6月の月記

6月は色々あった。手記として残しておこう。 本配属前研修 本配属前研修として、生産工学的なことをサラッと実習を通して学んだ。感覚的には兵站の概念。ロジスティクス。日本人が苦手な概念。ヤン・ウェンリーが得意なこと。ナルサスが重視すること。 極めて優秀な用兵家だけがこれを蔑ろにしない。 なんだろう、全体的にそんなに難しいことは無かったな。……俺にとって物理学とか数学より難しい事柄がこの世界にそんなにあるとは思えないけれど……。ああ、女子には勝てない。いやでもこれは逆に簡単な摂理だなw 生産管理の究極ってのは簡単だ。 人間を排除すればいい。 もっと言うのならば、人間の意志か。 実習で学んだことは多いが究極的にはやはりひとつだ。 性善説で考えて、性悪説で実行する。……これに尽きる。 それならば、いつも考えていることとそう変わらない。 浅く笑って奸計を練って、行動を起こすだけだ。 印象に残ったことは……そうだな。「皆が自分の最善を尽くす結果、全体最適は夢へと消える」ってことか。いや、極端な話、もっと簡単にやるんなら、独裁してしまえばいいのだ。責任は総て私が負う。いいからやれ。前へ進め。個の意志はシステムに及んでは無駄だ。社会主義的思想も、資本主義的思想も、イイトコどり出来ればね。(小規模なら可能だと思うんだけどね。)(ああだから俺は排他的で選民意識な部分があるのかもしれない) これが出来ないから、混迷するって事がよく分かった。つまるところ全てにおいて覚悟が足りないって話でしか無かった。掌握すればいい。その上でシステム化して、最後に離れればいい。人間は自分にとって都合のいい現実しか見ないんだ。 俺も含めて。 本配属 理系で開発の道に進むつもりだったんだけれど、色々あって経理をすることになった。 この一側面に関しては、俺は多分、会社のことを許していない。 会社が俺の望んだ未来と、俺がその未来の為に他の可能性を切った覚悟分位のことをペイしない限り、俺はこの会社のことを許さないと思う。一度だけ、イチバン大事な局面で俺は盤面を全て俺のために売り払っても、俺は俺を許せる。 経理。この業務、AIにすべて取って代わらせたい。 基本的にプログラムを書くこと以外の入力作業はムダでしかないと考えている。 人間が挟まれるから、不正やらお化粧やらが起きるんだ……。 事実を表す数字に、人の意志が絡んでいいものだろうか? 俺にはまだわからない。 色んな事が、まだわからない。 人生思い通りには行かないものだ。 内定の時に思い描いてベットした未来とは、ガリガリと音を立てながら違う方向に進んでいる気がする。 ……いや、究極的には想定の範囲内だったりするんだ。だから、「まさか○○○○をつくることになるなんてね」ってセリフとポーズも、これはこれで嘘だったりする。このカタチは実は知っている。 頭の中では相似形のものを思い描いていたりした。ちゃんと。 だから、「まさか」ってのも、「100のうちの2を引いちまったか……」って感覚だ。 そしてそれを「俺らしい」って判断しちまってる俺が居て。一方で 「ああ、やっと本来の才能(それはそれはとてもとても文系的な才能)が生きるフィールドに立ったのかw」っつー感覚と同時に、 「俺は誰より技術者として生きる覚悟をしたのにな」っつー葛藤、コンフリクトが常に俺の中にある。 「なんで俺はココに居るの?」 って。 いや、院試に落ちた後のコンフリクトほどじゃないんだけどね。ホント我ながらどんだけ辛かったんだあの局面w 強く在れって言葉を自分の支えにして生きて来たのに、(社会的に確実に)強く在れていない自分を自覚し続ける。自己矛盾で息をしているだけで惨めだった。 んで挙句強く在るために唯一思い浮かぶ方法が、無理矢理にでも笑ってないといけない、丁寧にちゃんと胸を張って生きないといけない。ああ、アレは本当につらかったな……。 本音を言えば、やっぱり想定外では無かったりする。どーせ3〜4年後には似たようなことやってたんじゃねぇかな、っつー予感もある。 しかしまぁ、「許していないぜ」っつー感覚はあって、 周りが俺に向ける視線に期待通りの応えを返すのと同時に 「俺は望んでここに居るのではないよ」 「お前らがもっとちゃんとしていれば、俺は別の可能性の方を引いていたのに」 っつー恨み言が頭の奥底で怨嗟の様に木霊する。 そういう「意としてここに居るのではない」って感覚が頭のなかに在り続ける一方で、面の皮では笑っている、って意味でも、今の環境は俺らしかったりする。 この感覚は、よく知っている。 俺は、別の可能性のためにちゃんと手を伸ばしたのにな。 いつも俺の力を超えた「状況」っつーモンにスポイルされる。 それは生まれる時代だったり、親の転勤だったり、地理的な距離だったり。 好きな人が俺のことを大切に思ってくれる意志そのものだったり。 年齢を重ねて意を通すことが出来る範囲は増えた。 考えられることと、講じることの出来る手段も増えた。 俺はあまり、自分の運の良さを疑ったことは無い。 自分には女神の幸運的な加護が付き纏っている感覚がある。 多分、**俺の意志とは無関係に、**俺にとっていい位置に行くようにする類の、 実はこれは呪いなんじゃないかと、俺は常々思っているんだ……(嘆息)

