ストレスの解消方針

ここ数ヶ月のストレスは、やはり基本に立ち返って解消する以外に無いという結論。 Not 毎日やること but チェックリスト これがちゃんと出来てない。 舞さんの言う「丁寧に生きなさい」が実践できていないのだ。 丁寧に生きるとは、以下を毎日意識して行うだけだ。 他はいらない。 複雑になる。 Not 毎日やること but チェックリスト 0 • スケジューリング(短/中/長期の目標・優先順位付け) • 仕事 • かばんの整理 1 • 支出管理・金策 • 部屋の片付け • 家事・炊事 2 • 電子機器充電 3 • 体重測定 • 食事(腹八分) • 運動(20分) • 飲酒 • 歯磨 • 睡眠(起床) 4 • 情報収集 5 • 家庭学習 6 • 読書 • ゲーム 7 • オフラインに • 瞑想・言語化 日々はこれを繰り返していればうまくいく。 上記のことをシンプルに繰り返せば、人生というのは充実してゆく。 一つ疎かになると、全てが疎かになってしまう。 いつまでに、何を、どのスパンで、何をもって終わりとするか、 といったことがイマイチ言語化されていない。 これが一番良くない。 (計画を立て慣れていないレンジで話をしてしまうことが多かった) だがまぁ、自分のアタマで考える必要がマジでないことがわかり始めた。 もっと遠くを見なくては、もっと遠くを、見なくては。 開けたい扉を幻視する。 篝火を脳裏に照らしてゆく。 照らし終わったら歩けばいい。 早く行かねばならないのならば、道連れを求めるといい。 走ってはいけない。雑になる。歩かねばならない。

2018年9月12日 · 1 分 · 74 文字 · Keito Fukushima

飢え

コトを為すのであれば、食事というのは計画的にせねばならない。 何かを考えつくためのベストコンディションを整え続けなければならない。 昼と夜の思考を意図的に、儀式的に区分しなければならない。 そして求める着想というのは恐らく、適度な空腹からしか生まれないのだと思う。

