[九鬼周造]「いき」の構造

「いき」とはーー 運命によって 「諦め」を得た「媚態」が 「意気地」の自由に生きるのである 媚態 手に入らないものに対しての憧れとか、強烈に焦がれる感じ 割とチラリズム的な 自分と異性との間の緊張状態のこと いき、の基礎 意気地 自己に対する制約 武士は食わねど高楊枝的な、「武士道」によってもたらされた信念 諦め 垢抜けしてあっさりしている様 世間の裏切りによって得られる仏教の「無常」の観念に近いもの 上品さ、渋み、上流さ 世情に通じていて、人情を理解している やってしまうと無常しか残らない、 自分の器を理解して、そうなる前にあえて距離をおく そのいさぎよさが我々に特別な美をともなってうつるのでございましょう

2014年12月31日 · 1 分 · 20 文字 · Keito Fukushima

[赤松啓介 上野千鶴子] 猥談

あらゆる生活文化がそうですけど。性が一番根っこにある。 性ってのは身体の技術っていうか、人間関係の技術でしょう。ここが切れてるものだから人間関係ってものが作れなくなってる。とくに身体を使った人間関係がダメ。 人間関係を作るために、身体をどう使ったらいいかわからなくなったのね。身体の使い方ってのは、あんなものはほっとけば覚えるものだろうと思ってるかもしれないけども、違うんです。本能じゃ無いんですよね、でもどうすればいいんでしょう、こういう状態は。 セクハラというのは行為の問題やなくて関係性の問題ですから、女と関係性がつくれん男のドジっていうことですよ。だからドジな男にもかかわらず、自分の鈍感さ不器用さを棚に上げて女につけ込むから、そんなにみっともないことが起きる。 φ 人の行動にはそういつもいつも深い思想的理由があるわけじゃない(笑

2014年12月1日 · 1 分 · 6 文字 · Keito Fukushima

[木村尚三郎] 日本の美風

日本の美しさとは何でしょうか、 千住博 「それは、静けさと華やかさの共存だと思います。静けさと華やかさが一緒になっている美しさは、他の国にはありません 夜のしじまに、桜の花びらがはらはらとお落ちる美しさ 凛として静かに立つ霊峰富士の姿 雪の降る音のない夜、立ち去っていく後ろ姿の男がさしている、和傘だけが華やかに明るい。 日本の美しさには、音がない。茶道もそうだ」 麻生晴一郎 「こころ熱く 武骨でうざったい中国」 名エッセイ 小言たわごと独り言 言いたいことばかり へんくつの発想 岸信介 < p>「(老人は)転ぶな、風邪引くな、義理を欠け」

2014年11月10日 · 1 分 · 17 文字 · Keito Fukushima

[南場智子] 不格好経営

フジタさんのも読んだことだしそろそろ読み切ろう Φ なぜ川田とナベを誘ったのか、ということをよく訊かれるが、ごたごた言ってもしょせん後付に聞こえるし、面倒くさいので、最初に目が合ったから、などとかわしている。 ふたりに対する感謝の気持は、言葉にして安っぽくしてしまうのが怖いくらい、私にとっては神聖なものだ。このふたりを選んだ時点で、DeNAはたとえ時間がかかってもいい会社に育ってゆく運命を半分手中に収められたと思う。それを本書で十分伝えられるだろうか。 調整ではなく決めるのが仕事であること 最後は自分の腹に聞くことを教わった気がする やっぱり世の中、一番よれよれな人が一番頼りになるのである。 社長というのは、一瞬にしてものをつくり出すことはできないが、一瞬にして破壊することはできるので、気をつけねばならない。 私はDeNAという会社がとても好きだ。 その一番の理由であるDeNA内部の清々しさ、気持ちのよさは、川田の人格と仕事へのスタンスがべったり組織に乗り移ったものだと思っている。 誰よりも働く、人を責めない、人格を認める、スター社員に嬉々とする、トラブルにも嬉々とする。 新しい技術は、新しい遊び方、新しい事業を生む。 すると新しい課題が発生し、事業者は軌道修正を求められる。 この循環はワンショットではなく、イノベーションがある限り続いていく。 今後も新しい問題は必ず起きる、いや、今すでに起こっていると覚悟するべきだ。 事業者は、問題を起こさないようにびくびくするよりも、新しい問題にアンテナを張り巡らし、積極的にユーザーや社会、行政と対話しつつ柔軟に対処し続ける姿勢と能力を持つことが重要だ。 そしてこの動きは、企業単体よりも業界で団結して取り組んだほうが社会に対して有効である。 そして、創業期から一貫して多大な時間とエネルギーを費やしてきたのが採用活動である。 DeNAの競争力の源泉は、とよく訊かれるが、答えは間違いなく「人材の質」だ。 人材の質を最高レベルに保つためには、①最高の人材を採用し、②その人材が育ち、実力をつけ、③実力のある人材が埋もれずにステージに乗って輝き、④だから辞めない、という要素を満たすことが必要だ。 私をこき使わなければ、私がこき使うよ、などとよく脅しているが、自分の仕事にオーナーシップを持っているメンバーは、必要な仕事を進めるために使えるものは有効に使うので、そこに社長が含まれている場合も多い。 できる限り賢く見られようとする姿勢。 これは事業では一銭の得にもならない。 会社を経営しているといくつもいくつも修羅場をくぐる。 自分のアホさをさらけ出してでも助けてもらわなければ切り抜けられないことがあまりにも多いのだ。

