自分らしい or NOT

ハヤタと品川で、鳳凰美田を啜り、ノドグロをつつきながら話したことで、 割と好きな話その① 「この年齢になると(24年も生きていると)、判断の基準の、とても大きな部分に、『自分らしいかどうか』ってのが入ってくると思うんだ」 「自分らしく選択したことなら、受け入れられる」 「自分の哲学に反しない言葉で与えられた考えなら、素直に受け止められる」 「行動を、起こすか起こさないか、という判断の材料のとても大きな部分に、これは過去の自分を裏切る行為ではないか? という自問がある」 「そして、自分らしいことをしなかった時って、結局はあまり良い目が出ないんだよね」 「だから結局、自分らしいことをやってねぇとな、って結論になるんだ」 過去の自分は、 今よりも手持ちのカードは少なかったにしろ、その少ない手持ちのカードで、全力で考えて判断していた。 ガキはガキなりに全力で考えている。 「古き良き時代というのは、常に記憶の中にしかありません(堕花雨)」 この20年、予想通りに進んでこれた自信は一切ないけれど、そんなに不幸では無かった。 何が自分の身に起きるのか、(俺は全知でも全能でもないから)予見できたことは無かった。 (後から振り返っても、兆候や、「まぁ順当にそうなるよね」って判断出来るカードは、当時の俺の手の届く範囲には無かったよ) しかし、折々の判断は自分らしいものを常に下して来たと思う。 過去の自分を裏切らず、過去の自分の言葉を嘘にしない。 固執とかではない、変質は歓迎している。しかし望んだ方向、もしくは今の自分の地続きでないと、とてもしんどい。(意味もわからないし、習得までとても時間が掛かる) 世の中には豚に真珠的なことは多々あると思う。必要な言葉というのは、必要なタイミングで与えられないと意味がない。 周りの顔色を伺って生きて、よかったと思えることは無かった。 他人を傷付けて、よかったと思えることは無かった。 悪いことをして、それが自分のためになったことは無かった。どこか罪悪感を感じ続けた。 なんか違うなと思いながら、何もせずに納得出来たことは無かった。 自分らしさとは、(安直な言葉だけれど)蔑ろにしてみても、決していいことは起きないものなのではないかと思う。 最後は勘なんだと思う。

2016年7月19日 · 1 分 · 26 文字 · Keito Fukushima

合理性と感情論の両立

常に悩んでいた先人が居るらしい。 最近「あー、もう感情論でがなられても、大して俺には響かねぇなぁ〜」 って思っちまってから考えるようになった。 ソイツにしか言えないセリフにしか、やっぱり価値は無いよ。 一般論なんて掃いて捨てるほど、この頭には叩き込んださ。 “仕事って側面だと、まだ俺の市場価値がソコソコ日本では高い”っつー目算が立っちまってるから、権力を笠に着て怒られても、本質的なところに響かないよ、と思ってしまった。 彼らがその立場に行き着くために、積み上げたものの重さが分からないからってのも大きいのだと思う。心底からは、尊敬出来ていないのかも知れないな。これは良くない。 ……良くないんだけど、まぁある程度は仕方ないよ。相手の力量を推し測るってのは、時間が要るものな。 後、生きている理由が違うしなぁ。と。 ここも分からない。大抵の人間は、どんな立派な初心があろうと、ソイツを忘れ去って、大抵、出世と給料と家族のことのみが関心の対象となるって、あのスレッドには書いてあったし、 俺もそれはある種正しいと思ってるから。 合理性と感情論。 ハヤタは割と、割り切ってる感じがある。 言語化してないけれど、シチュエーション毎に出方はある程度決まっている印象がある。 なんかこの辺、スタンスのレベルで違うなぁと思うんだけれど、言語化まで至れていない。 俺は多分、この2つのバランスに対して、ハヤタよりも、感情論の持つ可能性を諦めて居ないんだ。……それが何かは分からないけれど。なんだろう。多分、劇的な変化への源泉的なもの……? それ以上に美しいものなんて、この世界にそんなに無いんだぜ、って位のものが、感情論のサイドに隠れていて、それを引き出すことも合理の方に組み込んでいる俺が居るんだ。 分かんない。スマブラDXで、マルスではなくロイを使う感じの、ロマンなのかもねw

