アバンチュリエ

ペルソナ5をクリアーした後、アバンチュリエを読んでいる。 [まとめ買い] 怪盗ルパン伝 アバンチュリエ 登場編(ヒーローズコミックス) Kindle版 著者: 森田崇 [まとめ買い] 怪盗ルパン伝 アバンチュリエ(ヒーローズコミックス) Kindle版 著者: 森田崇 怪盗アルセーヌ・ルパンをとんでもなく色っぽく描いていて、どうにも面白すぎる。 上巻のパリ万博のシーンで秋山真之(坂の上の雲)が出てきていたりと、もうなんというか、筆者にファンレターを送るレベルで好き。とてもクレバーな方だとお見受けする。 末筆の解説も本当に素晴らしい、これだけでお金を払えるレベル。 俺の中でどこか乙嫁語りと同じ位置に存在する。 なんというか、俺にとって新しいことを素晴らしい角度でアタマにすんなりと入れてくれるというか。 このアルセーヌ・ルパン、なんというか、世の中にイタズラを仕掛けることに終始していて、とても人間臭く、図太く繊細で美しい。 骨太なマンガなので理解し切るのに、何気に根気がいるのだけれど、そんなこと関係なく一読するだけでも本当におもしろい。 ※ P5の主人公が暮らす喫茶店・ルブランはアルセーヌ・ルパンの著者、モーリス・ルブランから取られている。 金とか、権威主義とか、名誉とか。 そいういう虚飾を追い求めることを、作中のルパンは厭わしく感じていると同時に、一方でそういう虚飾を演出として誰より上手く活用する、そんな矛盾。 目的のためなのか。才能なのか。 なにか憧れを感じる。 彼には盛大な世の中に対するトリック・オア・トリートが存在する。 図太く繊細で、美しい。

2017年1月9日 · 1 分 · 29 文字 · Keito Fukushima

この世界の片隅に

公開3日目とかに見に行ったんだけど、 感想が非常に難しい作品だった。 これは多分、オレのその方向での語彙力とか、感受性とかが成熟出来ていないからなのかも知れない。 永遠の0で、主人公が最後機体を交換した理由についても、オレはせんせーに訊くまでホントのところは分かることが出来ていなかった。 いや、アレは難しいよね なんというか、この世界の片隅に。を見て、オレはこの作品が腑に落ちないというか、 肚に呑みこめない感覚があった。 運命に対する、段階的な諦めというか。 幸せなのに、幸せと言い切れない、 そのど真ん中に、戦争がある。 悲壮な感情を常に抱いていたわけではなく、生活として戦争があって、 それは個人がどうこうできるものではなくて。 不条理がその辺に転がっているんだよね。みんな幸せになりたいのにさ。 星条旗を街の随所に掲げているアメリカに行って、オレのせんせーは、「戦勝国はええなぁ、って思うで」と笑っていたのを思い出す。 後、空襲は悪夢だな。 戦争さえなければ、幸せに生きられたのに。……? わからない。飲み込むには精神年齢が足りないようだ。

2017年1月4日 · 1 分 · 17 文字 · Keito Fukushima

死に直結する短所以外は、取り敢えず放置しても実はあまり問題がない

ドラッガー的な。 そこで痛みを得てからでも遅くはない。 短所をカバー(人並みに)するには、長所を伸ばす数倍の労力が要る。(これは所感として俺にもある)(なんだろう、ホント理系に来たことは冷静に考えても気狂いとしか思えない)(それはそれとてとても合理的なのだが)(レアリティの追求と、新しい思考方法の獲得は俺にとってある意味至上命題だった訳だし) まぁでもアレよな。これ、いいか悪いかを決めるのは女の子の評価見た方がいい気がするんだよな あぁ、結果論だけど、俺あんま短所ねぇな、この考えは取り敢えずここで置いておこう。意味がない