2014年11月7日 · 1 分 · 25 文字 · Keito Fukushima

[日本経済新聞社] 日本の経営者

小林一三 事業を成功させるにはプロデューサーが「いざとなれば何でもできる」多彩さと気迫と人脈を持つ必要がある。 私も万国博覧会や沖縄観光開発などを担当してそれを痛感した。 政治は経済ほどに信用されない。 政治力で補助金や寄付金を集めても長期的な信用を得られない。 だからこれに生涯をかける人材が集まらない。 それに比べて大衆に人気があり経済的に 報われる業種には、スター志願の若者がワッと集まる。 小林の始めた宝塚は後者だった。 反対者も抵抗者も所詮はより良いものを作りたいのだから、事業が進んでいれば必ず戻ってくる。 本当に困るのはより良いものを作る意欲と感覚のない傍観者なのだ。 小林市三の周辺にも安全や品格を口実に何もしない経営者が何人も登場する。 小林は、そんな人物だけは口をきわめて非難している。 φ 松永安左エ門 松永安左エ門の95年余の生涯できわだっているのは自らの事業の節目、(経営難や競争での敗北など)ごとに俗世間から引き下がって寓居での隠遁生活を送り、その間に読書や茶道などに没頭して知的肉体的エネルギーを蓄積し、次の活躍の場に打って出たことである。 いうならば生まれ変わりをたびたび行っている。 映画でイノベーションのことをボーンアゲインと言い換えることがあるが、松永は明治、大正、昭和と続く日本資本主義のイノベーションの波に合わせるかのように自己革新の節目を作っている これはアントレプレナーの歴史として注目すべきことである まずその紹介の節目に至るまでの若き永松の軌跡をたどってみたい。 その季節に彼の事業経営の原点があるからである。 松永安左エ門はその生涯の節目において時代の本質を洞察する鋭い力を示し、かつそれを現実の成果として実らせてきた。 この洞察力の源泉はどこにあったのか。 彼の伝記などからうかがえる奔放な印象とは異なり、それは意外にも「研究」にあったのではないか。 そうはいっても普通の学者研究者が為すような研究ではなく、時代を見抜くための研究である。 その素質は若い頃からあったようで、ライバルでもあった福沢桃介にこういわせている。 「研究にかけては俺も人後に落ちるぬつもりだが、松永の徹底した研究ぶりには兜を脱ぐ」 学者まかせの研究提言ではなく、自ら委員会で鋭い発言をし、虫眼鏡で資料食い入るように見る研究の鬼 であった。 既存体制に不均衡がある時こそシュンペーターの言う「創造的破壊」が必要だ。 しかし背後には新しい事業機会を見抜く創造的知識が必要になる。 松永は、そうした「知」を研ぎ澄まして創造的破壊を実践した稀代の実業家であった。