2018年6月10日 · 1 分 · 4 文字 · Keito Fukushima

苦しい状況に耐え続けたら、きっといいことがあるみたいな考え方は不毛だと思う

俺の大学院生活は、「完璧主義からの脱却」からスタートした。 拙速巧緻。 新しい研究室に移ってスグの頃、今でも覚えている応答だけれど、 「〜〜〜〜やったら、こうなると思うんですよ」 とディスカッションの時にこぼしたら、 「じゃあやって?」 と即答されたんだよね。 「ああそうか、ここはそういう場なんだ」 っつー感慨と、 「誰も正解は知らないのだから、基本的にはヤッてみないと分からない」 っつーことを肌で理解するまで、結構かかった。 色々頭で考えたところで、結局一番正しいのは目の前の現実であって、 サイエンスとはただひとつ、再現性のみを信奉する宗教なのだということ。 ――それから延々と実験は失敗し続けたし、 失敗するだろうと分かっている実験を繰り返すことに嫌気が差して、 何周か回って「死ぬこと以外は誤差」という結論に至った。 (この世界のことでただひとつ、命のことだけが不可逆だ) この精神性は今でも(とてもツラいタイミングで不敵に笑う時に口を突くという意味で)変わらない。 完璧主義だと、失敗を出来ないんだよね。 失敗が嫌すぎて、失敗する未来が漠然と見えてしまったら、行動するのが億劫になる。 行動するのが億劫になるから、PDCAが遅くなって、結局なにも成果を出せずに終わる。 完璧主義からの脱却への足がかりになる言葉は、大学院に入る以前でも、幾つかは持っていたのだけれど、 「無変化は停滞しか生まない」 「人間は行動することでしか、世界に関わることができないのだから、“考える”だけならそれは全て無意味だ」 「何を信じて、何を考えるか、よりも、何をするかで人は評価されるべきで、 高尚なかみさまを信じていても、やってることが大量虐殺ならソイツは俺の領域に入ってきたら、何をおいてもまず排除すべきクソ野郎であって、 逆にどんだけイカれた思想でも、やってることが力いっぱい人助けなら、そいつは俺にとってはイイヤツなんだよね。 だから、思想はOSで大事だけど、行動より先に評価される項目ではないね」 ああ、人間関係では実際、SAOのユウキみたいな大胆さを持って色々やったと思う。(その節は大変ご迷惑をお掛け致しました……) 『でもね、ボクは思うんだ。演技でもいいや……って。強いふりをしているだけでも、それでも笑顔でいられる時間が増えるなら、ぜんぜんかまわないじゃない、ってさ。ほら、ボク、もうあんまり時間がないからさ……。誰かと触れ合う時に、遠慮して、遠くから気持ちの端っこを突っつきあったりする時間が勿体ないって、どうしても思っちゃうんだよね。それならさいしょからどかーんとぶつかってさ。もし相手に嫌われちゃっても、それはそれでいいんだ。その人の心のすぐ近くまで行けたことには変わりないもんね』(マザーズ・ロザリオ) これは俺にとってかなり大事な言葉で、大学1〜2年生くらいはこの言葉を信奉して生きていた。(今でも少し。) 他にも、せんせーから掛けてもらった 「手を見ろ、手を。自分の手が生み出すものを見ろ」 「それと一緒に育ちなさいよ。そういうスタートをする時期だよきっと。」 「自己や親を振り返る暇があるなら俺は何かを生み出せるって自信を持てるようになりなよ」 と(いやこの言葉最強すぎるけれど) でも、これらの言葉を以ってしても、「積極的に死に手を打つ」くらいの精神性で行動することは、出来なかったんだ。 なんであんなに、失敗するのが嫌だったんだろう? と思い返す。 これという理由は無いんだけど、一番コレクトなのは、やっぱり「誤答を差し出すことの効率の悪さと気まずさ」が念頭にあったんだろうなー。「余計な時間と負担がかかる」 失敗して尚、心から褒められることって、あんまり無かった。 正解をとりあえず出しておけば、放置しておいて貰えたし、ともすれば褒められた。 試行錯誤するよりも、スルリと正答を置く方が、なにごとにおいてもスムーズだった。 失敗を繰り返して、死に手を潰すってスタイルを体得するのに、結構かかったのだと思う。 いや、いっそ未完成でも取り敢えず出しちまうことの効率の良さよ。 高校〜大学院のどこかのタイミングで、「間違うことを嫌がって、挑まないことが最低で、それは緩やかな死と同義である」という風にルールが変わってたんだよね。 明確な正答が手に入らなくなった頃からか。 それは「一般学生」 → 「ルール(実のところ)無用社会」っつー転換点が、緩やかに存在したということだと思う。ホント。誰も正解を知らない。誰も正解を持っていない。みんな思ってるより考えていない。 真之の海軍大学校における戦術講義は。不朽と言われるほどの名講義だったらしい。――どういう原典も使わなかった。 「あらゆる戦術書を読み、万巻の戦史を読めば、諸原理諸原則はおのずからひきだされてくる。みなが個々に自分の戦術をうちたてよ。 戦術は借りものでは、いざというときに応用がきかない」 「無用に候」(坂の上の雲・十七夜) だれも俺の正解は持っていない、ということに気がつくのに、かなり時間が掛かった。 舞さんが幼いオレに言ってくれた 「答えはすべて、あなたの手の中にあるんですよ」 という言葉の、深すぎる意味に、今ひとつ近づけたのかも知れない。 なんか自分が割と無敵で、幸運の女神に偏愛されてる自覚はあるのだけれど、人生はままならないものだね!! 昔、心から共感した会話で 「嫌々(一回入ってしまったし、一度始めたら、やめるってのも嫌で)好きでもないスポーツの部活を高校3年間やってたんやけど、今から思い返すと一日部活のことを思うだけで気が重かったし、いろんなことに身が入らへんかった。ホント時間のムダやったと心から思う」 「あの時間、もっと有意義に使えたやん。って思うんよ」 ……俺は、苦しい状況に耐え続けたら、きっといいことがあるみたいな考え方は不毛だと思う。 ねぇよ。そんなもんw 心身に支障をきたすだけだ。 状況というのは、良くもなるし、悪くもなる。 けど、心がイリイリする様な状況に在り続けて、何かが解決したり、何かいいことがあったり、抜本的に何かが良くなったりすることなんて、無いと断言できる。 無いよ。あるはずない。 むしろ絶対悪くなる。 そういう時にやるべきことは、基本的には『捨てる』こと一択だ。 俺は「取捨選択は『捨』以外は判断していない」と思う。『捨』以外は全部、「とりあえず持っておく」ことと同義だ。判断しろ判断。捨てろよ捨てろ、Simplify (全てに優先して捨てるべきことは、**「自分の大好きなひと以外の有象無象にどう思われるか」**という回路だったりする。人間もっと無責任になるべきだ) 「真の防衛とは正しい状況認識と適度な危機感、そして自分の身は自分で守るという最終的な防衛意識だ」これは余程の例外を除き、大抵の場合、責任よりも優先されることだろう。 目障り、耳障り、気障りなモノやコトは持っておくだけでコストになる。 償却しないといけなくなる。いや捨てろ、まじで捨てろ、すぐ捨てろ。シャットアウトしろ。 だって心が悲鳴を上げているんでしょう? ...