2016年5月3日 · 1 分 · 5 文字 · Keito Fukushima

トレード・オフ

[堀江貴文] 本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 (SB新書) [堀江貴文] 君はどこにでも行ける 堀江貴文氏の本、(というか)思想が好きで読む。 一冊を通じて主旨が明確極まりないので、一度読めば頭に入るし、合理的な思想なのでとてもよく響く。 合理的なの大事。合理的だからこそ仮説が全てだし。合理的だからこそ、結果的に公平になるし。 しかし合理を追求し過ぎるとなんか手痛いしっぺ返しを食らうんだよね。 なんなんだろう。人の和かな。これも合理化しようとすると**“孫子”**になるんだろうけれど。 > 合理化ってのは現状の打破(つまるところイノベーション)に必要(というか、他に必要な要素は一切ない)(つまり時系列を飛ばして個を無くせ)(弓は鉄砲に駆逐されろ) 話が逸れた 彼は……そうだな。“選んでしまった”人間だからなぁ。 他人の人生を生きていない姿はカッコいいと思う。 投獄されて尚潰れない姿が本当にカッコいいと思う。 (普通だったら資産あるわけだし、「もういいや」ってなると思う) 是非長生きして欲しいと思っている。俺、ファン過ぎる。 そのうちお近づきになってDisられて凹みたい。 メルマガも受信してみるか。月500円だったかな φ 彼の思想と、ファインマンの一番深いところの哲学が、最終的に同質なんだよね。 “What Do You Care What Other People Think?” これだ。これが多分、究極的に一番強いんだ。 言い訳しないこと。バランスを取ろうとしないこと。「自意識」と「プライド」を捨てること。 「何かを選んでなお、バランスを取ろうとするってのは、卑怯だと思うんだ」 φ でも最後は**“老子”な気がする。こういう「他を考慮に入れた上で、自分の意を通すために敢えて顧みない」**みたいな思想にはスゲェ憧れるんだけど、最後の最後でなんかズレる気がしている。 いや、老子の真髄も俺には全然読み取れていないから、もうちょい考えないとな。生き方の幅をもうちょい採集するか。歴史小説。 これは予感というか、彼のカッコいい生き方に対する俺の現段階での結論なんだけど、「俺はそこまで捨てられない」って感覚なんだよね。ビジネスに全てを投げ込めるんなら、きっと同じ土俵のそのまた端っこのほうくらいには上がれると思うのだけれど。……だから何もかも足りてないんだよな。今の俺は。俺の全てのリソースを注ぎ込んで尚足りない、みたいな情熱の捌け口みたいなのが全然、見えてないんだもんな。……結論、浅いんだ。強くないやね。強く在らねば。 後はやっぱ行動しないとな。師匠もせんせーも言ってた。「人間は、行動することでしかこの世界にアクセス出来ないんだ」「考えるだけでは意味が無いんだ」 俺は自分の手が生み出す価値を信じて生きなければならない。技術者として生きるんだから。

2016年4月10日 · 1 分 · 40 文字 · Keito Fukushima

[林洋海] 東芝の祖 からくり儀右衛門

人々のニーズに応えるものを発明すれば、喜んで買ってくれる 真のニーズに応える発明は、今までの技術の改良だけでは満たせない オリジナルを発明するには、真理と原理を学ばねばならない 人材の中で一番求められたのは、「学識のある職人」「学識を理解できる職人」だった 「人ひとたび之を良くすれば、己は之を百度す 人十度して之を能とすれば、己は之を千度す 人この道をよく果たせば、愚かなりといえども必ず明なり 柔なりといえども必ず強し」 このように久重のものづくりは、からくり時代から ①アイデアから設計図面を起こし②製造法を文章化し、 ③製造にかかる見積もりを出して ④商品化がなると使い方マニュアルを発行し ⑤売るに及んでは最適なマーケティングを集中して行った 「国は富まさねばならぬ。兵は強くせねばならぬ道理」 「人間がひとたび心に浮かび上がらせたアイデアは成就せぬということはないものである たとえば糸のもつれを解くが如きもので、細心にして熱心ならば、いかなるもつれも解けないはずはないのである。それが解くことが出来ないのは、熱心さが足らない所以である」 「知識は失敗より学ぶ。凡その事の成就するは人の定志にあり。忍耐あり、失敗ありて、而して後、希願成就するものなり。失敗という経験を見ざるうちはその見の自警自悟の観念に乏しく、何事にも熱中度を過ぎて意外なる結果あるものなり」