2016年7月11日 · 1 分 · 18 文字 · Keito Fukushima

6月の月記

6月は色々あった。手記として残しておこう。 本配属前研修 本配属前研修として、生産工学的なことをサラッと実習を通して学んだ。感覚的には兵站の概念。ロジスティクス。日本人が苦手な概念。ヤン・ウェンリーが得意なこと。ナルサスが重視すること。 極めて優秀な用兵家だけがこれを蔑ろにしない。 なんだろう、全体的にそんなに難しいことは無かったな。……俺にとって物理学とか数学より難しい事柄がこの世界にそんなにあるとは思えないけれど……。ああ、女子には勝てない。いやでもこれは逆に簡単な摂理だなw 生産管理の究極ってのは簡単だ。 人間を排除すればいい。 もっと言うのならば、人間の意志か。 実習で学んだことは多いが究極的にはやはりひとつだ。 性善説で考えて、性悪説で実行する。……これに尽きる。 それならば、いつも考えていることとそう変わらない。 浅く笑って奸計を練って、行動を起こすだけだ。 印象に残ったことは……そうだな。「皆が自分の最善を尽くす結果、全体最適は夢へと消える」ってことか。いや、極端な話、もっと簡単にやるんなら、独裁してしまえばいいのだ。責任は総て私が負う。いいからやれ。前へ進め。個の意志はシステムに及んでは無駄だ。社会主義的思想も、資本主義的思想も、イイトコどり出来ればね。(小規模なら可能だと思うんだけどね。)(ああだから俺は排他的で選民意識な部分があるのかもしれない) これが出来ないから、混迷するって事がよく分かった。つまるところ全てにおいて覚悟が足りないって話でしか無かった。掌握すればいい。その上でシステム化して、最後に離れればいい。人間は自分にとって都合のいい現実しか見ないんだ。 俺も含めて。 本配属 理系で開発の道に進むつもりだったんだけれど、色々あって経理をすることになった。 この一側面に関しては、俺は多分、会社のことを許していない。 会社が俺の望んだ未来と、俺がその未来の為に他の可能性を切った覚悟分位のことをペイしない限り、俺はこの会社のことを許さないと思う。一度だけ、イチバン大事な局面で俺は盤面を全て俺のために売り払っても、俺は俺を許せる。 経理。この業務、AIにすべて取って代わらせたい。 基本的にプログラムを書くこと以外の入力作業はムダでしかないと考えている。 人間が挟まれるから、不正やらお化粧やらが起きるんだ……。 事実を表す数字に、人の意志が絡んでいいものだろうか? 俺にはまだわからない。 色んな事が、まだわからない。 人生思い通りには行かないものだ。 内定の時に思い描いてベットした未来とは、ガリガリと音を立てながら違う方向に進んでいる気がする。 ……いや、究極的には想定の範囲内だったりするんだ。だから、「まさか○○○○をつくることになるなんてね」ってセリフとポーズも、これはこれで嘘だったりする。このカタチは実は知っている。 頭の中では相似形のものを思い描いていたりした。ちゃんと。 だから、「まさか」ってのも、「100のうちの2を引いちまったか……」って感覚だ。 そしてそれを「俺らしい」って判断しちまってる俺が居て。一方で 「ああ、やっと本来の才能(それはそれはとてもとても文系的な才能)が生きるフィールドに立ったのかw」っつー感覚と同時に、 「俺は誰より技術者として生きる覚悟をしたのにな」っつー葛藤、コンフリクトが常に俺の中にある。 「なんで俺はココに居るの?」 って。 いや、院試に落ちた後のコンフリクトほどじゃないんだけどね。ホント我ながらどんだけ辛かったんだあの局面w 強く在れって言葉を自分の支えにして生きて来たのに、(社会的に確実に)強く在れていない自分を自覚し続ける。自己矛盾で息をしているだけで惨めだった。 んで挙句強く在るために唯一思い浮かぶ方法が、無理矢理にでも笑ってないといけない、丁寧にちゃんと胸を張って生きないといけない。ああ、アレは本当につらかったな……。 本音を言えば、やっぱり想定外では無かったりする。どーせ3〜4年後には似たようなことやってたんじゃねぇかな、っつー予感もある。 しかしまぁ、「許していないぜ」っつー感覚はあって、 周りが俺に向ける視線に期待通りの応えを返すのと同時に 「俺は望んでここに居るのではないよ」 「お前らがもっとちゃんとしていれば、俺は別の可能性の方を引いていたのに」 っつー恨み言が頭の奥底で怨嗟の様に木霊する。 そういう「意としてここに居るのではない」って感覚が頭のなかに在り続ける一方で、面の皮では笑っている、って意味でも、今の環境は俺らしかったりする。 この感覚は、よく知っている。 俺は、別の可能性のためにちゃんと手を伸ばしたのにな。 いつも俺の力を超えた「状況」っつーモンにスポイルされる。 それは生まれる時代だったり、親の転勤だったり、地理的な距離だったり。 好きな人が俺のことを大切に思ってくれる意志そのものだったり。 年齢を重ねて意を通すことが出来る範囲は増えた。 考えられることと、講じることの出来る手段も増えた。 俺はあまり、自分の運の良さを疑ったことは無い。 自分には女神の幸運的な加護が付き纏っている感覚がある。 多分、**俺の意志とは無関係に、**俺にとっていい位置に行くようにする類の、 実はこれは呪いなんじゃないかと、俺は常々思っているんだ……(嘆息)