2016年7月11日 · 1 分 · 56 文字 · Keito Fukushima

凡そにして、全ての才能の行き着く先は構想力なのではないか

そんな仮説を最近考えている。 士は語る可し(言志四録) なんでもいい、1つのことを極めてみろ(麻子) 構想力。 工場実習で俺の直上に付いてくださった工員の方が、妙に全てのことに対してレベルが高かった。 「大体自然の摂理に(なんらかのギミックをもってして)反するものを作り上げてしまえば、それは売れる」 「気を付けろ、沼に嵌るなよ。君が今見つめているところは、なんだかんだ沼だから。価値のある仕事と大きい仕事を取れる機会がせっかくあるんだから、そっちを取れ」 詳しく聞いてみると本当に凄いことを仰る。 クワイガン=ジンみたいな人だった。 若い頃は個人事業主で、一生分、稼ぎ切っている人だ。 ひと山当て終えていて、だからもう生きる理由が違う。 生きる理由が違う。目的が違うんだよな。 カッコいい人だった。目の輝きが違う人だった。 業務とシステムはやっぱアレだったけれど、あの人の下で1ヶ月働けたことに関しては、本当にいいことだったな。 俺はあまり、俺の運の良さを疑っていない部分がある。 イブカが「けーとくんは、実は社会的には運が悪いんだけど、人に恵まれるのと、けーとくん自身の能力の高さで『逆境を物理で殴って倒してしまっている』感じあるよね」「京大だってそうじゃん?? 運無くて阪大落ちたけど、結局倒し切ってるじゃん??」 ありがたい1ヶ月だった。業務に関しては恨み的な怒りもあるけれど、人には恵まれた。感謝しかない。

2016年6月20日 · 1 分 · 18 文字 · Keito Fukushima

常識は一定ではない

今週のジャンプの、ワールドトリガーの会話がスゲェ琴線に触れた。 常識というのは、存外儚いモノだ、とオレは思っている。 常識には転換点があり、それはとても緩やかに――しかし、後から考えてみると自明極まりなく思えるように――転換する。 幕府が最高権力で、逆らうことも出来なかった時代 → 維新 日本は後進国だ → 日露戦争 太平洋戦争 → 敗戦 土地神話 → バブル崩壊 ITバブル → 飽和 全てが「そりゃあそうだわな」と思えることだ。 常識は古くなる。更新される。 それは時代のトレンドやら、技術の進歩。プロダクトによる生活の改変と、価値観の改変。(改質?) 故・河合隼雄 先生が心理学に思いっ切り取り組んだのは、「太平洋戦争 → 敗戦」で変わった常識に、折り合いを付けたいがため、というのと、もう一つ。「太平洋戦争で歪んじゃったけど、本来の日本人ってのは、なんだっけ?」みたいな部分だと思う。(本人もそう述懐していたように思う) 「昨日まで『鬼畜米英!』『いざとなったら竹ヤリで特攻しろ』なんて言ってた政府が、今日になったら米国に媚びへつらうわけですよ」と。 忘れてはいけない。常識は変わるものだ。 変わる常識を読み、捉え、踏まえた上で強く在らねば、オレは自分を許せない。 胸を張ることが出来ないんだ。 世間は往々にして正しいが、基本的にはどこかしらかにおいて衆愚だ。 個として自分の足でしっかり立ち、自分の腕で世間を渡り、自分の手は価値を生み出すことが出来るんだ、という自負を持って生きるのだ。 今のオレにとって、強いカタチは、とにかくここにいったん行き着くことだ。 強く在れ 強く在れ 強く在れ。 「――戦うと、そう決めたのであれば、全身全霊で戦いなさい。一瞬も、一秒も気を抜かず、どんな手段を用いてでも、どんな汚い方法を使っても、勝利という一点に向かって貪欲に食らいつきなさい。まだ立てるのならば、まだ指が動くのならば、まだ牙が折れていないのであれば、立ちなさい。立ちなさい。立って、立って、斬りなさい。生きている限り、戦いなさい。戦え、戦え、戦え!」(リゼロ ヴィルヘルム=トリアス(ヴァン=アストレア)) 実習中、リゼロを(とりあえず第三章まで)読み終わった。 いい作品だ。本当にいい作品だ。なんていい文章を書くんだろう、この作者は。