2015年11月29日 · 1 分 · 17 文字 · Keito Fukushima

[椎名誠]孫物語

小学生の頃、椎名誠さんの「岳物語」の一節を、当時通っていた塾の国語の問題として読んだ。 それはもう(例によって)笑い転げた記憶がある。いや、国語の先生が超絶おもしろい人だったから、その授業の進め方もあったのだと思うけれど。 なによりも椎名さんの淡々とした語り口が子供心に「不良」っぽく見えてカッコよく見えたのだと思う。 読んだ一節は、たしか「チャンピオンベルト」の話で、椎名さんが旅先のパタゴニアかどこかで手に入れたチャンピオンベルトを巡って息子の岳とプロレスをする日々、みたいな話だったと思う。 椎名さん屈強な人だけど、息子と本気で戦って息子の負けも入るようになって来て、ちょっとしょんぼりしつつも、息子は成長するものだよなぁと感慨もある。みたいな締めだった。 (岳物語、続・岳物語は母にねだって買ってもらった記憶がある) 余談だが、 舞さんに「おもしろいんだぜ!?」って自慢したら、舞さんは俺の音読する文章に力なく笑ってた。脱力系の笑いってアレ高等テクだよね 以来、椎名さんの本はたまに手に取ってきたのだけれど(岳物語、続・岳物語は本棚にあるw)この度、いつのまにやら息子さん、岳の息子(つまり孫)との日々のエッセイが出ていた。 岳物語では、本の最初では同学年だった岳(さん)が最後ではもう高校生くらいになっていてオイオイオイオイ一気に成長したもうた! と思ったものだけれど、今度はお孫さんですよ。なんというか、時代の流れというか、懐かしさと新鮮さが一気に感じられて、ちょっと未来をカンニングしている気になってしまった。 たまには無目的な駄文。

2015年11月15日 · 1 分 · 12 文字 · Keito Fukushima

坂の上の雲より⑤

十七夜(坂の上の雲 3 p9〜) 帰納する・才覚の自覚 「馬術や弓術は個人的な武芸だが、その原理を抽出すると、軍理に応用できるものがある」とつねにいった。 「秋山の天才は、物事を帰納する力だ」 ―― あらゆる雑多なものをならべてそこから純粋原理を引き出してくるというのは真之の得意芸であった ―― この得意芸が、やがては日本の運命に交叉する日がくるということを、真之自身はむろん、自負心の強い男だけに予感していた 戦法 真之の戦法には古来の戦法から得ているものが多い。 「船を攻めずして。人身を攻む」(水軍戦法) 原典 真之の海軍大学校における戦術講義は。不朽と言われるほどの名講義だったらしい。――どういう原典も使わなかった。 「あらゆる戦術書を読み、万巻の戦史を読めば、諸原理諸原則はおのずからひきだされてくる。みなが個々に自分の戦術をうちたてよ。 戦術は借りものでは、いざというときに応用がきかない」 「無用に候」 権兵衛のこと(坂の上の雲 3 p51〜) 薩摩的将師 薩摩的将師というのは、右の3人に共通しているように、同じ方法を用いる。 まず、自分の実務のいっさいをまかせるすぐれた実務家をさがす。 それについてはできるだけ自分の感情と利害を抑えて選択する。 後はその実務家のやりたいようにひろい場をつくってやり、なにもかもまかせきってしまう。 ただ場をつくる政略だけを担当し、もし実務家が失敗すれば、さっさと腹を切るという覚悟をきめこむ。 「なにもかも思う通りにやって下さい。あんたがやりにくいようなことがあれば、私が掃除に出かけます」