2016年7月11日 · 1 分 · 56 文字 · Keito Fukushima

常識は一定ではない

今週のジャンプの、ワールドトリガーの会話がスゲェ琴線に触れた。 常識というのは、存外儚いモノだ、とオレは思っている。 常識には転換点があり、それはとても緩やかに――しかし、後から考えてみると自明極まりなく思えるように――転換する。 幕府が最高権力で、逆らうことも出来なかった時代 → 維新 日本は後進国だ → 日露戦争 太平洋戦争 → 敗戦 土地神話 → バブル崩壊 ITバブル → 飽和 全てが「そりゃあそうだわな」と思えることだ。 常識は古くなる。更新される。 それは時代のトレンドやら、技術の進歩。プロダクトによる生活の改変と、価値観の改変。(改質?) 故・河合隼雄 先生が心理学に思いっ切り取り組んだのは、「太平洋戦争 → 敗戦」で変わった常識に、折り合いを付けたいがため、というのと、もう一つ。「太平洋戦争で歪んじゃったけど、本来の日本人ってのは、なんだっけ?」みたいな部分だと思う。(本人もそう述懐していたように思う) 「昨日まで『鬼畜米英!』『いざとなったら竹ヤリで特攻しろ』なんて言ってた政府が、今日になったら米国に媚びへつらうわけですよ」と。 忘れてはいけない。常識は変わるものだ。 変わる常識を読み、捉え、踏まえた上で強く在らねば、オレは自分を許せない。 胸を張ることが出来ないんだ。 世間は往々にして正しいが、基本的にはどこかしらかにおいて衆愚だ。 個として自分の足でしっかり立ち、自分の腕で世間を渡り、自分の手は価値を生み出すことが出来るんだ、という自負を持って生きるのだ。 今のオレにとって、強いカタチは、とにかくここにいったん行き着くことだ。 強く在れ 強く在れ 強く在れ。 「――戦うと、そう決めたのであれば、全身全霊で戦いなさい。一瞬も、一秒も気を抜かず、どんな手段を用いてでも、どんな汚い方法を使っても、勝利という一点に向かって貪欲に食らいつきなさい。まだ立てるのならば、まだ指が動くのならば、まだ牙が折れていないのであれば、立ちなさい。立ちなさい。立って、立って、斬りなさい。生きている限り、戦いなさい。戦え、戦え、戦え!」(リゼロ ヴィルヘルム=トリアス(ヴァン=アストレア)) 実習中、リゼロを(とりあえず第三章まで)読み終わった。 いい作品だ。本当にいい作品だ。なんていい文章を書くんだろう、この作者は。

