fukushima

老獪さ・魅力のある人間

色気とか、老獪さとか。 その辺の感覚は、俺の中で近いもの、という感覚がある。 色気ってなんだろうな、と思って一時期調べていたことがある。 「色気ある感じの人間になりたいんだ!」 とのたまう俺に対して、俺の愛しの義妹は、 「あー、うーん、あー、 お兄ちゃんは、オープンエロスだから…… 無理だと思うよ」 と、かわいそうなものをみる目で俺のことを見てくれて、傷つきながらもちょっと興奮した覚えがあることをここに懺悔しよう。 閑話休題 色気について、俺が納得してるのは、九鬼周造の言葉だな。 「いき」とはーー 運命によって 「諦め」を得た「媚態」が 「意気地」の自由に生きるのである 老獪さを手に入れたいと思うことが、度々ある。 老獪さを発揮出来る条件ってのは、 「過去に俺はここまでされた経験があるから、まぁこのくらいなら耐えられるよねー ハハッ」 みたいなところにある気がする。 煮え湯を飲まされた回数によって、「え、そんな狡いコトやっちゃう?」みたいなコトが、ナチュラルに取れる手段に変化するイメージ。 色気も、老獪さも、経験値依存なんだ。 そしてゴールは剣客商売の主人公。 老獪さに繋がるんなら、不遇もまぁ、奸計のカード集めだ。

2016年7月19日 · 1 分 · 24 文字 · Keito Fukushima

人材≒食えるものの種類が増える

ノドグロトーク② 「3マンセルを多く作る方が効率がいい」 「それに関しちゃあ同意だなぁ、リーダーも臨機応変、四季折々で変えていくってのが無いとな」 「人財って感覚はイマイチ分からない。人財の組み合わせで限界到達点が伸びたことは、今まで無かったしな」 「あー、いや、あー、うーむ。 それに関しちゃ、アレだ。食えるものが増えるって感じだ。メンバーの中に、とても省エネに何かが出来る奴が居ると、ソレも食えるようになる。」 「例えば、ああ、アイツ居るし、これもついでにやっても良いかな、みたいな感じになると思う。」 「深度に関しては、確かにあまり深くなるって印象は無い。ただ、同じ深さまで掘る労力で、良いものもついでに食える印象がある。」 「つまり、グルメになれる」 プロジェクトに於ける人財というものは、こういう理解であまり外していないと思う。 深さは概念設計で決まる気がする。 予想外に深くまで行った、って感覚は、たまにあるけれど、ソレはヒトベースなのではなく、 時と場合ベースの運みたいなもんだと思う。 だから、深さは設計ベース、幅は人財ベースな感じかな。

2016年7月19日 · 1 分 · 14 文字 · Keito Fukushima