知りたいこと、整理したいこと、会得したいことを得る手段

前述の、得たいものを得るための手段について、ひとつひとつ検討 仕様を握る能力 要求仕様書の書き方の本を読む。 仕様を切りまくって、フィードバックを得る 自分が今やろうとしている事柄のリストを常に共有する 社内の、そういうことを上手くできる人の技能を盗む プ譜的なものを抱えてアップデートし続ける 作業にかまけて、考えてまとめる時間を取らない負のサイクルから脱却する スクラップアンドビルドを高回転に回すノウハウとマインド 鬼速PDCAを2周して、俺なりのPDCAを模索する スクラップにされる回数を増やしまくる 適切なコミュニケーション 必ず、コミュニケーションの目的を定義してから会話する 前提条件を、話している最中に変更しない 弁証法についての本を読破 事象を整理して整流化する能力 コンサルの使ってるフレームワークとか? これも問題解決大全を読めば解消するだろうか? 図にして共有する。そしてスクラップアンドビルド 自分の要求を、人に通す能力 弁証法についての本を読破 適切なコミュニケーション能力を磨く ロジカルにモノゴトを説明する能力を 巻き込み力 自分で仕事を抱え込み過ぎないための方法の模索 全PJについてのタイムラインを図示する方法の獲得 ソフトウェア工学的な思考方法 ソフトウェアエンジニアが、読んで凄くイイという本を数冊読みはじめ、 刺さった本をベースに他の本に手を出す、ということを繰り返す 手法の話をアタマに叩き込みながら、自分が出来ているか、みたいなことを内省する 体系化する能力 アイデア大全・問題解決大全を読む。 抽象化するとどうなるか? みたいなことを考え続ける 時系列を飛ばすだけでは不十分な気がする。 森を見る能力、同じレイヤーで会話できるように 丁寧に仕事をするための、考える時間とそれを確保する能力 作業にかまけて、考えることを放棄して、考えたことをまとめる時間を取らない負のサイクルから脱却する 未来にあり得るタスクへの対策を打っておく(リスク評価) 自分にしか出来ない系の仕事を誰にでも出来るようにして他に投げる まずはじめに、**やろうとしていることのうちで、不明確になっていない事柄は存在しないか?**ということを考えてからモノゴトに取り組む 丁寧に仕事をする。その時間を確保する 納得を形成する能力 弁証法や仕様を握る能力? ビジネス上のコミュニケーションにおいては、相手は納得したいだけであることを念頭に置き、無駄な詳細情報を省く 深い洞察と知識 上記すべてを得るために、読んで書いて考える。 そして、考えることを恐れない。 愛着のある感性に対して、ある種諦めて、前に進むしかないのだ。 問いを生み出す能力 訓練だと思うが、これについては少し分からない。 ピーター=ティールの本を読んで、考えるといいのかもしれない。 本質的な本を読むといいのかも知れない 話を作る能力 上記を総括する意味で、本質的に欲しいのは、この能力かもしれない。 白い世界は完結させたい。思想が前に進んだし、 全思想は残しているから、きっと可能なはずだ。 小説家になろう、とかで投稿してもいいかもしれない。 手段は問わない。完結させよう。 要らないと思う物事について、受けないための言語化を行う。 地道さを伴う何か 他の誰かが、もっと上手くできること。 汎用性のないこと 離れワザ カオス。整頓されていない状態 適切でない量や質全般 伝わらないという事象 愉しみのない空間 笑いの無い空間 んー、 丁寧に生きて、 コミュニケーションに気を遣い、 考えて相談しながらタスクへ落とし込み 誰でも出来るカタチに丸めて、 ーーやはり広義の意味で、氷上の訓戒を意識すれば解決するのだろう。 またしばらく後で考えよう。

2018年6月18日 · 1 分 · 76 文字 · Keito Fukushima

整理すること、捨てること、受け取らないこと

いいと思ったものは、よく考えてつくってある。 整理というのは、考えた上でのみ可能なことである。 忙しいのは、整理ができていないから。 整理ができていないのは、考えが足りないから。 考えが足りないのは、考えることに時間を割いていないから。 知るべきことを、知ることが出来ていないから。 考えるべきことを、考え尽くしていないから。 それは即ち、怠慢である。 頭を使って、心を尽くして、丁寧に生きていないからである。 丁寧に生きるのだ。 丁寧に生きなさい ――字がきたないのと、丁寧に書かないのは違うのです。わかりますか? 意識の有無、意志の強度。 漫然と生きる生に価値はない。 なぞるように、丁寧に。 死の淵で後悔しない様に。

2018年6月16日 · 1 分 · 16 文字 · Keito Fukushima

ロジカルに考える方法

これも俺はそんなに数は存在していない気がしている。 他人の思考で、なぞれない領域があるとイライラする。 考えることさえやめなければ、辿り着けるはずなんだ、後は土台となる言葉が足りないんだ。思い至れていないんだ。 解消できない、タスクと作業に落とし込まれていない仕事が降ってきたら、タスクに落とし込まれるまで死なないといけないらしい。(でないと、後で結構みんな死ぬ)

