飢え

コトを為すのであれば、食事というのは計画的にせねばならない。 何かを考えつくためのベストコンディションを整え続けなければならない。 昼と夜の思考を意図的に、儀式的に区分しなければならない。 そして求める着想というのは恐らく、適度な空腹からしか生まれないのだと思う。

2018年6月10日 · 1 分 · 4 文字 · Keito Fukushima

都合半年、ブログを更新していなかったのかと気がついて

なんで書かなかったのだろう+書けなかったのだろう? きっと完全を目指したからなんだろうな、と思う。 言葉にしてしまうことで、自分の中で整理をつけてしまうことが、とてもとても厭わしかった。 溢れるように言葉を綴っているのは、 「あ、俺これあと少しでイケる気がするってところで停滞してるわ!」と思ったのと、 「度量足りないし、スキル足りないわ、なんかカッコつけて文章を書くのは諦めよう」と。 なるほど、オレは諦めて足掻き始めたんだな。 この半年の、文章的に空白の期間の思想については、イブラジで補完可能だから、まぁ良しとしよう。 過去の思考を辿ろうとした時に、言葉は潤沢で 取りこぼしは、無いのだから。

2018年6月4日 · 1 分 · 10 文字 · Keito Fukushima

相手を自分の懐に受け入れる行為

一目惚れ、というのを、オレは割と信じる性質で、 大体、「ああ、この人との関係は、きっとこういう風に終わる」みたいな感覚があって、それはあまり外れない。 ーーきっと願望みたいな部分もあるのだろうけれど。 最近少し例外みたいなのに行き当たることが多かった。 あれ? この人案外……? みたいな。しかもかなりハイレベルだったりする。 それはきっと、泳ぐ枠組みが、「学生→社会人」で広がったこととにあるのだと思う。 知らないタイプの人と、仕事を通じて密接に関わることが多くなった。 僕で推し測ることのできる枠組みではないのだろう。 人間関係の奥義は、相手より先に相手のことを好きになることにあると思っている。 人当たりが良いのに排他的な自覚があるオレには、これは案外大変な作業だ。 いやしかし、相手を正しく、誠実に受け入れられないまま、 その人の後側にあるものを蔑ろにしてしまうような真似は、望むところではない。 クズの所業だ。 引き出さねば、味あわねば勿体無いし、失礼だ。 自分で自分を、そこまで無価値な人間だとは思えないし、 相手に対しての門戸を開いていない様は、望む所業ではない。 何らかのマインドセットが必要なのだろう。 それはきっと、思想の手掛かりのようなもので。 ーーより感覚的な言葉を足すのであれば、 「知らず知らずのうちに、俺の目指したい自画像の様なものが、少しばかり方向性を変えていて、それを自覚(言語化)出来ていないのだ」と思う。 そういう齟齬だ。今抱えている違和感の原因となるものは。

2018年6月4日 · 1 分 · 23 文字 · Keito Fukushima

家族観

家族観に関しては、何度も綴った気がする。 確執はあったし、俺はそれを忘れることは、恐らくないだろうと思うのだけれど、 母親や父親と、休日に焼肉に行ったり、 仕事帰りの母親と下校時に合流して、美味しいものを食べに行ったり。 1回だけだけれど、家族旅行をしたり。 そういうのは、代え難い幸せだったと、今の俺は思う。 「ああ出来たら、こう出来たら」という感覚は、無い。 やっぱ幼少の俺は常日頃は家に帰りたくなかったし、「このまま居なくなることが出来ればいいのに」と何かに対して願い続けた日々は、無かったことには出来ないけれど、 ふと思い返す、いい記憶も同様に存在して、 ああ、幸せだったな。 と心から思う。 「いつか恩義に感じることの出来る日が、きっと来ます」という氷上の言葉まで届いたのだと、 そう思う。