2017年3月23日 · 1 分 · 92 文字 · Keito Fukushima

「腰を据えて」なんかやろうとしても基本的にはやらずに終わる

「◯◯の準備が整ったら〜」 「アレが終わったら〜」 みたいな感じで、構えてなんかやろうとすることは、基本的にはやらずに終わるのではないだろうか。 人類は怠惰だからね! じゃあどうすればいいの? って、多分どうしようもないんじゃないだろうか、これは。 やりたくないことと、急ぎじゃないことは基本的にはやらないよ。人間だもの。 ……人類、エネルギー準位が最も低いのは「ごろ寝」なんだよね。 基本的にはだらだら生きていたい。 ごろ寝が出来ない環境下で一番エネルギー準位が低いのは、場合に応じて読書だったり、空想だったりするけど、まぁ家で1人だと基本的には最終奥義ごろ寝だよね。人生の2割くらいは怠惰に生きていたい。ホント。 たまに衝動とか怒りとかに突き動かされて何かをやってるけれど、いや、基本的にはごろ寝だ。間違いない。 やりたくないけれど、やったほうがイイことを、やる様に自分を仕向けるってのは、どうすればいいんだろう。(……昔はざっくり自己暗示を使ってたけど。それは割と厨二病の特権なんじゃなかろうか)(話が逸れた) 結局接触回数を増やす以上の対策は無いんじゃないかな。作業興奮。 ごろ寝には勝てない前提で、それでも何かやるなら、スキマ時間を使う以外に無い気がする。 接触回数を増やす方法は色々ある。まぁでも大抵のタスク管理は結局要約すると接触回数を増やす方向に動いてる。(まぁ書き下している時点で読み返すから、接触回数は増えるわな) 人類の本質は適応だと思っている。 準備とか、無理なんだよね、多分。 『冬に薪を買う金で、夏遊んではいけない』 ってこれ端的に素晴らしいユダヤの諺。身に染みる。 襟を正す気になるよね。 最近、何周か回ってメモを常備する様になってる。 測量野帳。(ホントいいメモ。キーボード置いた机の上で広げて、邪魔にならない) ……もうホント、何周回ったのか分からない。結局メモて。 業務時間中にプライベートなことを考えたい時って、(ケータイを会議中に弄ることがマジで不可能なので)メモ帳に落ち着いてしまった。 開いていても、見咎められないし、ともすればなんか立派にメモしてるみたいに見える。 メモを覗くのはマナー違反、みたいな空気はどこの世界でもあるみたいだから、 メモに至るしか、無かった。 もうちょい近代的な部署で働きたいが、最早しかたがあるまい。 (高校の授業中に、電子辞書にtxtファイルつっこんで、いろんな名作を読み漁りまくったんだけど、これくらいのカモフラージュはまだ思い浮かばないや) 書いて、書いて、考えて。 最後は燃やすんだ。