2016年5月25日 · 1 分 · 39 文字 · Keito Fukushima

出世やらなにやら②

長くなったので改めた 「出世したい??」と問われて、「ええもちろん」と即答している。 男に生まれたからにゃあ、そりゃあ偉くならねばな! と思うんだけれど、 この間課長に呼び出されて説教食らった時に、 「てめぇそんなんじゃ現場の人間はついてこねぇよ!!」 みたいなこと言われて、心の奥底で「ンなこたぁねぇよ」と怒りの疼痛を感じている俺がいる。 怒りと痛みと反骨を覚えている俺が居る。 上司に怒られるって、超初体験だったけど、アレだな。 「ああ、今オレ、相手の間合いに不用意に踏み込んじまってんだな」 みたいな感覚だった。 そして尚且つ、こっちが刀抜くの許されない感覚。 刀抜いたら、こっちが余計に傷を負う感覚。 アレよくねぇな。難しい。 「今ここで斬られておかないと、もっと深い致命傷を負うなこれは」って感覚。 斬られっぱなしだと死ぬんだろうけどな。上手い怒られ方ってのも、体得しないとな。 まぁ一回線を超えたことで、「何処に地雷が埋まっていやすいのか」っつー死に手を覚えた(類似を全部スイープ出来た)から、コスパは最高に良かったんだけど、難しいね。 人間を悪し様に言ったつもりはないんだけど、現状のクソ極まりないシステムも、それはそれで誰かの手がかかってて、それはニアリーイコールで『誰かの子供』みたいな認識をしておかないと、超反感を買うな。と。いやまぁクソ極まりないシステムってのは本当にクソ極まりないシステムだと今でも心の底から思っているんだけどね。だから吐いた唾を飲み込むつもりもないけれど、一番効くカタチで硫酸を流しこむって方法以外で唾を吐くのは無意味だな、とも思い知った。クサいしキタナイ。美しくない。 最初は処女のようにたおやかに、後に烈火の如く猛攻。これが真髄なのに、俺は威嚇行為みたいなことをしてしまったんだ。気をつけないとな。処女のようにたおやかに。THE 奸計。 特にオレはそれを殺し切るってのが至上命題の職種だから、まぁなんというか、色々と気をつけないとな。身の振り方難しいな。 まぁでも無変化は停滞しか生まねぇし、感情論で説教されてもオレは折れねぇよな…と思った。感情論って「最後にはそこに行き着くのは分かるんだけど、今は方法論≪ビジネス≫の話ししてるからさ?」って感じがいやもう**本当にもうマジで感情論と理性は分けて説教してくれ頼むから。 ……**俺も気をつけないとな。 強く在らねば。強さを模索せねば。挑む前には勝っていなければ。 全ての説教と、俺に対する示唆に 「他人を使うことを覚えろ」という旨が入る。 使えない訳ではない。しかし、自分一人で出来る自負もあるし、正直出来てしまうという感覚もある。つまり、「その方がはやいじゃん?」 俺より大学時代、いろんな人に火を焚べてもらって、いろんな人に引っ張りあげてもらって、オイ!アレやろうぜ!! っていう楽しみ方をした人間は、居ないと思うのだ。 まぁつまり、「あんまり大失態とかも今までは無かったし、これからもある気があまりしないんだけど、なおせなおせって、なおす必要、ある? その時が来たり、本気で困って首が回らない状況になったら、俺はちゃんと変質出来る自覚があるんだけど。