2014年10月22日 · 1 分 · 32 文字 · Keito Fukushima

[藤田晋] 渋谷ではたらく社長の告白

サイバーエージェントの社長さんの半生記の様なもの。 なんというか、非常にバイタリティに溢れる頑張り屋さんの印象を受けた。 オーバーワーク気味、という単語?が目についたのだけれど、 好きなことで、自分の責任の範囲内で、尚且つ、コレだ!! という予感を感じたのならば、 突っ走るしか無いのかなぁ、 そういう覚悟を、決めて歩かねぇといけねぇのかなぁ、って。 φ 以下、心に残った言葉を 「21世紀を代表する会社を作る」 副業ってどこまで出来るの?? <21世紀を代表する会社を作る> 「社長、その本いつも読んでますけど、面白いんですか?」 「これか? この本は凄いよ。でもお前はまだ読むな。頭でっかちになったらいけないからな」 その本は『ビジョナリー・カンパニー』。 「藤田、大企業に入社して合コンに行って名刺出して威張る奴いるだろう? あれはかっこ悪いよ」 「どうしてですか?」 「大企業にも、それを立派な会社に作り上げた人たちがいるんだ。その人たちが偉いんだ」 「はい」 「そういう人たちが汗水たらして必死になって立派にした会社に、今更難しい試験をパスして入社して、偉そうにしていてもなぁ」 「確かにそうですね……」 実際、急成長の会社を社内から見るのも面白いものでした。 私も一社員でありながら、自分が経営者になった時のことを常に想定して会社に接していました。 「馬とフェラーリさえ買わなければ、後は何をやってもいいよ」 「日本は嫉妬社会だからな」 「オフィスはどうしようかと思っているんですけど」 「間借りで始めたベンチャーに成功例はないよ」 「俺はあのフジテレビの隣に、もっとでかいフジタテレビをつくるんだ」 「ださーい」 彼はこの後、上場した後、経営的に厳しい立場に追いやられる。 「三木谷社長、今度の四半期決算、厳しそうです」 「そうなんだ?」 「なんとか、黒字は確保しなければとは思っているのですが……」 「いいよ、そんなの。もっと中長期の経営を目指してるんだろ?」 「はい」 「だったら、自分の信念を貫けよ」 私は迷走していたのでした。 どんと構えてればいいのに少しでも利益を出してみせようと奔走していました、 悪評に対して、「だからなんだ」とはねのけられる経営者としての力量が、当時まだありませんでした。

2014年7月23日 · 1 分 · 41 文字 · Keito Fukushima

[黒木靖夫] 大事なことはすべて盛田昭夫が教えてくれた―ともに泣き、ともに笑った三十四年の回顧録

大事なことはすべて盛田昭夫が教えてくれた―ともに泣き、ともに笑った三十四年の回顧録 黒木 靖夫   黒木靖夫 Mr.Walkman 自分がこう言ったら相手はどう考えるかな 自分をチューンする   イイトコロをというのなら、一度古典を知らなくてはならないな、と思う。   この議論は満場一致で可決された、というものぐらい不純なものはない 当初の仕込みに30億円くらいの金が必要なのですが、どうしたものでしょう うちは今2兆円の会社になろうとしているんだ。失敗しておまえを減俸処分にしたところでソニーは一文の得にもならない 椎名誠 35歳のウォークマン戦記 アンディ・ウォーホール ルパート・スミス 学歴無用論 松下幸之助 トランジスタ ウエストサイド・ストーリー もういちど100人の会社を興したい 井深大さん 金銭欲や名誉欲や物欲というものがない人だった 聖人 勲章 真似して背を斬られるより、名乗って刃を前から受けよう   どこか行きたいところがあったら、行ってもいいよ ブラジリアに行ってみたい それはイカンな、今からおまえが見ておくといいのはダラスだよ 銀座SONYビル SONYビルはニューヨークのショールームとは規模が違ったので様々な仕掛けが必要だった。 単に商品を並べるだけではおもしろくない。 人が興味を持って見てくれるものをつくらなくてはいけない やはりアメリカで探すかと考えていたら、同じことを考えていた盛田が、 「またアメリカへ行け。カリフォルニアに行ったら、ディズニーランドホテルに泊まって、ディズニーランドに毎日通え。ニューヨークに行ったら、世界博に通え。おもしろいものを探してこいよ」       「マキシムを作ろう」 私はマキシムを知らなかった。 「マキシムって何ですか?」 「おまえ、マキシムを知らないのか。すぐにマキシムへ行け」 急にパリに行かされるハメになった   心斎橋のSONYタワー ものが発明されて、どんどん改善・改良されて行く。一番遅れたのは電池だな。ボルタが発明して以来全然進歩していない   何となくおもしろくなかった 会社をやめようと思った 新しいとこ作れよ 今のことは分からないんです ゴー・フォー・ブレイク じゃあ、やりましょうか   商品に関する情報の中枢のような役割   スティーブ・ジョブズ 「私達に最も偉大なインスピレーションを与えてくれたのが盛田だった ソニーは市場に革新をもたらし、私たちはそこから大きな影響を受けた」     φ   彼らのことは調べつくしたいなぁw と思う