2015年10月8日 · 1 分 · 28 文字 · Keito Fukushima

坂の上の雲より④

子規庵④(坂の上の雲 2 p322~) 勇気 「あしは侍の家の子に生まれたくせに臆病で」 「銃が恐ろしかった。鉄砲の音も大きらいじゃ。しかし人間というのは複雑ぞな、例えば生死の覚悟となれば軍人などには負けんぞな」 「升サンには勇気がある」 「勇気かな、勇気よりももっと底の底の大勇猛心というようなものが毎日のあしを動かしているように思えるのじゃが」 「悟りということか」 「禅坊主の悟りは、あしにはわからん。念仏坊主の欣求浄土ということもあしには無縁のものじゃ。あしは宗教には無関心じゃが、好きな宗祖はたれぞときかれれば、そりゃ日蓮ぞなやと答えている。日蓮のあのかっかとのぼせているところが、あしは好きぞな。あしは、あと何百日生きるか知らぬが、生きられるだけやらねばならぬことをやる。悟りをひらいたり念仏をとなえたりしているひまはない」 真之 真之は、滞米中から思い続けてきたことを、子規に話した。 「どうせ、あしの思うことは海軍のことじゃが。それと思い合わせながらいま升サンの書きものをよんでいて、きもにこたえるものがあった。升サンは、俳句と短歌というものの既成概念をひっくりかえそうとしている。あしも、それを考えている」 「海軍をひっくり」 「いや、概念をじゃな。たとえば軍艦というものは、いちど遠洋航海に出て帰ってくると、船艇にかきがらがいっぱいくっついて船あしがうんとおちる。人間もおなじで、経験は必要じゃが、経験によってふえる智恵とおなじ分量だけのかきがらが頭につく。智恵だけ採ってかきがらを捨てるということは人間にとって大切なことじゃが、老人になればなるほどこれができぬ」 (なにを言い出すのか) と、子規は見当がつかぬままに、嬉しそうに聴いている。 「人間だけではない。国も古びる。かきがらだらけになる。日本の海軍は列強の海軍にくらべると、お話しにならぬほどに若いが、それでも建設されて三十年であり、その間、近代戦を一度経験し、その大経験のおかげで智恵もついたが、しかしかきがらもついた」 「そげなものか」 「山本権兵衛という海軍省の大番頭は、かきがらというものを知っている。日清戦争をはじめるにあたって、戊辰以来の元勲的な海軍幹部のほとんどを首切ってしまった。この大整理はかきがら落としじゃ。正規の海軍兵学校出の士官をそろえて黄海へ押し出した。おかげで日本海軍の船あしは機敏で、かきがらだらけの清国艦隊をどんどん沈めた」 「なるほど」 「かきがらは人事だけではない。あしは作戦屋で軍政には興味をもたぬけん、人事のことは言わぬ。あしの言いたいのは、作戦じゃ。作戦のもとになる海軍軍人のあたまじゃ」 「古いのか」 「古今集ほど古くなくても、すぐふるくなる。もう海軍とはこう、艦隊とはこう、作戦とはこう、という固定概念≪かきがら≫がついている。おそろしいのは固定概念そのものではなく、固定概念がついていることも知らず平気で司令室や艦長室のやわらかいイスにどっかとすわりこんでいることじゃ」 固定観念と素人 真之はアメリカ海軍の話をした。 「アメリカ海軍は、素人じゃと思うた」 「日本のほうが玄人か」 「世界一の玄人であるイギリス海軍に学んだため、当然ながら玄人じゃ。あしの玄人の目でアメリカ海軍を見ると、やることなすことがじつに素人くさい。しかし、おそろしさはその素人ということじゃ」 素人というのは智恵が浅いかわりに、固定概念がないから、必要で合理的だと思うことはどしどし採用して実行する。ある意味ではスペイン海軍のほうが玄人であったが、その玄人がカリブ海で素人のために沈められてしまった、と真之はいう。 兵棋演習 オモチャの兵棋をつかって演習するなどいかにもアメリカ流の、いわば素人の思いつきくさいが、古今、物事を革新する者は多くはその道の素人である。 兵棋演習の利点を海軍省軍令部へこれを採用すべきである。と真之は人間論から説いた。 「平素、きわめて智恵に富み、しかも豪勇といわれている人でも、いざ戦陣にのぞみ重責の職についたため、責任の重さから心が昏み、気がまどい、せっかくのその資質を発揮できぬという実例が多い。われわれ軍人のほとんどはナポレオンやネルソンではなく、平凡人にすぎない。平凡人であるがために責任の重さにうちひしがれるという大弱点をもつ」 だから兵棋演習がいいという。 兵棋をうごかすにあたって、重責を帯びてそれぞれが艦隊司令官、参謀長、艦長のつもりになって真剣に運用し、それをくりかえし鍛錬することによって、いかなるときでも自信と沈着さを失わぬという第二の天性をつくりだすことができる、というのである。 「さらには、意識をつねに新鮮にしておくことができる」 ともいう。動かしている兵棋は、その軍艦がもっている性能によって動く。敵よりも劣性の西毛をもつ場合は運用によってカヴァーすべきであるが、結局は負けることが多い。このためつねに性能のすぐれた機械力をもって相手を圧倒せねばならぬというあたまもできてくる。 このあたまがあるかぎり、あたらしいものをとりいれてゆくという積極的な精神がおこる。兵棋演習はそのような意味でも重要である、という。 真之のこの提案は、さっそく海軍当局によって採用された。日本海軍はこういうあたりはまだまだ固陋ではない。