……それよりもあなた方も個の力を全力で磨いた方が良くないか? 学がない学がないって、学なんざ自分の哲学にそぐう本を見つけて掘ってみたら意外とアッサリ身に付くものだぞ、というかそもそも本を読んでる? 俺より読んでる?」とか思ってしまってどうにもな……。なんだろう。俺も剣が抜けるタイミングがあればいいのにな。 いや、そんなにそんなに挑むことばかり考えているわけでは、決して無いのだ。 ただ、俺の方にも言い分は腐るほど在るし、そんなに浅い部分で言葉を連ねられても、そこは一度通ったぜ? だからもっとスゴいのくれよ? と思ってしまうんだ。 反省する部分は反省する。なおす。俺が悪い部分は俺が悪い。でもまぁ地雷はなんだかんだ新兵だからまだ分からなかったな〜 と思う。まぁいいや。 人を使うって感覚は、よく分からない。「一緒に遊んでもらう」「巻き込む」みたいなことと、それは違うんだろうか? 使うって感覚と表現は、正直、嫌いだ。「やってもらう」「Takeを噛ませてやってもらう」「別のところで報いるよ」 みたいな感覚が、俺には誰よりある。分かんない。投資して、投資される感覚? ボッたりボラれたり。それが池袋の摂理。(ウエストゲートパーク) 他の人に投げる、自分が一歩下がるライン。その分岐点は、やはり怒りだと思うんだ。 「俺はぐーたらしていたいのに、なんで俺が頑張ってみんな遊んでんの!?」みたいな怒りだ。 これを一番最初に自覚したのは、小学3年生の時で、そのことを意識した時の通知票には 「ひとりで出来ることと、ひとりでやること は違います」「ひとりでやること、やってしまうことが多く、心配していましたが、ある時からピタッと止みました」と書いてあった。俺はこの評を読んだ時、「ああ、なんて頭のいい先生なんだ」と思ったことをいまでも覚えている。 いい風に書かれていたけれど、正直後ろにあったのは上述の怒りだ。「キサマら働け!」「俺より働け!」 それと同時に、斬り込むのは常に俺でないと成功しない印象がある。 発達初段階のサイクルを俺より早く、上手く回すことの出来る人間は、そんなに居ないんじゃないかと思う。実のところ、俺は多分「意が通って、尚且つ『コイツ出来る』って判断出来た人間」には、誰より早く投げるし、まぁそういう人間は実際通じ合うよね、みたいな感性が俺にはある。答え合わせでいいし、それが一番効率がいい。俺も幸せ。みんな幸せ。 俺についてくる必要はあるのだろうか? 俺が人を使う必要はあるのだろうか? 根本的に選民意識がある。莫迦が天才の進む道を阻んでいる状況に、並々ならぬ嫌悪感を覚える。 一方で、世間はなんだかんだ正しい、という意識もある。 それと同時に、常識というのはある時一瞬で方向を変えるものだ、という意識がある。 全ては志なのだ。人間はかなりの度合いで、他人の野望に引きずられる。だから、抱いたもん勝ちなんだ。大きい夢と、覚悟を。 俺にはやりたいことと、引き寄せたい未来の憧憬がある。俺は今すぐそこに行き着きたいんだ。だからもう、そこのけそこのけ、俺が通る。きっと楽しい、一緒に行こう? ああ、すべては時と場所と場合によるのだろう。