2014年5月31日 · 1 分 · 68 文字 · Keito Fukushima

[フランク=ディケーター] 毛沢東の大飢饉

毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962 フランク・ディケーター     スターリン → 毛沢東 → ポルポトのコンボを調べている。 元々は成毛眞氏の「面白い本」で興味を持ったお話   φ   1958年〜1962年にかけて中国は地獄に落ちて行った 大躍進 15年以内に中国は英国に追いつき、追い越す   農民は人民公社に組み込まれ、全てが集団化された 共同食堂での食料の供給が、党の指令に人々を従わせる武器になった 4500万人が死んだ   あらゆる階層の人々が集団化という全体計画から逃れようとした 『飢饉が広がるに連れて普通の人々がいきのこれるかどうかは、嘘をつく、取りいる、隠す、盗む、騙す、おうりょうする、略奪する、密輸する、ごまかす、たくみにあやつる、差もなければ国を出し抜くと言った能力の有無にかかって行った』 こう言った手法のせいで、逆に政権の寿命を引き延ばす結果に繋がった   三門峡ダム ほぼすべての土掘りが無駄だったw なんだろうもう、こいつら冷静にトリップしてるだけじゃないのか……??   中国全体が一つの舞台だった。全人民が毛沢東向けの華やかなショーの出演者だった   こどもがクレヨンで描いたチャチな夢物語を無知のまま妄執のように実行したらやっぱり失敗した感じの印象を受ける やっぱりひとの気持ちを踏み躙るようなことをしてはならない   根本的に何かを改善するには3世代掛かる しかし国というリヴァイアサンが狂うとこうも簡単に転がり落ちる 縛っておいたほうが国民としては安全だ   社会主義も資本主義も欠点はきっとある 資本主義の欠点は多分、給与のバランス? 日本はどう足掻いても国内で食料が足りなくなると思うんだけど   『没落を前に見栄を張るのはお定まりのパターンだ』   『大量飢餓の時期に自力で生き延びる最も一般的な術は「希望」という名のシンプルな方策だった 村の状況がいかに逼迫していようと、毛主席は心底人民の利益を優先してくれるに違いないという希望だ。 皇帝の時代には、皇帝は慈悲深いが取り巻きは堕落しているという考え方が根付いていた。 中華人民共和国では尚更だった。 人々は現実に起きている日々の悲劇とメディアの喧伝するユートピアとの折り合いを付けなければならなかった。 そして、虐待の限りを尽くす幹部らは慈悲深い主席の命令を実行しない輩だという確信が生まれた。 人々の暮らす世界から遠く離れた「政府」と称される存在と「毛」と称される神にも匹敵するような存在は善だった。 もしも毛沢東がそこに気づいてさえいれば、全ては違っていただろう』   ……子供が理不尽に泣く世界は間違っているさ 暴力が支配する状態では高潔なものから死んでいく   φ   ≪概要とか≫ なんとなくだけれど、本としては「なんか調べていたらあまりにもえげつないことが分かったから、ちゃんと調べたら本当にやばかった(とてもヒトコトでは言い表せなかった)から理路整然と記述した」という印象を受ける。 非常にアメリカ的な(サイエンス至上主義的な)本だと思う。日本人には中々書くことが出来ないと思う、 これはきっと買っても損はしない類の本。   とりあえず1960~1963年の中国はそれなりに把握した気がする。 正義に目覚めると殺される、当然のことを言うことが出来ない世界。 被害妄想狂に振り回された国家。 なんで自分の非を認めないんだろう? 範囲が大きすぎたのかな? ...