2016年12月5日 · 1 分 · 13 文字 · Keito Fukushima

対象年齢って大事だ

舞さんが昔言っていた。 「分からなかったことが、分かるようになるのは、すごく嬉しいことです。 世の中でこれに勝る喜びなんて、そうそうありません」 「でも、きっとやっぱりそれと同時に分からなくなってしまうこともあるんです。……これはとても寂しいですよね』 以下蛇足 この話の最中だったか、別のタイミングでだったかは忘れてしまったけれど、 「暗闇が怖かった時代もあったのに」という言葉が出たんだ。 俺はこの言葉が凄く好きで、……凄く憧憬的な言葉だと思う。 「暗闇が怖かった」ってのは、誰しもの心にある原風景だと思う。 モチモチの木で、豆太が夜怖くて小便に1人で行けない。みたいな。 そういう怖さが、誰の心にもあったはずなのにね。 もう忘れてしまったよ。 夕日に伸びる影をふしぎに思ったこととか、みんなで鬼ごっこしてて、ふと冷静になった時の風の心地よさとか。べたつく汗が気にならないくらい遊んだこととか。 そんな時代があったんだ。 樋口一葉のたけくらべを読んで、 「今とても高尚なものを読んでいる!」みたいなテンションになったのだよね。 あれは小4の時か。 でも、読み終わって心に残るものが無かったんだ。 精神年齢が、その作品を分かることが出来るレベルまで達していなかったんだと思う。 なのに、「今凄いものを読んでるんだぜー へっへー」みたいなことを思った自分が居て、でも読み終わっても俺は何も得られて無くて、ああ、これ意味ねぇな。と思ったんだ。 本を読むのならば、俺は一番楽しめる年齢で、一番楽しめる作品を読んでいたい。 わからない作品を、分かるフリをして読むのは愚かなことだと思うし、 「ああ、この本はいい本だけれど、もう少し前の自分だったらもっと楽しめたのに」と悔しく思うことも嫌なんだ。 常にギリギリ楽しめる最高のものを読んでいたい。 思想的に地続きでありたいのかもしれない。 飛ぶこともきっと出来るんだろうけれど、飛ぶことはちょっともったいないと思うんだよね。 そのレイヤーにある凄く魅力的なものを横目に飛ぶことは、やっぱりもったいないと思う。 知識と経験のバランスをとって居たい。 そう、飛んじゃったら多分、頭でっかちになってしまって、経験が追いつかない。 経験が追いつかないということは、哲学が追いつかないってことで、それはやっぱり肚に呑み込めて居ないんだ。 対象年齢は大事だ。 対象年齢ギリギリの最高のモノを読みながら、対象年齢がちょっと上のものを手に入れ続けることも大事だ。 思想的に地続きであるということは、きっとそういうことなのだと思う。 多分、自明にクレバーでありたく無いのだな。 勝てる試合で勝ちたくないのか、 経験値効率を最大化させたいというか。 そういう算段を、ずっと立てていたい。