2017年3月23日 · 1 分 · 31 文字 · Keito Fukushima

2017年初心

2017年は反射神経だけで生きていこうと思う。 存在しない神経で、勘と、間と、が作り出す、粋とか妙とかの空間で生きる。 今年はこうなりたい、とか、そんな感じの予定を立てない。やりたいこととかも、具体的には想像しない。「こうすればこうなる」みたいな回路を(みんなの迷惑になる or NOTだけはちゃんと踏まえた上で)極力回さず、 目の前と手元に来た現象を、即殺し続ける感じ。 荒れ狂う殺劇の宴のように即殺し続ける。(殺劇舞荒剣) そう。いうなれば、**下半身だけで生きる。**面倒なことばかりを考えるこのアタマを行動から抜く。 衝動で生きる感じ。 足の赴く方向に向かって、自分に対して自分を偽らず、邪気を無くす感じ。 ……これまでちゃんとやってきたし、考えないオレも、そんなに変な選択肢って選ばないと思うんだよね。 なんか違和感を感じたら、その時はちゃんと立ち止まって考えるよ。 ≪蛇足≫ モデルケースとしてはアレですよ。P5のジョーカー。 ホントカッコいい。まじスタイリッシュ @イブラジにて 「今年はオレ、Gackt様と藤原竜也と棗恭介を足して3で割った感じになろうと思う」 「ほう」 「その3つを足すとP5のジョーカーになる」 「Gackt様要素、だいぶ強いな?」 「折れた翼を羽ばたかせ、すべてを消してみせよう……(REDEMPTION)」 「Gackt様だ」 「Show Time!! ……その身に受けてみろ……(ジョーカー)」 「どうしよう、やっぱGackt様要素、強いな」

2017年1月2日 · 1 分 · 26 文字 · Keito Fukushima

対象年齢って大事だ

舞さんが昔言っていた。 「分からなかったことが、分かるようになるのは、すごく嬉しいことです。 世の中でこれに勝る喜びなんて、そうそうありません」 「でも、きっとやっぱりそれと同時に分からなくなってしまうこともあるんです。……これはとても寂しいですよね』 以下蛇足 この話の最中だったか、別のタイミングでだったかは忘れてしまったけれど、 「暗闇が怖かった時代もあったのに」という言葉が出たんだ。 俺はこの言葉が凄く好きで、……凄く憧憬的な言葉だと思う。 「暗闇が怖かった」ってのは、誰しもの心にある原風景だと思う。 モチモチの木で、豆太が夜怖くて小便に1人で行けない。みたいな。 そういう怖さが、誰の心にもあったはずなのにね。 もう忘れてしまったよ。 夕日に伸びる影をふしぎに思ったこととか、みんなで鬼ごっこしてて、ふと冷静になった時の風の心地よさとか。べたつく汗が気にならないくらい遊んだこととか。 そんな時代があったんだ。 樋口一葉のたけくらべを読んで、 「今とても高尚なものを読んでいる!」みたいなテンションになったのだよね。 あれは小4の時か。 でも、読み終わって心に残るものが無かったんだ。 精神年齢が、その作品を分かることが出来るレベルまで達していなかったんだと思う。 なのに、「今凄いものを読んでるんだぜー へっへー」みたいなことを思った自分が居て、でも読み終わっても俺は何も得られて無くて、ああ、これ意味ねぇな。と思ったんだ。 本を読むのならば、俺は一番楽しめる年齢で、一番楽しめる作品を読んでいたい。 わからない作品を、分かるフリをして読むのは愚かなことだと思うし、 「ああ、この本はいい本だけれど、もう少し前の自分だったらもっと楽しめたのに」と悔しく思うことも嫌なんだ。 常にギリギリ楽しめる最高のものを読んでいたい。 思想的に地続きでありたいのかもしれない。 飛ぶこともきっと出来るんだろうけれど、飛ぶことはちょっともったいないと思うんだよね。 そのレイヤーにある凄く魅力的なものを横目に飛ぶことは、やっぱりもったいないと思う。 知識と経験のバランスをとって居たい。 そう、飛んじゃったら多分、頭でっかちになってしまって、経験が追いつかない。 経験が追いつかないということは、哲学が追いつかないってことで、それはやっぱり肚に呑み込めて居ないんだ。 対象年齢は大事だ。 対象年齢ギリギリの最高のモノを読みながら、対象年齢がちょっと上のものを手に入れ続けることも大事だ。 思想的に地続きであるということは、きっとそういうことなのだと思う。 多分、自明にクレバーでありたく無いのだな。 勝てる試合で勝ちたくないのか、 経験値効率を最大化させたいというか。 そういう算段を、ずっと立てていたい。