2014年5月29日 · 1 分 · 86 文字 · Keito Fukushima

本田直之「レバレッジ・シンキング」

  常に考えながら量を確保しましょう、 ついでにこうすれば(私は)上手く行ったので、真似してみてね、という本。   φ   ここまでラジカルにやればそりゃあ成功するでしょうよ、と。俺は思う。 例によってパクれる考えパクっておこうかと 以下乱読メモ   「成功するorNOTの違いは全て考え方にある」 「労力、時間、知識、人脈に自己投資し、自分自身の内的財産≪パーソナルキャピタル≫を圧倒的な工夫で増やそうと量をこなした人間のみが成功する」 「Do More With Less を常に意識せよ」 「怠け癖は何とかしようとする限りにおいては、美徳。(DMWL)」     第一章   マジョリー=ブランチャード 理想的な一日にしようとしないなら、誰か他人に振り回される   「サラリーマン勉強してなさすぎるでしょう? もっとHighに自分をenhanceしようよ!!」 『Den Fujitaの商法、金持ちラッパの吹き方』 毎月10万ずつ貯めてたら複利運用してたから、1億円くらいになっちゃった~ 時代は変わってるんだから、その次代に適応してきちんと変化しよう(Starting Upper "OverKilling") 仕事に追われるよりは能動的な動機のようなものを持たなくてはならない、 (そうしないと効率というのは絶対に上がらない)   (労力、時間、知識、人脈) × マインド = 成果   ふぅん……まぁ、そういうものかも知れんね 長期的なゴール ライフプラン・ライフデザイン 短期的なゴール 目先の仕事 この2つには明確なギャップが絶対にありがちなので、このギャップを埋めることは超大事。(まずここから) そうしなければ、最短経路というものを進むことが出来ない(我々には時間が足りない。(だって俺は遊びたい)) 最短経路を進めば、時間、労力、お金のムダがなくなる   堀義人『すごい人の頭ん中――すごい起業家』 人生を通して自分が何をしたいかでしょうね。それが明確に決まっていると、あまり寄り道をしなくていいと思うんです 日常の中で出会いって結構ある(ただ単純に目がそっちを向いてフォーカスしていないだけ)   Theory スポーツ トレーニング 条件反射 目標設定 ルーチン 記録 経営 戦略 時間 労力 数値化 スケジューリング 効率 投資 レバレッジ 資産 不労所得 天引き 脳科学 睡眠 無意識化 習慣 記憶 考え方 ……再投資? ...

2014年4月2日 · 2 分 · 232 文字 · Keito Fukushima

What Do You Care What Other People Think?