2016年12月5日 · 1 分 · 38 文字 · Keito Fukushima

道化

自分の、心と、身体が、乖離する感覚。 手指が冷たくなって、足先の感覚がなくなる。 本心というものを、人はどこまで表に出すのだろう。 顔で笑っておきながら、心が笑えない時に、俺は自分をどうしようもなく道化だと感じる。 ココロに鍵をかけたまま 冷たい態度で 仮面を身につける だれが僕の素顔 知っているだろう? 君のほかには 自分の弱さも強さも さらけ出したいなんて 一度も思わずに 涙かくしてきた 本当の顔を見せられる人 (Masquerade コードギアス) 昔から自覚があるんだ。 小学3年生の頃に、クラスメイトと話が合わなくなった時? それとも、幼稚園の年中の頃に自分の親のことを信じられなくなった時? 心を偽って笑わないとスムーズに生きていけなかった。 笑うことは俺にとって、何処か死ぬことの裏返しみたいなところがあった。 死にたいなぁ、この世界から消えて、無くなってしまいたい。 そんな風なことを、狭い世界で毎日考えて、 いつしかよく笑うようになっていた。 嘘から出た真なのかもしれない。……どちらでもいい。 でも、俺の真は、そこには無いんだ。 本心が、深く深いとても昏いところにあって、 俺はその自分の、何処かドス黒い部分を 振り撒いてしまうことが嫌で、 世の中の流れは遅くて、 「もっとこうなればいいのに」 と思って、(結局はいつもそうなるのに) ほとんど誰も付いてこれなくて、挙句 「勉強し過ぎるとバカになる」 「いや違う、オマエラが付いてこれないだけなんだ」 と心で叫んで、 その叫びを理解して欲しくて、 でも理解してくれる人は、この世界には中々居なくて、 寂しいけれど共感はされず 人間失格と自分の心をヒロイックに笑ってみたり 音楽を聴いた時に、少し救われた。 それはクロノクロスという作品で、 俺には何か、静謐な音の檻、水底にたゆたう静けさ、 そういったものを、俺は感じて。 それは俺が俺の中で、ずっと大事にしていた本心の懐いていた風景で。 昏い昏い蒼色で、光は少ししか届かないんだけれど、 水面の波のように表情豊かで、静謐で、 世界から少し離れているのだけれど とても綺麗なんだ。 大学生の時に、俺はとんでもない女と付き合った。 図書館で「茶の湯の心理学」って本を読んでたら、なんかもうコイツ大丈夫かっていうくらい俺と同質の目をした女に 「おもしろい本を、読んでいるわね」 と静かに声を掛けられて、 その時に思ったんだよ 「うわマジか、とんでもない美女だオイ」 「うわマジか、なんでこの女まだ生きてられるんだ。よく死んでしまわなかったな」 (美男美女は、世界の宝だ。愛でなくては!) 「ああ、俺はこの女ときっと付き合って、恋人同士になることを避けられないんだけど、 きっとそう遠くないうちに終わる」 俺はなんか妙な勘が働くというか、 「目の前の相手と自分の関係が、どんな風に終わるか」 みたいなのが(相手によっては)漠然とわかる時があって、 大抵、そうならないように本気を出したり、出さなかったり、 そういう俺の努力の有無や、 望む望まざるに関わらず、 俺が最初に幻視した風に関係が終わる。 最初で最後が思い浮かんで、 そうならないように「俺らしく」「俺らしくなくワザと自分の行動を崩してみても」 どう本気で足掻いてみても、 その人との関係は、「見たことがある」 「知ってた……」 という風に終わる。 「この人と結婚するんだろうな」みたいな勘とか、匂いとかは、みんな感じると聞くから、きっと同質のものなのだろう。 捨てられたことから身につけた、自己防衛のような感覚なのではないかと、 俺は、思う。 (続く)