2016年5月25日 · 1 分 · 39 文字 · Keito Fukushima

出世やらなにやら①

工場実習がウルトラつらくて(体力的に)(精神的には……どうだろう? 分かんないや)(まぁ院試の後の俺ほどじゃねぇやね。あの時はもう…、呼吸をしているだけで惨めな気持ちってこの世界にあるんだな。あんな感情、この世にあっていいのかよ、と思ってる)(それに比べりゃマジでこの実習の精神的苦痛さはぬるま湯でしかない) 何はともあれ、実習中は大体考え事をしている。(現実逃避) ずっとずっと、「なんでだろう?」みたいなことを考えている。 全てのことに対して。 「ある土地に定住して、なんだかんだとお堅い職に付き、一生を予想出来るカタチで終える」 という可能性は、就活の時に「ああ、これ駄目なんだ」と受け入れた。 仕方が無い。 オレはどうもそういう、「凄く自明に安泰」という選択肢を、キレイに受け入れることが出来る人間では無いらしい。 まぁそうだよね。そういうことが出来る人間は「無変化は停滞しか生まねぇ、死ね!!」なんて、口が裂けても言わねぇだろうがよ。自嘲とともに笑えて来てしまう。 余談だけれど。その会社ホント超いい会社で、仕事があまりない(超ラクな)わりに妙に給料良かったから、それはそれは本当にいい会社だったんだけど、 俺は「この会社に入って、人生を過ごしてて、俺は不敵にわらえねーなー」とか思ってしまった。 不敵に笑うって、「一番、オレ以外の人間が出来ない顔」だと思う。(あー、いや、ちょっと違うな。俺に一番似合って、それを俺が心から愉しんでいる状態なんだと思う)(まぁこれがニュートラルってのも、どうかと思うやねw) まぁでもあの会社に対しては今でも思うけれど、「人生が10回あったら、そのうちの1回は入りたかった」と思う。 仕方が無い。今の生き方をオレはもう選んでしまったんだから。 生まれてこの方、ひとつの土地に定住できたことは無い。 運命かもしれない。このことには最早、諦めみたいな感情がある。 西宮には10年住んだが、あの土地がオレの故郷という感覚は、オレにはない。 「土地より人」というのが、オレの結論だ。 この結論から逆推するに、西宮にはオレが帰りたい、と恋焦がれる存在が住んでいないのだろうか。 帰る場所では、ないんだ。 どうなんだろうな。オレの帰属意識はどこに向かうんだろうな。 親に対しても現在進行形で帰属意識を持てていないのだ、オレは。 (無論感謝はしているのだ)(そのへんの折り合いみたいなのはまぁ、一生かかるかもな) わからない。 帰属意識を他に置く感覚こそが間違いなんだろうか? だとしたら「電波的な彼女」で堕花雨が言っていたように、人間は死ぬまで「自分」に向かって歩いて行くのだろう。 孤独な道だね。百年の孤独。 誰かの幸せを祈ることが出来たら……そんな相手が居るんなら、多分それはなによりも幸せなことなんだと思う。 オレは自分が好きになった女の人が、オレの知らないところで幸せに生きていてくれればいい、と思うことができるようになるまで、10年かかった。……まぁいいさ。性分だな。 帰属意識に関してもう少し。 帰属というと、一番最初にやはり“家”が来るのではないか、と思う。 ハードとしての家について、 持ち家か借家か、みたいな議論については、まぁタイミングにもよるが、「基本的に50年スパンで考えると実質変わらない」というのが(どこかで読んだ)オレの結論だ。(マネーフォワードのお金のQ&Aだったかも知れない。忘れた) 浮世なのだから、全てが借り物なのかもしれない。 3.11の地震の後、オレはどうも日本人は全体的に「所有する」ということに執着が薄らいだ様に思う。バブルから連綿と続く、所有に対する欲求が根本的に別のところにシフトしていっている感覚。 日本は地震国家で、これまでも飢饉とか超いっぱいあったはずだから、思想としては「桜」を美しく思う様に、刹那さみたいなものを尊重する感覚があると思う。 もののあはれ。 わかんねぇな。これ以上は被災していないオレが言語化していい領域ではないやね。 割と物欲はある方だと、俺は思う。 ここ6年分くらいの家計簿を分析したら、生活レベルを一定に維持した上で、自由になるお金のほぼ全てが「レアリティの高い経験値」と「本」に変換されていた。ここもブレないな、と思った。 人間関係の潤滑油としての出費も惜しんでいなかった。 (だから浪費は存在しなかった)(すべて実験) (この辺のお金の使い方は、「大学入る時に決めた通りに使うことが出来た」と感じた) 仕事に関しては、これは抽象的な目標というか、オレのサイコーに達成感を得られた時の共通項なんだけれど、「全ての手を打ち終えた後で」「後はかみさまだけが知ってるのさ」と「諦めたように笑って」「結果を待つ」 ってことを終着点にしていたい。 すべてはそこに、終着していて欲しい。