2016年5月25日 · 1 分 · 59 文字 · Keito Fukushima

田中角栄とファシズム

最近、田中角栄に関しての本が増えてきた。(彼に関しては一度調べた。ちょっといい本でも見つかったら知識を更新しよう。 現時点で印象的なのは、「政治家にして大実業家」「天運に恵まれない父との別れ」「漫談の様な演説」「煽動の才能」「敵は多かったがGiveを連鎖させて味方にしていった」「米国に恐怖を覚えさせた」「信じがたいほど目端が利く人間」「根本的に利発だが、恐らく性悪説側の人間」「(明言は一切無いが)戦地からは仮病の様な方法で帰還していると思われる(こんなところで死ねるかよ)(ああ、多分自分よりも無能な人間の命令で死ぬのが耐えられなかったのだろう)」 こんなところか。 歴史は未来方向から眺めると、まるで結晶構造のような相似形を描いている。 未来の見通しが立たなければ、経済は混乱し、民衆は混迷する。 景気の良さ、というのはつまり未来の見通しの立てやすさだと思う。民衆の混迷∝景気の悪化 やはり最強はヒトラー下のドイツの、「アウトバーン建設」+「フォルクスワーゲン設立」のコンボだと思う。極端な例だけれど、超自明。そりゃあ投資も集まる。自明。 最近よく「リーダーシップについて」とか、「ダイバーシティとカリスマ、どっちが大事なんだろう??」みたいなことを考えていた。 リーダーというのはあくまで役割だから、オレは局面局面で「一番上手く前に立てる人間」が先頭に立てばいいと思う。(しかし先頭に立つと、それはそれで慣れるし上手くなるから、結局ソイツが続投する感覚もある)(まぁいいや)(誰もやらないならオレがやるよ)(面倒になったら他人に投げるし)(黎明期は、飽きるまでは基本的にオレが手綱握っておいた方が上手くいく印象があるな) 「ものごとというのは、基本的に決定しようという強い意志が無ければ紛糾する」 「混迷の先にはファシズムがある。ドナルド=トランプも係累的にはファシズムの印象があり、日本においてもその傾向は橋下徹氏に現れているように思う」 時代には潮流がある。 「ウチの会社は、いいものを作る。作るのだけれど、リリースを後2歩待てない印象がある」「つまり、売り方が下手という言葉に落ち着いてしまうが、お客がその価値に気づけないんです」「その時点では」 いや、オレはソフト面とかUIとかのレベルが一段階低いから、みたいな感覚があるぞ 全ては間合いと拍なのだと思う。急いてはいけない。それは死ぬ。 遅れてはいけない。食い荒らされる。 つまるところ兵站についての概念が日本人には欠けて居るのか。(よく言われている。他にも、相手の戦力を低く見積もることも御家芸だと)これは何故だろうな。少し調べてみるか。 日本語はリアリズムを扱いにくいのかも知れん。断定口調が突き放す言葉に聞こえるものな。敬語が多すぎるのかもしれない。思考は言語に引き摺られる。(サピアウォーフの仮説) ああ、ダイバーシティとカリスマについての結論を。 ・ダイバーシティとカリスマに優先順位はつけられない ・台頭、黎明期においてはカリスマが必要だが、ダイバーシティが無ければ内部が腐敗する。皆同じような感じ方をすると、なにがおかしいのかわからなくなってくる。 ・ダイバーシティを担保するには、常に魅力的な存在で在り続ける必要がある。 ・しかし「チームの成果はチームの居心地の良さ」に比例するという矛盾のある結果も存在する。 ダイバーシティとカリスマに優先順位はつけられない。 しかし、個人的には、どうせ一緒に働くのなら、カリスマの下で働く方がきっと楽しかろうなぁ。と心から思うのだ。人間、結局は日常に埋もれる。戦争の時に兵士が戦う理由は、「家族のため」でも「祖国のため」でもなく、「隣の戦友を守るため」だという。 だから、隣に居る人間はサイッコーにおもしろい人間のほうがいいに決まってるんだ。 立ち止まるな歩き続けろ。強く在れ。と。 逆境でも笑ってる人間が美しいと思う。