2016年11月18日 · 1 分 · 77 文字 · Keito Fukushima

2016年7月

文化が違う人と飲むのは大変だ。 いいと思う、ものや事柄が違う。 決して、相手を蔑ろにしたいわけではないんだけれど、特に魅力を感じない感覚。 こちらの立場が無条件で低いから、発言権も無いし。 生きている理由が違うのかな、と半ば諦めの感覚があった。 最初だから方々の飲み会に参加したけど、地味〜に手を引いたほうがいい。 俺が生来磨いてきた、『おもしろいものレーダー』に素直になって、心からおもしろいと思える人と飲んだ方が有意義だ。(そもそもが俺は排他的(以下略)) 交際費も無限ではない。(それでも今は月3〜5万は使っているのだ)(多いよ!) 時間が経って、俺がちゃんと馴染んだらおもしろいと思えるようになると思う。 それまでは控えめに居てもバチは当たるまい。 無理に距離を詰めようとするからストレスなんだ。 俺に有利な間合いを取り続ける意識。 この辺の拍子を捉える感覚、最近鈍っている気がするんだよね 天下一品 天一の豚トロチャーシューが恋しくなって、川崎の天一に行ってみたけれど、京都の本店とは別物だった。 もう行かない……w 吉良さんが亡くなってしまった 俺が世界一好きだったギタリストの吉良知彦さんが亡くなってしまった。 遠い音楽ほど聞き惚れた曲は、この先の俺の人生を通しても無かろう。 ライブに行ってみたかった。せっかく関東に来れたのに。 あぁ…… 8hは寝ないと 翌日のパフォーマンスを確保したいのなら、8hは眠らないとダメっぽい。 8h眠れないと、土日で足りない睡眠を取り戻すかのように一日眠ってしまう。 もういっそ俺の人生、土日の方が大事なんじゃないか……? と思う今日このごろ。 土日に全力で自分の意を通すためには、平日ちゃんと眠っておかないといけないと思う。 8h睡眠時間を取るには、22時には就寝しないといけない。(驚愕の事実) ……夜型人間だったんだけど、改革しないとなw まぁなんとかなる。 夜じゃないとクリエイティブな感覚は鋭敏にならない感覚があるんだけど、まぁなんとかなる。 俺だけこんなに眠らないと駄目なのかな、人生損してね? 大丈夫かなこの調子で? と心配になったけれど、ハヤタも8.5hは眠っているみたいで「そうそうそうだよね」と安心した。 睡眠を犠牲にするのは良くないよ。社会人生活は長距離走なんだ このままでいいのか 全体的に自分の意が通ってない感覚に苛まれ続けた。 日常業務で接する資料が無意味に複雑に感じていたからかもしれない。(コレに関しては改善を合理的に通すことが出来るのか、色々と手を尽くす余地がある)(それなりに合理的という事実も見えてきた)(慣れもある) 最終的に、**「愚痴は政治的に負けた人間の口からしか出てこない!」**と思うようになって、考えることをやめた(これは死について考え続けて、考え尽くしてしまって依頼、そう頻繁に想起されなくなる感覚に似ていると思うw) イーロン・マスクの伝記を読んで、このままではいけない!!w と思うようになったんだけど、いくらなんでも今動きまわるのは忙≪せわ≫しなさ過ぎる。 今の俺は、精神的に『一回休み』のフェーズなんだと思っているw 俺ステイ俺ステイ Pokemon GO 俺の中でポケモンは、銀版で野生の色違いのルギアを捕まえた時点で 「ああ、俺の人生で、コレ以上にレアなポケモンは捕まえらんねぇやw」 と静かに悟って終わったと思っていたのだけれど、やり始めるとやっぱりなんだかんだと面白いものだw 北海道へ 1年ぶりくらいに、実家に顔を出した。 ……親とも、適切な距離感ってものは存在すると思う。 俺と両親の関係というのは、クラスメートで例えるなら「あー、アイツいるよなー」ってな距離感で、「ともすれば偶に仲が良い」ってくらいの距離感なんだと思っている。 (それが一緒に暮らすと、それは軋轢があろうて)というのが、俺の両親に対する感覚なんだ。 今回の帰省は、気持ち短めだったのだけれど、すごくいい感じにまとまっていた。 人付き合いの極意は、「惜しまれているタイミングで帰る」ことだと何かで読んだ。 つまるところ、「足りないくらいがちょうどいい」 総じて 言語化してみると学生から社会人になる、通過儀礼のような悩みだな。 これもまた実験。 ……技術系で、やりたいことが出来る感じで入ったのに。という未練は、そろそろ笑って胸に秘めた方がいい。奸計秘さねば。 この恨みのような感情は、きっと忘れないが