2016年12月5日 · 1 分 · 38 文字 · Keito Fukushima

道化

自分の、心と、身体が、乖離する感覚。 手指が冷たくなって、足先の感覚がなくなる。 本心というものを、人はどこまで表に出すのだろう。 顔で笑っておきながら、心が笑えない時に、俺は自分をどうしようもなく道化だと感じる。 ココロに鍵をかけたまま 冷たい態度で 仮面を身につける だれが僕の素顔 知っているだろう? 君のほかには 自分の弱さも強さも さらけ出したいなんて 一度も思わずに 涙かくしてきた 本当の顔を見せられる人 (Masquerade コードギアス) 昔から自覚があるんだ。 小学3年生の頃に、クラスメイトと話が合わなくなった時? それとも、幼稚園の年中の頃に自分の親のことを信じられなくなった時? 心を偽って笑わないとスムーズに生きていけなかった。 笑うことは俺にとって、何処か死ぬことの裏返しみたいなところがあった。 死にたいなぁ、この世界から消えて、無くなってしまいたい。 そんな風なことを、狭い世界で毎日考えて、 いつしかよく笑うようになっていた。 嘘から出た真なのかもしれない。……どちらでもいい。 でも、俺の真は、そこには無いんだ。 本心が、深く深いとても昏いところにあって、 俺はその自分の、何処かドス黒い部分を 振り撒いてしまうことが嫌で、 世の中の流れは遅くて、 「もっとこうなればいいのに」 と思って、(結局はいつもそうなるのに) ほとんど誰も付いてこれなくて、挙句 「勉強し過ぎるとバカになる」 「いや違う、オマエラが付いてこれないだけなんだ」 と心で叫んで、 その叫びを理解して欲しくて、 でも理解してくれる人は、この世界には中々居なくて、 寂しいけれど共感はされず 人間失格と自分の心をヒロイックに笑ってみたり 音楽を聴いた時に、少し救われた。 それはクロノクロスという作品で、 俺には何か、静謐な音の檻、水底にたゆたう静けさ、 そういったものを、俺は感じて。 それは俺が俺の中で、ずっと大事にしていた本心の懐いていた風景で。 昏い昏い蒼色で、光は少ししか届かないんだけれど、 水面の波のように表情豊かで、静謐で、 世界から少し離れているのだけれど とても綺麗なんだ。 大学生の時に、俺はとんでもない女と付き合った。 図書館で「茶の湯の心理学」って本を読んでたら、なんかもうコイツ大丈夫かっていうくらい俺と同質の目をした女に 「おもしろい本を、読んでいるわね」 と静かに声を掛けられて、 その時に思ったんだよ 「うわマジか、とんでもない美女だオイ」 「うわマジか、なんでこの女まだ生きてられるんだ。よく死んでしまわなかったな」 (美男美女は、世界の宝だ。愛でなくては!) 「ああ、俺はこの女ときっと付き合って、恋人同士になることを避けられないんだけど、 きっとそう遠くないうちに終わる」 俺はなんか妙な勘が働くというか、 「目の前の相手と自分の関係が、どんな風に終わるか」 みたいなのが(相手によっては)漠然とわかる時があって、 大抵、そうならないように本気を出したり、出さなかったり、 そういう俺の努力の有無や、 望む望まざるに関わらず、 俺が最初に幻視した風に関係が終わる。 最初で最後が思い浮かんで、 そうならないように「俺らしく」「俺らしくなくワザと自分の行動を崩してみても」 どう本気で足掻いてみても、 その人との関係は、「見たことがある」 「知ってた……」 という風に終わる。 「この人と結婚するんだろうな」みたいな勘とか、匂いとかは、みんな感じると聞くから、きっと同質のものなのだろう。 捨てられたことから身につけた、自己防衛のような感覚なのではないかと、 俺は、思う。 (続く)