2016年5月15日 · 1 分 · 28 文字 · Keito Fukushima

オーバーキルは超大事だ

**殺しきる感覚。超大事。 自分のことならば、いくらでも甘えがきいた。 自分以外の人間が関わるのならば、目の前のことは殺しきらねばならない。**オーバーキル、マジで大事。 殺しきれないならば、レベルか戦闘時間が足りない。 手が足りないのかもしれない。 レベルを上げて物理で殴る。もしくは、傭兵を雇う。兵器を買って来て使う。 相討ちではいけないんだ。 「余裕で殺しきる」 この感覚。圧倒出来る感覚。 殲滅した後も、こちらの手元には超手駒が残っている感覚。いっそ戦闘後はノーダメくらいの勢い。「まぁ、当然こうなるよね」と口笛吹けちゃう感じ。数の暴力を使える(使う)ということは、イメージとしてだけれど、ここに帰結するのではないだろうか? 理想は絶対にオーバーキル。 むしろオーバーキルをニュートラルにする。 常時オーバーキルを戦略の中心として据える。 苦労して達成することに、なんの意味もないんだ。 達成する、という一点にしか価値がない。 苦労とか別に要らない。苦労した経験よりも、「当然のことを積み重ねた上での成功体験」のほうが大事だ。 何事も最後は勝つから楽しいんだ。……まぁ、俺は負けても勝ったみたいに笑うけどさ。 むしろ苦労せずに殺しきれるタスクである、ということにこそ、仕事として適性がある。……価値を生むことが出来る。 最近はそんな気がしている。 修羅場は楽しいんだけれどね。 修羅場を招いている様では、プロではないのかもしれん。 いや、修羅場ってのは、向こうから突っ込んでくるものなのかもしれないなw(だとしても、予想・予測と対処だ) 修羅場。大好きだけどさ。ああ、俺の真骨頂は危機対処にある気もするんだけどさ。 それは別枠だな。大事なのはルーチンに落とし込んで、当然の様に殺しきることさね。 個としてなら、ギリギリを攻めて戦闘自体を楽しめばよかった。(学生時代はそんなことばかりしていた様に思う) しかし最早、俺は多分その段階にあることを許されては居ないのだ。 最近はそんなことばかり考えている。

2016年5月10日 · 1 分 · 27 文字 · Keito Fukushima

To reach a good consensus. Ver. 1

上下関係をはっきりと まず声が通るように(精神的な)上下関係を意識させる。具体的にはまずはとりあえず上に立つ。 そこから段階的に降りて行く。 その方が効率がいい。 下手な協調性は意識しない方がまだマシ。 俺にとってはストレスでしか無いことが多い。 ルールした方が早くて省エネ。スッキリする。 有象無象の意見に大した価値はない。 物事というのは決定しようという強い意志が無いと絶対に紛糾する。これは無駄だ。無駄なんだ。 つまらないことでオレの人生の時間を奪うな。奪わせるな。 自分のアタマで1から考えている人間に付き合う義理は無い。巨人の肩に乗る意識の無い人間には必読書を投げて帰した方がまだずっと建設的だ。(読むように誘導しろ)(読まないとステージにすら立てていないことをまず自覚させろ)そこまで他人の面倒を見切れない。無変化は停滞しか生まない。死ね。 衆愚政治ほど唾棄すべきものは無い。それはファシズムを産む。 クリーンで合理的ってのが何よりも大事。 「誰がどう考えてもこうなるよね」というのが大事。 感情論は省け。無駄だ。 奸計は実行の時に俺が中核に居ないと大抵、失敗する。 自分のリソースを目の前のことにどれくらい割けるかを考えて、一般解にどの程度近づけるかを決めろ。 やりたいことに手を挙げろ。やりたくないことを笑顔で引き受けるな。やりたく無いことを続けるな。そこに満足する成果は絶対に無い やりたくないことを嫌々やるのは人生の無駄だ。やりたくないことは嫌々引き受けて『貸し』を作り、より合理的な、詰めた案を上に通して、やりたく無い仕事ごと、まるごと他人に投げる。 考えることを止めるな。考えたことは無駄にはならない。 大きく声を出して、高く手を挙げろ。 行動しろ、前進しろ、敵を倒せ。 闘え。短期的にではなく、長期的に手を打て。 (但し血止めを忘れるな)(つまり「たまには休め」) Let’s go together ! 形態はどうでもいい。言葉尻もどうでもいい。 「内容に関して1人で決めた」ということを避けろ、 取り敢えず上の人間をまず巻き込め。 文句や反論を言ってくる(必要な)人間には、「その観点は無かった。詳しく聞かせて頂きたい → 頭を貸して下さい」と笑顔で頭を下げろ。プライドはいらない。実現することが何よりも大事なんだ。価値を生み出すために正しい手段を取り続けることが何よりも大事なんだ。 極端な話、実現するのは俺でなくても良いのだ。 時代を進めろ。技術をもって人類を進歩させろ。救済せしめろ。 俺はそういう生き方を、既に選んでしまったんだから。 必要で無い人間? 捨て置け。何をやってもnegativeは出るよ。本当に暇な時に、コスパが良ければ、根回しすればいい。 「誰がどう考えても、合理的に考えたらこうなるよね」って方針で動いているなら、正義はこっちにある。物理で殴れる。 そしてとにかく周りに思考停止を許すな。情報は確定させた後ちゃんと流せ。 協調性は「一緒に」という仲良しごっこから生まれる。まずはごっこ遊び。それでいいんだ。 そしてこの実感は、「独断先行のきらい」のある俺を正しく縛る言葉にもなる。 「目の前の人をちゃんと見て」 「対等な人間として尊敬し」 「一部分の弱さだけで人を判断しない」 独断先行は孤立に繋がる。 先行するなら、「役割として向いていて、尚且つ全体最適に必要なんだ」という理解を得るよう、最大限に努力する。 「そういう役割なんだ」と承認をもらっておく。 俺はどう頑張ってもせいぜい3人分くらいの仕事しか出来ない。それでは足りんのだ。リソースを最大化出来ていない。リソースを最大化。これがオレの宿命なのだ。 他人を使う ≒ 他人に助けてもらうには、この「人としての基礎」に立ち返る必要がある。 相手のことを認識して、尊重し、名前で呼ぶ。 承認するんだ。 If the most extremely weird case realizes… 仮説が全て。 俺が人生で一番感心した仮定は、 「もし全ての人間が理性的な世界があったとして」 この言葉を発した人間は、住友商事に就職した。(その後やりたいことベースでベンチャーに行った) イケルイケル cv 皆口裕子 最終進化形態は、「キテルキテル」 ...