2016年7月31日 · 1 分 · 61 文字 · Keito Fukushima

6月の月記

6月は色々あった。手記として残しておこう。 本配属前研修 本配属前研修として、生産工学的なことをサラッと実習を通して学んだ。感覚的には兵站の概念。ロジスティクス。日本人が苦手な概念。ヤン・ウェンリーが得意なこと。ナルサスが重視すること。 極めて優秀な用兵家だけがこれを蔑ろにしない。 なんだろう、全体的にそんなに難しいことは無かったな。……俺にとって物理学とか数学より難しい事柄がこの世界にそんなにあるとは思えないけれど……。ああ、女子には勝てない。いやでもこれは逆に簡単な摂理だなw 生産管理の究極ってのは簡単だ。 人間を排除すればいい。 もっと言うのならば、人間の意志か。 実習で学んだことは多いが究極的にはやはりひとつだ。 性善説で考えて、性悪説で実行する。……これに尽きる。 それならば、いつも考えていることとそう変わらない。 浅く笑って奸計を練って、行動を起こすだけだ。 印象に残ったことは……そうだな。「皆が自分の最善を尽くす結果、全体最適は夢へと消える」ってことか。いや、極端な話、もっと簡単にやるんなら、独裁してしまえばいいのだ。責任は総て私が負う。いいからやれ。前へ進め。個の意志はシステムに及んでは無駄だ。社会主義的思想も、資本主義的思想も、イイトコどり出来ればね。(小規模なら可能だと思うんだけどね。)(ああだから俺は排他的で選民意識な部分があるのかもしれない) これが出来ないから、混迷するって事がよく分かった。つまるところ全てにおいて覚悟が足りないって話でしか無かった。掌握すればいい。その上でシステム化して、最後に離れればいい。人間は自分にとって都合のいい現実しか見ないんだ。 俺も含めて。 本配属 理系で開発の道に進むつもりだったんだけれど、色々あって経理をすることになった。 この一側面に関しては、俺は多分、会社のことを許していない。 会社が俺の望んだ未来と、俺がその未来の為に他の可能性を切った覚悟分位のことをペイしない限り、俺はこの会社のことを許さないと思う。一度だけ、イチバン大事な局面で俺は盤面を全て俺のために売り払っても、俺は俺を許せる。 経理。この業務、AIにすべて取って代わらせたい。 基本的にプログラムを書くこと以外の入力作業はムダでしかないと考えている。 人間が挟まれるから、不正やらお化粧やらが起きるんだ……。 事実を表す数字に、人の意志が絡んでいいものだろうか? 俺にはまだわからない。 色んな事が、まだわからない。 人生思い通りには行かないものだ。 内定の時に思い描いてベットした未来とは、ガリガリと音を立てながら違う方向に進んでいる気がする。 ……いや、究極的には想定の範囲内だったりするんだ。だから、「まさか○○○○をつくることになるなんてね」ってセリフとポーズも、これはこれで嘘だったりする。このカタチは実は知っている。 頭の中では相似形のものを思い描いていたりした。ちゃんと。 だから、「まさか」ってのも、「100のうちの2を引いちまったか……」って感覚だ。 そしてそれを「俺らしい」って判断しちまってる俺が居て。一方で 「ああ、やっと本来の才能(それはそれはとてもとても文系的な才能)が生きるフィールドに立ったのかw」っつー感覚と同時に、 「俺は誰より技術者として生きる覚悟をしたのにな」っつー葛藤、コンフリクトが常に俺の中にある。 「なんで俺はココに居るの?」 って。 いや、院試に落ちた後のコンフリクトほどじゃないんだけどね。ホント我ながらどんだけ辛かったんだあの局面w 強く在れって言葉を自分の支えにして生きて来たのに、(社会的に確実に)強く在れていない自分を自覚し続ける。自己矛盾で息をしているだけで惨めだった。 んで挙句強く在るために唯一思い浮かぶ方法が、無理矢理にでも笑ってないといけない、丁寧にちゃんと胸を張って生きないといけない。ああ、アレは本当につらかったな……。 本音を言えば、やっぱり想定外では無かったりする。どーせ3〜4年後には似たようなことやってたんじゃねぇかな、っつー予感もある。 しかしまぁ、「許していないぜ」っつー感覚はあって、 周りが俺に向ける視線に期待通りの応えを返すのと同時に 「俺は望んでここに居るのではないよ」 「お前らがもっとちゃんとしていれば、俺は別の可能性の方を引いていたのに」 っつー恨み言が頭の奥底で怨嗟の様に木霊する。 そういう「意としてここに居るのではない」って感覚が頭のなかに在り続ける一方で、面の皮では笑っている、って意味でも、今の環境は俺らしかったりする。 この感覚は、よく知っている。 俺は、別の可能性のためにちゃんと手を伸ばしたのにな。 いつも俺の力を超えた「状況」っつーモンにスポイルされる。 それは生まれる時代だったり、親の転勤だったり、地理的な距離だったり。 好きな人が俺のことを大切に思ってくれる意志そのものだったり。 年齢を重ねて意を通すことが出来る範囲は増えた。 考えられることと、講じることの出来る手段も増えた。 俺はあまり、自分の運の良さを疑ったことは無い。 自分には女神の幸運的な加護が付き纏っている感覚がある。 多分、**俺の意志とは無関係に、**俺にとっていい位置に行くようにする類の、 実はこれは呪いなんじゃないかと、俺は常々思っているんだ……(嘆息)