2015年9月11日 · 1 分 · 40 文字 · Keito Fukushima

坂の上の雲より③

子規庵③(坂の上の雲 2 p319~) ・子規と真之 文章論やら詩論 「この淳さんというお人はなかなかの文章家じゃぞな。軍人にさえなっておらねば、秉公や清サンよりも上をゆく」 「いや、だめだ。あしには執着がない。物事は執着がなければものにならない」 「執着はあろうが」 子規はかぶせていう。真之は軍人になってもなおむかしの未練をのこしていることを子規は察している。 「ないな」 真之は、触れられたくなさそうな顔でいった。そういうことは忘れようとしていた。 真之の今の執着は海軍作戦のことしかない。この執着はちょっと異常なくらいである。 読書論 「淳さんは大そう本を読む」 子規は、この点だけは真之に頭をさげている。真之はいよいよ気乗り薄に、 「乱読よ。本は道具だからな」 「道具」 これには、子規はひっかかった。子規はわずかな家計のなかから書物を買っているが、その書物はことごとく美術品のごとく愛蔵し、多少書痴の傾向がある。 真之はべつであった。本はどういう名著でも数行、数頁しか記憶しない。気に入ったくだりは憶えてしまい、あとは殻でも捨てるように捨てる。人にやってしまうか、借りたものなら返してしまってそれでしまいである。したがってこれだけの多読家が、蔵書というものをほとんど持っていない。 「それが戦争屋よ。海戦をするのに本を読みながらではできまい」 「憶えておくのか」 「数行だぜ。その事柄つまりあしのばあいは海軍作戦だが、それに関心さえ強烈なら誰でも自然とおぼえられる。ただ、名文句にぶつかることがある。これは本の内容とは別に、書き抜いておく。もっとも書き抜きの手帳を紛失することがあって参考にはならんが、まあ憶えちゃいる」 「どういう名文句かの」 「いろいろある。漢籍はあまり読まんが、新聞にもそれがあり、英語の書物にもそれがある。それを書き抜いておいて、ときどき報告書などを書くときにおもいだす」 これが、真之の生涯を通じてただ一つの文章修行法であった。新鮮な方法とはどうして言い得ないが、文章のリズムを体に容れるには案外いい方法かもしれない。 名文 「しかし、なにが名文です」 と、清サンがきいた。真之は、わからんといって逃げたが、子規が代わって答えた。 「美に基準はあるまァ。あしは美に一定の基準なしと思うとるぞな。美の基準は各個人の感情のなかにあり、同一人物でも時が経つと基準がかわる。あしは美に一定基準なしと思うとるけん、何が名文かは、それを読んで感ずる人次第ぞなもし、清サン」