2016年5月25日 · 1 分 · 47 文字 · Keito Fukushima

To reach a good consensus. Ver. 1

上下関係をはっきりと まず声が通るように(精神的な)上下関係を意識させる。具体的にはまずはとりあえず上に立つ。 そこから段階的に降りて行く。 その方が効率がいい。 下手な協調性は意識しない方がまだマシ。 俺にとってはストレスでしか無いことが多い。 ルールした方が早くて省エネ。スッキリする。 有象無象の意見に大した価値はない。 物事というのは決定しようという強い意志が無いと絶対に紛糾する。これは無駄だ。無駄なんだ。 つまらないことでオレの人生の時間を奪うな。奪わせるな。 自分のアタマで1から考えている人間に付き合う義理は無い。巨人の肩に乗る意識の無い人間には必読書を投げて帰した方がまだずっと建設的だ。(読むように誘導しろ)(読まないとステージにすら立てていないことをまず自覚させろ)そこまで他人の面倒を見切れない。無変化は停滞しか生まない。死ね。 衆愚政治ほど唾棄すべきものは無い。それはファシズムを産む。 クリーンで合理的ってのが何よりも大事。 「誰がどう考えてもこうなるよね」というのが大事。 感情論は省け。無駄だ。 奸計は実行の時に俺が中核に居ないと大抵、失敗する。 自分のリソースを目の前のことにどれくらい割けるかを考えて、一般解にどの程度近づけるかを決めろ。 やりたいことに手を挙げろ。やりたくないことを笑顔で引き受けるな。やりたく無いことを続けるな。そこに満足する成果は絶対に無い やりたくないことを嫌々やるのは人生の無駄だ。やりたくないことは嫌々引き受けて『貸し』を作り、より合理的な、詰めた案を上に通して、やりたく無い仕事ごと、まるごと他人に投げる。 考えることを止めるな。考えたことは無駄にはならない。 大きく声を出して、高く手を挙げろ。 行動しろ、前進しろ、敵を倒せ。 闘え。短期的にではなく、長期的に手を打て。 (但し血止めを忘れるな)(つまり「たまには休め」) Let’s go together ! 形態はどうでもいい。言葉尻もどうでもいい。 「内容に関して1人で決めた」ということを避けろ、 取り敢えず上の人間をまず巻き込め。 文句や反論を言ってくる(必要な)人間には、「その観点は無かった。詳しく聞かせて頂きたい → 頭を貸して下さい」と笑顔で頭を下げろ。プライドはいらない。実現することが何よりも大事なんだ。価値を生み出すために正しい手段を取り続けることが何よりも大事なんだ。 極端な話、実現するのは俺でなくても良いのだ。 時代を進めろ。技術をもって人類を進歩させろ。救済せしめろ。 俺はそういう生き方を、既に選んでしまったんだから。 必要で無い人間? 捨て置け。何をやってもnegativeは出るよ。本当に暇な時に、コスパが良ければ、根回しすればいい。 「誰がどう考えても、合理的に考えたらこうなるよね」って方針で動いているなら、正義はこっちにある。物理で殴れる。 そしてとにかく周りに思考停止を許すな。情報は確定させた後ちゃんと流せ。 協調性は「一緒に」という仲良しごっこから生まれる。まずはごっこ遊び。それでいいんだ。 そしてこの実感は、「独断先行のきらい」のある俺を正しく縛る言葉にもなる。 「目の前の人をちゃんと見て」 「対等な人間として尊敬し」 「一部分の弱さだけで人を判断しない」 独断先行は孤立に繋がる。 先行するなら、「役割として向いていて、尚且つ全体最適に必要なんだ」という理解を得るよう、最大限に努力する。 「そういう役割なんだ」と承認をもらっておく。 俺はどう頑張ってもせいぜい3人分くらいの仕事しか出来ない。それでは足りんのだ。リソースを最大化出来ていない。リソースを最大化。これがオレの宿命なのだ。 他人を使う ≒ 他人に助けてもらうには、この「人としての基礎」に立ち返る必要がある。 相手のことを認識して、尊重し、名前で呼ぶ。 承認するんだ。 If the most extremely weird case realizes… 仮説が全て。 俺が人生で一番感心した仮定は、 「もし全ての人間が理性的な世界があったとして」 この言葉を発した人間は、住友商事に就職した。(その後やりたいことベースでベンチャーに行った) イケルイケル cv 皆口裕子 最終進化形態は、「キテルキテル」 ...