2016年7月11日 · 1 分 · 56 文字 · Keito Fukushima

常識は一定ではない

今週のジャンプの、ワールドトリガーの会話がスゲェ琴線に触れた。 常識というのは、存外儚いモノだ、とオレは思っている。 常識には転換点があり、それはとても緩やかに――しかし、後から考えてみると自明極まりなく思えるように――転換する。 幕府が最高権力で、逆らうことも出来なかった時代 → 維新 日本は後進国だ → 日露戦争 太平洋戦争 → 敗戦 土地神話 → バブル崩壊 ITバブル → 飽和 全てが「そりゃあそうだわな」と思えることだ。 常識は古くなる。更新される。 それは時代のトレンドやら、技術の進歩。プロダクトによる生活の改変と、価値観の改変。(改質?) 故・河合隼雄 先生が心理学に思いっ切り取り組んだのは、「太平洋戦争 → 敗戦」で変わった常識に、折り合いを付けたいがため、というのと、もう一つ。「太平洋戦争で歪んじゃったけど、本来の日本人ってのは、なんだっけ?」みたいな部分だと思う。(本人もそう述懐していたように思う) 「昨日まで『鬼畜米英!』『いざとなったら竹ヤリで特攻しろ』なんて言ってた政府が、今日になったら米国に媚びへつらうわけですよ」と。 忘れてはいけない。常識は変わるものだ。 変わる常識を読み、捉え、踏まえた上で強く在らねば、オレは自分を許せない。 胸を張ることが出来ないんだ。 世間は往々にして正しいが、基本的にはどこかしらかにおいて衆愚だ。 個として自分の足でしっかり立ち、自分の腕で世間を渡り、自分の手は価値を生み出すことが出来るんだ、という自負を持って生きるのだ。 今のオレにとって、強いカタチは、とにかくここにいったん行き着くことだ。 強く在れ 強く在れ 強く在れ。 「――戦うと、そう決めたのであれば、全身全霊で戦いなさい。一瞬も、一秒も気を抜かず、どんな手段を用いてでも、どんな汚い方法を使っても、勝利という一点に向かって貪欲に食らいつきなさい。まだ立てるのならば、まだ指が動くのならば、まだ牙が折れていないのであれば、立ちなさい。立ちなさい。立って、立って、斬りなさい。生きている限り、戦いなさい。戦え、戦え、戦え!」(リゼロ ヴィルヘルム=トリアス(ヴァン=アストレア)) 実習中、リゼロを(とりあえず第三章まで)読み終わった。 いい作品だ。本当にいい作品だ。なんていい文章を書くんだろう、この作者は。