2018年6月14日 · 1 分 · 4 文字 · Keito Fukushima

仕事上の負債をいかに作らないか

時間が無いから、検討の甘い状態でリリースされた、してしまった系のものでしっぺ返しを受け続けている感じがする。ちゃんとまとめて、言語化して、正しく認識して、リスクを評価して、危機感を共有しなければならない。 これを読んで、スゲェ刺さった。 負債を作らないこと。 正直手が足りないってのが根幹にある気もするのだけれど、それにしたってもっと上手いやり方というのは存在するはずだ。 それは納期や仕様を握りこむ力に等しい。 (納期というのは、最初に感じた二倍の数字を言うくらいで丁度いいらしい。大方の場合、想定した前提条件は事実通りの前提条件ではない) 仕様が確定していないものを作ってはいけない。 途中で仕様や前提条件が暗黙的にでもが変更されるようなことがあれば、それはステークホルダーに共有せねばならない。聞いてねぇよ!! が生まれる 何よりもまず、状況を可視化しなければならない。可視化した状況を共有しなければならない。 共有の時は抽象度を上げて話さねばならない。 状況というのは適切に管理されなければならない。 しかし、肌感のない分野で、どうやってMECEを担保すれば良いのだろう。 会話が相手のギアと合わないのは、どこに起因するのだろう? 恐らく何らかの必読書的な領域に辿り着いて居ないのだと思う。もっと。もっと考えなくては。

2018年6月14日 · 1 分 · 15 文字 · Keito Fukushima

飢え

コトを為すのであれば、食事というのは計画的にせねばならない。 何かを考えつくためのベストコンディションを整え続けなければならない。 昼と夜の思考を意図的に、儀式的に区分しなければならない。 そして求める着想というのは恐らく、適度な空腹からしか生まれないのだと思う。

2018年6月10日 · 1 分 · 4 文字 · Keito Fukushima

当然のことを当然のように

ギリギリで間に合わせることよりも、恒久の対応を優先するべきタイミングは、往々にしてある。 何かのアウトプットを求められた時に、以下のことを必ず考えるべきである ・それはアドホックなタスクなのか、今後の更新が起こりえるタスクなのか ・最も負債の少ないカタチはどの様なものなのか(コードとは負債である) ・最もコミュニケーションの少ないカタチはどの様なものなのか ・どの様なPDCAを回してゆくのか ・最終形態(クリエイティブなあるべき姿、いわばグランドデザイン)はどのようなものなのか ・獲得目標・勝利条件・中間目標の認識は、ステークホルダー間で一致しているか? ・それは丁寧に考えられたものか? ・それはシンプルなカタチになっているか? もっと色々有るのだろう。 思いつくたびに更新してゆく。

2018年6月10日 · 1 分 · 12 文字 · Keito Fukushima

身体が重い

苛烈さを取り戻さなければならないタイミングで、なんというか体重が思想と思索を阻害する。 ダメだこれは。なんだこれは。 まるで知らない間に、別の人間が身体を使っていた様な違和感がある。 認識と身体感覚の齟齬。うわぁ厭わしい。 精神構造が身体を作るのか、身体が心を作るのか。 心技体というが、心とやらはきっと地続きでは無いのだろう。

2018年6月5日 · 1 分 · 6 文字 · Keito Fukushima

都合半年、ブログを更新していなかったのかと気がついて

なんで書かなかったのだろう+書けなかったのだろう? きっと完全を目指したからなんだろうな、と思う。 言葉にしてしまうことで、自分の中で整理をつけてしまうことが、とてもとても厭わしかった。 溢れるように言葉を綴っているのは、 「あ、俺これあと少しでイケる気がするってところで停滞してるわ!」と思ったのと、 「度量足りないし、スキル足りないわ、なんかカッコつけて文章を書くのは諦めよう」と。 なるほど、オレは諦めて足掻き始めたんだな。 この半年の、文章的に空白の期間の思想については、イブラジで補完可能だから、まぁ良しとしよう。 過去の思考を辿ろうとした時に、言葉は潤沢で 取りこぼしは、無いのだから。