2016年5月8日 · 1 分 · 75 文字 · Keito Fukushima

死に直結する短所以外は、取り敢えず放置しても実はあまり問題がない

ドラッガー的な。 そこで痛みを得てからでも遅くはない。 短所をカバー(人並みに)するには、長所を伸ばす数倍の労力が要る。(これは所感として俺にもある)(なんだろう、ホント理系に来たことは冷静に考えても気狂いとしか思えない)(それはそれとてとても合理的なのだが)(レアリティの追求と、新しい思考方法の獲得は俺にとってある意味至上命題だった訳だし) まぁでもアレよな。これ、いいか悪いかを決めるのは女の子の評価見た方がいい気がするんだよな あぁ、結果論だけど、俺あんま短所ねぇな、この考えは取り敢えずここで置いておこう。意味がない

2016年5月3日 · 1 分 · 5 文字 · Keito Fukushima

具体化

コイツの上手さは割と根本的な能力値に関わっている気がする。 まぁニアリーイコール経験値だしな。 仮説が全てというか、いい仮説から出発できたらその瞬間に勝ち確定というか。 抽象的なままに物事を考えることって、たぶんとても難しいのよね、 だから要点は「如何に自分の身に危険を及ぼすような想定を出来るか」とか、当事者になっちまうか、みたいなところにも在る気がする。コツみたいなものはもう少し収集してもいい気がする。この辺はコンサル的な思想訓練かなぁ。仕事? していけば分かるのかもしれない。 俺より強い人を探して是非聞いてみよう。 抽象的な方針を具体的な策に落とし込んだ思考の変遷。(それを語る口調を含めて。)