2016年5月25日 · 1 分 · 39 文字 · Keito Fukushima

田中角栄とファシズム

最近、田中角栄に関しての本が増えてきた。(彼に関しては一度調べた。ちょっといい本でも見つかったら知識を更新しよう。 現時点で印象的なのは、「政治家にして大実業家」「天運に恵まれない父との別れ」「漫談の様な演説」「煽動の才能」「敵は多かったがGiveを連鎖させて味方にしていった」「米国に恐怖を覚えさせた」「信じがたいほど目端が利く人間」「根本的に利発だが、恐らく性悪説側の人間」「(明言は一切無いが)戦地からは仮病の様な方法で帰還していると思われる(こんなところで死ねるかよ)(ああ、多分自分よりも無能な人間の命令で死ぬのが耐えられなかったのだろう)」 こんなところか。 歴史は未来方向から眺めると、まるで結晶構造のような相似形を描いている。 未来の見通しが立たなければ、経済は混乱し、民衆は混迷する。 景気の良さ、というのはつまり未来の見通しの立てやすさだと思う。民衆の混迷∝景気の悪化 やはり最強はヒトラー下のドイツの、「アウトバーン建設」+「フォルクスワーゲン設立」のコンボだと思う。極端な例だけれど、超自明。そりゃあ投資も集まる。自明。 最近よく「リーダーシップについて」とか、「ダイバーシティとカリスマ、どっちが大事なんだろう??」みたいなことを考えていた。 リーダーというのはあくまで役割だから、オレは局面局面で「一番上手く前に立てる人間」が先頭に立てばいいと思う。(しかし先頭に立つと、それはそれで慣れるし上手くなるから、結局ソイツが続投する感覚もある)(まぁいいや)(誰もやらないならオレがやるよ)(面倒になったら他人に投げるし)(黎明期は、飽きるまでは基本的にオレが手綱握っておいた方が上手くいく印象があるな) 「ものごとというのは、基本的に決定しようという強い意志が無ければ紛糾する」 「混迷の先にはファシズムがある。ドナルド=トランプも係累的にはファシズムの印象があり、日本においてもその傾向は橋下徹氏に現れているように思う」 時代には潮流がある。 「ウチの会社は、いいものを作る。作るのだけれど、リリースを後2歩待てない印象がある」「つまり、売り方が下手という言葉に落ち着いてしまうが、お客がその価値に気づけないんです」「その時点では」 いや、オレはソフト面とかUIとかのレベルが一段階低いから、みたいな感覚があるぞ 全ては間合いと拍なのだと思う。急いてはいけない。それは死ぬ。 遅れてはいけない。食い荒らされる。 つまるところ兵站についての概念が日本人には欠けて居るのか。(よく言われている。他にも、相手の戦力を低く見積もることも御家芸だと)これは何故だろうな。少し調べてみるか。 日本語はリアリズムを扱いにくいのかも知れん。断定口調が突き放す言葉に聞こえるものな。敬語が多すぎるのかもしれない。思考は言語に引き摺られる。(サピアウォーフの仮説) ああ、ダイバーシティとカリスマについての結論を。 ・ダイバーシティとカリスマに優先順位はつけられない ・台頭、黎明期においてはカリスマが必要だが、ダイバーシティが無ければ内部が腐敗する。皆同じような感じ方をすると、なにがおかしいのかわからなくなってくる。 ・ダイバーシティを担保するには、常に魅力的な存在で在り続ける必要がある。 ・しかし「チームの成果はチームの居心地の良さ」に比例するという矛盾のある結果も存在する。 ダイバーシティとカリスマに優先順位はつけられない。 しかし、個人的には、どうせ一緒に働くのなら、カリスマの下で働く方がきっと楽しかろうなぁ。と心から思うのだ。人間、結局は日常に埋もれる。戦争の時に兵士が戦う理由は、「家族のため」でも「祖国のため」でもなく、「隣の戦友を守るため」だという。 だから、隣に居る人間はサイッコーにおもしろい人間のほうがいいに決まってるんだ。 立ち止まるな歩き続けろ。強く在れ。と。 逆境でも笑ってる人間が美しいと思う。

2016年5月15日 · 1 分 · 28 文字 · Keito Fukushima