2016年5月8日 · 1 分 · 75 文字 · Keito Fukushima

読書

太上は天を師とし、其の次は人を師とし、其の次は経を師とす。(言志四録) 新入社員研修で、周りがあまりに本を読んでなさ過ぎて悲しくなった。 「俺は本には決して金を使わないようにしている」とか偉そうに言われても……「あー、まぁ読めりゃなんでもいいもんねー(苦笑)」なにそのこだわり。無駄すぎるんだけど。固執は良くない。滅べ。 一緒に働きたい人間の像として、俺は5つを挙げた。 ・志を持って行動している人間 ・根本的に利発であり、尊敬できる面が1つ以上ある人間 ・哲学が定まっている人間(ブレない) ・読書、若しくはそれに準ずるレベルの知識の更新の手段を持っている人間 ・構想力と大局観と断行力を持とうと日々邁進する人間 我ながらハードル高いなオイ まぁでもこのくらいは求めてもいいだろうて。 読書が一番コスパいい気がするんだけどな。 本を読まないと、同じ土俵にすら上がれないというか。 なんでもいいのだ。教科書でもいい。(数物理の教科書なんて俺は1ヶ月読んでも分からなかったw) 自分より上位の人間が通った道筋から、何かを汲み取ろうとする意志と行為が尊いのだ。 「読書に準ずる知識の更新の手段」って、読書の門を一回くぐった人間が他のメディアに触れる or 天才の近くにいていつも修羅場 or 天に学ぶモノホンの才能 以外に俺は思い浮かばない。 ああ、後はアレか。新しいことを常に試して体得していく奴。これは強過ぎる。本とか目じゃない。 なんだろうな。なんだろう。自分の能力に歯痒さを感じたこととか、あの人に太刀打ち出来るように! とか、そういうことを本気で願ったことがないのかな。 だとしたらそれはとても不幸なことだと思う。 俺は、幸せだった。