2016年4月15日 · 1 分 · 8 文字 · Keito Fukushima

トレード・オフ

[堀江貴文] 本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 (SB新書) [堀江貴文] 君はどこにでも行ける 堀江貴文氏の本、(というか)思想が好きで読む。 一冊を通じて主旨が明確極まりないので、一度読めば頭に入るし、合理的な思想なのでとてもよく響く。 合理的なの大事。合理的だからこそ仮説が全てだし。合理的だからこそ、結果的に公平になるし。 しかし合理を追求し過ぎるとなんか手痛いしっぺ返しを食らうんだよね。 なんなんだろう。人の和かな。これも合理化しようとすると**“孫子”**になるんだろうけれど。 > 合理化ってのは現状の打破(つまるところイノベーション)に必要(というか、他に必要な要素は一切ない)(つまり時系列を飛ばして個を無くせ)(弓は鉄砲に駆逐されろ) 話が逸れた 彼は……そうだな。“選んでしまった”人間だからなぁ。 他人の人生を生きていない姿はカッコいいと思う。 投獄されて尚潰れない姿が本当にカッコいいと思う。 (普通だったら資産あるわけだし、「もういいや」ってなると思う) 是非長生きして欲しいと思っている。俺、ファン過ぎる。 そのうちお近づきになってDisられて凹みたい。 メルマガも受信してみるか。月500円だったかな φ 彼の思想と、ファインマンの一番深いところの哲学が、最終的に同質なんだよね。 “What Do You Care What Other People Think?” これだ。これが多分、究極的に一番強いんだ。 言い訳しないこと。バランスを取ろうとしないこと。「自意識」と「プライド」を捨てること。 「何かを選んでなお、バランスを取ろうとするってのは、卑怯だと思うんだ」 φ でも最後は**“老子”な気がする。こういう「他を考慮に入れた上で、自分の意を通すために敢えて顧みない」**みたいな思想にはスゲェ憧れるんだけど、最後の最後でなんかズレる気がしている。 いや、老子の真髄も俺には全然読み取れていないから、もうちょい考えないとな。生き方の幅をもうちょい採集するか。歴史小説。 これは予感というか、彼のカッコいい生き方に対する俺の現段階での結論なんだけど、「俺はそこまで捨てられない」って感覚なんだよね。ビジネスに全てを投げ込めるんなら、きっと同じ土俵のそのまた端っこのほうくらいには上がれると思うのだけれど。……だから何もかも足りてないんだよな。今の俺は。俺の全てのリソースを注ぎ込んで尚足りない、みたいな情熱の捌け口みたいなのが全然、見えてないんだもんな。……結論、浅いんだ。強くないやね。強く在らねば。 後はやっぱ行動しないとな。師匠もせんせーも言ってた。「人間は、行動することでしかこの世界にアクセス出来ないんだ」「考えるだけでは意味が無いんだ」 俺は自分の手が生み出す価値を信じて生きなければならない。技術者として生きるんだから。

2016年4月10日 · 1 分 · 40 文字 · Keito Fukushima

正しい手段

正しい手段って大事だ。 俺はなんだか、回り回って結局、奸計しか使えない(実らない)感覚があるんだけれど、 理想はやはり、正攻法で(つまり)「正しく、強い。」 奸計だけど結局、正攻法的な戦い方になる気もする。 分かんない。 φ まぁとりあえず、行動の判断基準として使いやすいのが一個手に入ったから備忘録的に (俺の行動を)「新聞はどう報じるだろうか」(c.f. それを見た大衆はどう思うだろうか) いざ明るみに出た時のリスクをどう減らすか。 正しい手段で自分の身を守らねばなるまい。 それとは別に、色気のない手段を使ってはならないが、それはまだ整理できていない。 もうちょい進んでからだ。 あまりこの辺りのことを、考えたことが無かったから、(俺の行動基準は長いこと「氷上ならどう思うだろうか」「笑ってくれるかな」ってところだったものな)(氷上は“会社”って枠に入ったことのない人だったし(入る必要も無かった))(師匠は況や)新鮮に感じる。 やっとここまで来た。やっとだ。

2016年4月10日 · 1 分 · 15 文字 · Keito Fukushima