2015年9月11日 · 1 分 · 29 文字 · Keito Fukushima

坂の上の雲より②

子規庵②(坂の上の雲 2 p294~) 原文ママでは無い。抜き書き。 ・子規と真之 漱石が往ってから数日して、漱石とは逆に英国から日本へ戻ってきた友人がある。秋山真之である。 「アメリカでは、どうおしじゃった」 真之は、ごく要点だけを箇条書きのようにして話すと、 「淳さんも軍人におなりじゃな」 と、じれったがった。軍人というのははなしがおもしろくないというのである。 真之の軍人という職業観 「まったく妙な商売だ」 真之にすれば、軍人とは戦いに勝つために名誉と給料を国家からあたえられているという職業人である。 つねにロシア海軍の現勢と成長を頭に入れつつ、日本の海軍の持ち駒を考え、それとの海戦を毎日のようにあたまのなかで設計しては消している。 「日本というのは悲痛な国よ」 欧米を回ってみると、みな産業によって国が富んでいる。日本というのはまだまだ農業のほかろくな産業ももっていないくせに、ヨーロッパの一流国と同じ海軍をつくろうとしている、と真之はいう。 「それも超一流の軍艦をそろえたがる」 「**そのエナージーのひとつは恐怖だ。**外国から侵されるかも知れぬという恐怖が明治維新をおこし、維新後はこのような海軍を持つにいたった。しかし残念ながら、軍艦は小艦艇はのぞいてみな外国製だ」 子規の歌論 「なあに、それでええぞな」子規は歌論をしはじめた。 「あしはこのところ旧派の歌よみを攻撃しすぎて、だいぶ恨みを買うている。たとえば旧派の歌よみは、歌とは国歌であるけん、固有の大和言葉でなければいけんという。グンカンという言葉を歌よみは歌をよむときにはわざわざいくさぶねという。いかにも不自然で、歌以外にはつかいものにならぬ、淳サンが水兵に号令をかけるときにいくさぶねのふないたをはききよめよというか」 「軍艦の甲板を掃除せよということか」 「水兵が笑うじゃろ。笑うのは、結局は生きた日本語でないからじゃ」 子規は、外国語も用いよ、という。外国でおこなわれている文学思想もとりいれよ、といった。 「そういうことは日本文学を破壊するものだという考えは根本があやまっている」 「たとえ漢語で詩をつくるとも。西洋語で詩をつくるとも、はたまたサンスクリット語で詩をつくるとも、日本人が作った以上は日本の文学であることに間違いない」 「むかし奈良朝のころ、日本は唐の制度をまねて官吏の位階もさだめ、服色もさだめ、唐ぶりたる衣冠をつけていたが、しかし日本人が組織した政府である以上、日本政府である」 「和歌の腐敗というのは」 「要するに趣向の変化がなかったからである。なぜ趣向の変化がなかったかといえば、純粋な大和言葉ばかり用いたがるから用語が限られてくる。そのせいである。そのくせ、馬、梅、蝶、菊、文といった本来シナから来た漢語を平気でつかっている。それを責めると、これは使い始めて千年以上になるから大和言葉同然だという。ともかく、日本人が日本の固有語だけを使っていたら、日本国はなりたたぬということを歌よみは知らぬ」 「つまりは、運用じゃ。英国の軍艦を買い、ドイツの大砲を買おうとも、その運用が日本人の手でおこなわれ、その運用によって勝てば、その勝利はぜんぶ日本人のものじゃ。ちかごろそのようにおもっている。固陋はいけんぞな」

2015年9月11日 · 1 分 · 30 文字 · Keito Fukushima