2016年5月2日 · 1 分 · 26 文字 · Keito Fukushima

カリスマと多様性

ダイバーシティよりもカリスマの方が、本音としては必要とされている気がする。 ダイバーシティを望む、みたいなことを謳ってるけど、人間を多く入れることにあまり意義を見出せない感覚が、俺には在る。 正しい篩にかけられよ、と。 まぁ能力も誤差な気もするんだけどな。企業ってのは割と有機的な生き物で、(国家はリヴァイアサン(縛っておかねば))代謝されるから。人間の力なんてそうそう変わらねぇやね。 まぁでも習慣で培われた技能は大事だ。芸は身を助けるし、志は語らう。ひとつの芸事を深めた人間ってのは、他に於いても要領を得る。あんま、学歴とかで絞りまくって、ってのもナンセンスさね。しかし深みというのは大事だ。人間的な深みであれ、芸事であれ。(学歴と要領みたいなのは、ある程度までは比例する気がする)(まぁ大学が凄かろうがそいつが凄いわけでは無い)(しかしまぁ、ある一定期間までのクオリティ保証って側面はある)(若いうちはね)(年齢が変わると尺度も変わろう)(男は30こえてからが勝負とも聞く)(必要とされる能力も変わる)(部下を使うとか人を使うとか)(やっぱこの思考方向に俺の発言権はあまり無いやね。ナンセンスだ) 立場が変われば見えてくるものも変わる。……しかし、どうも俺にはあまりキレイな思想が根底を流れているようには思えないんだよな……(それもまた正しくSocietyなのか) そうさな。俺は多分根本的なところで排他的で選民意識があるんだと思う。 ついこの間、意外に思われたけれど、俺の対人関係のスタート地点は「人間嫌い」から始まってるんだよ。デフォルトでは人間嫌いなんだ。人当たりがいい割に排他的なのだ俺は。 一時期ハヤタの影響で「人間好き」にギアが入って(バグって)たこともあったけど、俺としてニュートラルなのはやっぱこっちだ。「人間嫌い」だ。 (原因はわかってる。俺の好きな氷上が幼い俺に対して「貴方は 世に蔓延る 有象無象とは 違いますから」って言い聞かせたことにあると思う。俺は有象無象の意味が分からなかったけど、有象無象にはなりたくないと心から思った。なんだろう、氷上、いくらなんでも人間嫌い過ぎだろう) 俺は俺の手の届く人間を守れれば究極的には満足なんだ。 人間関係は極まると閉じる。雛見沢のように。 (それは感覚的には、志望動機に「人がいいから」と臆面なく言われた人事の感覚に似てると思う)(スゲェ真面目に活動してるサークル(例えばテニサーとかアンサンブルとか)に、たまたまかわいい女の子が集まってて、後輩の入部希望の男に動機聞いたら、「美人が多いからです!」と臆面なく答えられる感覚。「ハァ!?」と殴りたくなろうて。え、なに、オマエは俺らになんかしてくれんの?? 関係は然るべくギブアンドテイクであるべきなのに、ギブに何してくれるの?? となろうて) 人間関係論については長くなるから別の機会にしよう。なんだろう。俺はなんだかんだ人には恵まれた自覚がある。 ・友人の友人に対しては基本好意から始まる ・コイツできる、って思った瞬間に好奇心スイッチが入る ・ギャグのどこで笑い始めるか、で回転の速さがある程度測れる(返答の質も含め) ・なんだかんだ長いこと仲良くしてると、色々いいとこばっか見えてくる この辺りでバランス取れてる気がする。いや、正直どこまで言葉にしているか、って差だけで、みんなこういう「警戒心」みたいなのは当然に持ち合わせてるってのが俺の本音だけどな。 まぁ結論、どんなに仲良くなる才能があっても、時間の壁は越えられんよ。たまに越えるけどな! 多様性は難しい。 ダイバーシティ?? バラエティに富んだ、みたいな表現の方がしっくり来るかもしれんな…… ダイバーシティよりもカリスマの方が必要だと思うんだけれど。 リーダーシップはあくまで役割でしか無い。一番上手くできる奴が、求められたタイミングを見計らって前に出ればいい。それが一番省エネだ。船頭多くして船山に登る。たまには後ろに控えよ。 しかし、かといって世を変えるのは天才なのだ。カリスマなのだ。 有象無象に何が出来る。 前進しろ前進しろ前進しろ。さもなくば死ぬのみなのだから。 俺は、カリスマの方が大事だと思う。 ダイバーシティという言葉には、どうも深みが足りない。浅く感じる 続きは改めよう。この辺はもう少し考えた。

2016年5月2日 · 1 分 · 36 文字 · Keito Fukushima

最速はテンプレート

過去レポを使えという話。 結局仕事の段取りとかも終始チェックリスト化して「誰にでも出来る」レイアウト+MECEにして他人に投げてしまえばいい。フローチャート最強。 テンプレートとかは汎用性のある過去レポだと思う。でもアレンジしないと使いものにならない。 1を足せという話か。Modified XXXX テンプレ化、チェックリスト化。 最初3ヶ月位で全てこれにしてしまえば後は作業になる気がする。 収穫が終わって遊ぶことに飽きたら別のところに行こう。無変化は停滞しか生まない。

2016年4月15日 · 1 分 · 8 文字 · Keito Fukushima