2018年6月4日 · 1 分 · 10 文字 · Keito Fukushima

安心感って最強だと思うんですよ。

最近芸風を模索してるのだけれど、 自分の手のひらを見ながら、 『どんな風な感じで人に接したいかなぁ〜』 と考えた時に、 「安心感的なものを与えられる人種でありたいなぁ……」としみじみと思った。 「アナタはそのままでいいんですよ。」 と言ってあげられる感じがいい。 オレは、そうなりたい。 ……それだけで救われることは、とても多い。 ひとりで色んなことをやることに、最近限界を感じつつある。 今の自分が割と尖っている印象があって、(これは若いうちだから許されるもので)最近、「なんかそろそろ違うフォルムになりたい」と思うようになって来た。 このまま尖っていても、要らん軋轢を引き寄せるなぁ……と。(そんなのは望むべくもない) 苛烈さは自分に求めるものであって、他人に求めるものでは無い。無意識にあってでも、意識的にであってでも。 そういうことは、きっととてもよくない循環を招く。 精神的にも、そろそろ次のステップに移る時だと感じていて、じゃあどうなりたいですか? と問われた時に、 「意外と自分、何も出来ないから、 相手の話を聞いて、 相手のことを見て、 浅く笑って微笑んで。 『それで いいんだ』 と肯定してあげられる人間で在りたい」 そう思う。 そういう安心感。 今の相手を踏まえた上で、それを一旦「これでいいのだ」と受け止め切る感覚。 一旦受け止め切る。その上で、それを尊重して対話をはじめる。 これは幼い頃の憧憬として、「あなたはそのままでいいんですよ」と受け入れてもらった自分が居て。 その言葉ひとつに、心の底から救われた気がして、その言葉を支えにがんばり続けることが出来た自分が居たからで、 今でもずっと、「ああいう風に、つらい感情を抱えている人に、心を解きほぐすようなことを言ってあげられる人間になりたい」と思い続けている自分が居るのだ。……そういうところを起点にした考えだ。 あの言葉があったから、俺は頑張って来れたのだと思う。後ろがどうであれ、始点はそこなのだ。 そこを一回、踏んでいるのだ。 自分の考えを話すにしても何にしても、相手の歯車のカタチを知ることが不可欠で、 相手の歯車に、自分の歯車を合わせに行く感覚がたまらなく大事だと、思うようになった。 これはよくある一般論では無くて、『防御はセンスでなんとかなるけれど、攻めは努力して素振りを続けた上で体得するしか無い』という言葉の肌感覚に近い。だから、尖って居た期間があるのと無いのとでは深みが変わる話だと思っていて、 つまり最初から相手に合わせに行ったところで、こちらに対処するだけのスキルが無い状態であれば、受け止めることは出来ないと思う。 先の先を取る練習をした上でしか、後の先を取る技を練習してはいけない感覚。 フォルムを変えようと思った起点としては、「部下が出来たとして」 ということを考えたときに、 「今の俺は、部下を持つに足る器ではないなぁ」 と思ったところにある。 新入社員だから許されてきた領域から、一歩踏み出しはじめているのだろう。 この辺りの感覚について、考えはじめたのは、暗殺教室だと思う。 「目の前の人をちゃんと見て」 「対等な人間として尊敬し」 「一部分の弱さだけで人を判断しない」 「…私は彼女から、そういう教師の基礎を学びました」 「ただ真っ直ぐこちらを向いて」 「今日も彼女は平和に笑う」 「そうか、『見る』というのはこういうことか」 「誰にも正体を見せなかった私は、『見られる』事が嬉しい事だと初めて知った」 この感覚が、自分の中にまだ無いな、と思ったことが始点だったのだと思う。

2017年8月31日 · 1 分 · 52 文字 · Keito Fukushima

嫌いという言葉を使わない自覚

嫌いという言葉を、あまり使わないようにしているな、と最近感じた。 ……思っても、口に出さないようにしている。 多分、心の奥底では「コイツ嫌いだわ〜」と思っている相手に対して、ニコニコ笑って話を聞く時間が、1日の大半を過ごす会社で、多いのだ。 ウヘァ…… なぜだろう? と考えた時に、「ああ、ここには保身があるな」と思い至った。 「嫌わないから、嫌わないでね?」 「ここで思っていることを態度に表すと、後に長引く面倒に繋がる」 「だから、正直目の前の人の話が心の底からどうでもいいし、1秒でも早くその口を開くことをやめて欲しいんだけど、ニコニコ笑って聞く」 みたいな時間がとても長い。 相手の方が、能力に関係なく、無条件で上に位置する。疑問の余地無く。その辺がとても煩わしい。 思うに、「嫌い」と本人の前で口を出せるのは、 ・その人よりも自分の精神的立ち位置を高く見積もった上で、 ・そいつに嫌われても特に面倒は生じない という条件を確保した上でのことなのだろう。 自戒だけれど、偉くなったとして、自分の部下に対して『嫌い』と言い放つことは人生で絶対にしないようにしよう。 あまりそのイメージも湧かないが。とても馬鹿な行いだと思う。 追記; そもそもそんなに人間を嫌う性質だっただろうか? と自問した時、「いや、そうでもねぇな」と思った。 では何がストレスなんだろう? と考えを重ねたら、 「好きではない人と必要以上に距離が近い」ことなのだろう。 そういう環境に、今オレは居るということなのだろう。 なにが言いたいのかよく分からない文章になってしまった。まぁいいや。 思想とは、残すことに、意味がある。

2017年8月16日 · 1 分 · 26 文字 · Keito Fukushima