2016年11月18日 · 1 分 · 77 文字 · Keito Fukushima

人材≒食えるものの種類が増える

ノドグロトーク② 「3マンセルを多く作る方が効率がいい」 「それに関しちゃあ同意だなぁ、リーダーも臨機応変、四季折々で変えていくってのが無いとな」 「人財って感覚はイマイチ分からない。人財の組み合わせで限界到達点が伸びたことは、今まで無かったしな」 「あー、いや、あー、うーむ。 それに関しちゃ、アレだ。食えるものが増えるって感じだ。メンバーの中に、とても省エネに何かが出来る奴が居ると、ソレも食えるようになる。」 「例えば、ああ、アイツ居るし、これもついでにやっても良いかな、みたいな感じになると思う。」 「深度に関しては、確かにあまり深くなるって印象は無い。ただ、同じ深さまで掘る労力で、良いものもついでに食える印象がある。」 「つまり、グルメになれる」 プロジェクトに於ける人財というものは、こういう理解であまり外していないと思う。 深さは概念設計で決まる気がする。 予想外に深くまで行った、って感覚は、たまにあるけれど、ソレはヒトベースなのではなく、 時と場合ベースの運みたいなもんだと思う。 だから、深さは設計ベース、幅は人財ベースな感じかな。

2016年7月19日 · 1 分 · 14 文字 · Keito Fukushima

自分らしい or NOT

ハヤタと品川で、鳳凰美田を啜り、ノドグロをつつきながら話したことで、 割と好きな話その① 「この年齢になると(24年も生きていると)、判断の基準の、とても大きな部分に、『自分らしいかどうか』ってのが入ってくると思うんだ」 「自分らしく選択したことなら、受け入れられる」 「自分の哲学に反しない言葉で与えられた考えなら、素直に受け止められる」 「行動を、起こすか起こさないか、という判断の材料のとても大きな部分に、これは過去の自分を裏切る行為ではないか? という自問がある」 「そして、自分らしいことをしなかった時って、結局はあまり良い目が出ないんだよね」 「だから結局、自分らしいことをやってねぇとな、って結論になるんだ」 過去の自分は、 今よりも手持ちのカードは少なかったにしろ、その少ない手持ちのカードで、全力で考えて判断していた。 ガキはガキなりに全力で考えている。 「古き良き時代というのは、常に記憶の中にしかありません(堕花雨)」 この20年、予想通りに進んでこれた自信は一切ないけれど、そんなに不幸では無かった。 何が自分の身に起きるのか、(俺は全知でも全能でもないから)予見できたことは無かった。 (後から振り返っても、兆候や、「まぁ順当にそうなるよね」って判断出来るカードは、当時の俺の手の届く範囲には無かったよ) しかし、折々の判断は自分らしいものを常に下して来たと思う。 過去の自分を裏切らず、過去の自分の言葉を嘘にしない。 固執とかではない、変質は歓迎している。しかし望んだ方向、もしくは今の自分の地続きでないと、とてもしんどい。(意味もわからないし、習得までとても時間が掛かる) 世の中には豚に真珠的なことは多々あると思う。必要な言葉というのは、必要なタイミングで与えられないと意味がない。 周りの顔色を伺って生きて、よかったと思えることは無かった。 他人を傷付けて、よかったと思えることは無かった。 悪いことをして、それが自分のためになったことは無かった。どこか罪悪感を感じ続けた。 なんか違うなと思いながら、何もせずに納得出来たことは無かった。 自分らしさとは、(安直な言葉だけれど)蔑ろにしてみても、決していいことは起きないものなのではないかと思う。 最後は勘なんだと思う。

2016年7月19日 · 1 分 · 26 文字 · Keito Fukushima

6月の月記

6月は色々あった。手記として残しておこう。 本配属前研修 本配属前研修として、生産工学的なことをサラッと実習を通して学んだ。感覚的には兵站の概念。ロジスティクス。日本人が苦手な概念。ヤン・ウェンリーが得意なこと。ナルサスが重視すること。 極めて優秀な用兵家だけがこれを蔑ろにしない。 なんだろう、全体的にそんなに難しいことは無かったな。……俺にとって物理学とか数学より難しい事柄がこの世界にそんなにあるとは思えないけれど……。ああ、女子には勝てない。いやでもこれは逆に簡単な摂理だなw 生産管理の究極ってのは簡単だ。 人間を排除すればいい。 もっと言うのならば、人間の意志か。 実習で学んだことは多いが究極的にはやはりひとつだ。 性善説で考えて、性悪説で実行する。……これに尽きる。 それならば、いつも考えていることとそう変わらない。 浅く笑って奸計を練って、行動を起こすだけだ。 印象に残ったことは……そうだな。「皆が自分の最善を尽くす結果、全体最適は夢へと消える」ってことか。いや、極端な話、もっと簡単にやるんなら、独裁してしまえばいいのだ。責任は総て私が負う。いいからやれ。前へ進め。個の意志はシステムに及んでは無駄だ。社会主義的思想も、資本主義的思想も、イイトコどり出来ればね。(小規模なら可能だと思うんだけどね。)(ああだから俺は排他的で選民意識な部分があるのかもしれない) これが出来ないから、混迷するって事がよく分かった。つまるところ全てにおいて覚悟が足りないって話でしか無かった。掌握すればいい。その上でシステム化して、最後に離れればいい。人間は自分にとって都合のいい現実しか見ないんだ。 俺も含めて。 本配属 理系で開発の道に進むつもりだったんだけれど、色々あって経理をすることになった。 この一側面に関しては、俺は多分、会社のことを許していない。 会社が俺の望んだ未来と、俺がその未来の為に他の可能性を切った覚悟分位のことをペイしない限り、俺はこの会社のことを許さないと思う。一度だけ、イチバン大事な局面で俺は盤面を全て俺のために売り払っても、俺は俺を許せる。 経理。この業務、AIにすべて取って代わらせたい。 基本的にプログラムを書くこと以外の入力作業はムダでしかないと考えている。 人間が挟まれるから、不正やらお化粧やらが起きるんだ……。 事実を表す数字に、人の意志が絡んでいいものだろうか? 俺にはまだわからない。 色んな事が、まだわからない。 人生思い通りには行かないものだ。 内定の時に思い描いてベットした未来とは、ガリガリと音を立てながら違う方向に進んでいる気がする。 ……いや、究極的には想定の範囲内だったりするんだ。だから、「まさか○○○○をつくることになるなんてね」ってセリフとポーズも、これはこれで嘘だったりする。このカタチは実は知っている。 頭の中では相似形のものを思い描いていたりした。ちゃんと。 だから、「まさか」ってのも、「100のうちの2を引いちまったか……」って感覚だ。 そしてそれを「俺らしい」って判断しちまってる俺が居て。一方で 「ああ、やっと本来の才能(それはそれはとてもとても文系的な才能)が生きるフィールドに立ったのかw」っつー感覚と同時に、 「俺は誰より技術者として生きる覚悟をしたのにな」っつー葛藤、コンフリクトが常に俺の中にある。 「なんで俺はココに居るの?」 って。 いや、院試に落ちた後のコンフリクトほどじゃないんだけどね。ホント我ながらどんだけ辛かったんだあの局面w 強く在れって言葉を自分の支えにして生きて来たのに、(社会的に確実に)強く在れていない自分を自覚し続ける。自己矛盾で息をしているだけで惨めだった。 んで挙句強く在るために唯一思い浮かぶ方法が、無理矢理にでも笑ってないといけない、丁寧にちゃんと胸を張って生きないといけない。ああ、アレは本当につらかったな……。 本音を言えば、やっぱり想定外では無かったりする。どーせ3〜4年後には似たようなことやってたんじゃねぇかな、っつー予感もある。 しかしまぁ、「許していないぜ」っつー感覚はあって、 周りが俺に向ける視線に期待通りの応えを返すのと同時に 「俺は望んでここに居るのではないよ」 「お前らがもっとちゃんとしていれば、俺は別の可能性の方を引いていたのに」 っつー恨み言が頭の奥底で怨嗟の様に木霊する。 そういう「意としてここに居るのではない」って感覚が頭のなかに在り続ける一方で、面の皮では笑っている、って意味でも、今の環境は俺らしかったりする。 この感覚は、よく知っている。 俺は、別の可能性のためにちゃんと手を伸ばしたのにな。 いつも俺の力を超えた「状況」っつーモンにスポイルされる。 それは生まれる時代だったり、親の転勤だったり、地理的な距離だったり。 好きな人が俺のことを大切に思ってくれる意志そのものだったり。 年齢を重ねて意を通すことが出来る範囲は増えた。 考えられることと、講じることの出来る手段も増えた。 俺はあまり、自分の運の良さを疑ったことは無い。 自分には女神の幸運的な加護が付き纏っている感覚がある。 多分、**俺の意志とは無関係に、**俺にとっていい位置に行くようにする類の、 実はこれは呪いなんじゃないかと、俺は常々思っているんだ……(嘆息)

2016年7月11日 · 1 分 · 56 文字 · Keito Fukushima