「他人がどう思ったって構わないじゃない?」 アーリーン=ファインマン φ 卒論が終わりました。 卒論関係については3記事くらいに分けてがんばってまとめるとして、(使ったツールとか、時期ごとに何やってたかとか、反省とかをば) 今回はブログもなにもやってなかった空白の期間に考えたこととかをちょっと言葉にまとめておこうかと。 φ (4月頃から) 研究室配属が終わって、希望通りの研究室に配属されて(授業もなく)わりと暇になった俺は、今更ながら物理学とかコンピュータの開発された系譜みたいなのを調べはじめた。 そんなときにふと引き当てたのがこの本 ファインマンさんは超天才 リチャード=ファインマンの名前は、学部一年生の頃に(超苦労して取った)力学の授業で使ってた教科書でチラッと見た(しかも超ひねくれた問題のひねくれた解説の参考図書として)くらいで、俺はよく知らなかったんだけれど、この本を読んで一発で彼の人格と思想の虜になった。 φ タイトルこそ邦題では「超天才」なんてざっくばらんな訳になっているけれども(いや、大貫昌子さんの訳は全体的にファインマンのざっくばらんさ(率直さ?)のようなものをよく表していて、文句なく素晴らしいことをここに添えておく) クリストファー=サイクスの原題では、「No Ordinary Genius(ちょっと普通じゃない感じの天才)」ってなってて、俺的にはファインマンはニュアンスとしてはこっちのほうが気に入るんじゃないかなぁ~なんて思わなくもなかったり。 本書の構成は、ファインマンのセリフや、ファインマンの周りの人物へのインタビューを折々に挟むことで、1つのタイトルや事柄について、まるでファインマンと(ファインマンに関わりの深い人達と)一緒に話しているかのように感じさせるものになっている。 個人的には、アメリカ的な非常におもしろいジャーナリズムの様相を呈しているなぁ~と思う。 サイエンスに関して、こうも面白い本や文章や考え方があちこちに見当たるようになったら、この日本も理系離れなんかは問題にならないんじゃないかなぁ~……なんて思うのだけれど。 ――ファインマンは、ファインマンダイアグラムっていう、QED(量子電磁力学)におけるxy座標系みたいな感じのものと書き方? を発案したってことでノーベル賞を――量子電磁力学の発展に寄与――って名目で受賞している(with 朝永振一郎、ジュリアン・シュウィンガー) 本人は 「ノーベル賞受賞の電話が夜中の2時にかかって来た」し、 「おもしろいことを一番初めに発見するっていう栄誉」と、 「僕が発見したことを他の研究者が使ってくれる」 っていうことだけで僕は十分報われているんだよ。 とのたまって、受賞を断ろうとした (断るほうが注目を集めるよ!!と注意されて結局は微妙に嫌々受賞するw) ファインマンの功績は、コレの他にチャレンジャー号爆発事故の原因究明なんかに代表される。(きっと他にも色々と専門的なところでは在るのだろうが) 俺が書きたいのは彼の功績とかではないので今回は割愛する φ ……ファインマンの面白おかしいエピソードについてはちょっと語り尽くせないので、文中で見つけたいくつかの言葉と、それに対する俺の解釈を載せて本文章を締めくくろうと思う。 φ “What Do You Care What Other People Think?” 『他人がどう思ったって構わないじゃない?』 これはファインマンの最初の妻のアーリーンよく言っていたセリフだそうで、彼女と死に別れてからのファインマンの座右の銘のなかで、最も大事な、彼の根幹を占めるものになったという。 我が身を振り返る時や思い悩んだときに、この言葉に見合う自分で居ることが出来ているか、鑑みたのだろうな、と俺は思う。 はじめにこの言葉に触れた時、俺は苦笑とともに、身勝手な言葉だなぁ~、なんて感想を抱いたものだけれど、よくよく読んでいくと、決してそんなことはないのだ。 この言葉は多分、言葉にしていないレベルで他人への気遣いを前提条件としている様に思う。 他人がどう思ったって、なんていう言葉は、傍若無人に自分勝手に振る舞ってしかるべき、ということを推奨しているわけでは決して無くて、むしろ他人への気遣いは前提として『絶対にするもの』なのだよね。 だから、この言葉は、元も子もない付け足し方をするのならば、 『(ちゃんと他人への気遣いを果たしたのならば、それ以上は)他人がどう思ったって構わないじゃない? (だから、ちゃんと自分で考えて決めたことを、最後までやるのよ?)』 というものなのではなかろうか。 shame(気恥ずかしさ)や、scum of the earth(周りの目)、に左右されやすいのが人の性で、それを感じるのは人として当然のことなのだよね。 でも、それを理由にやったほうがいいこと、やったほうがいいと思ったこと、やらないと未来に困ること、やらないと誰かが困ること。そういう事態に陥りかねないことをやらないのは、きっとよくないことで やらない後悔こそが狂おしいのだろうな、と。俺は思う。 φ 俺がガキの頃に氷上にもらった訓戒の中で、マジで元も子もない極論の最たるものとして、「なんでも出来ろ」 ってものがあるんだよね。 オレこれはじめに言われた時に、即答で「超無理」って答えたの、今でも覚えてるんだけど、この言葉の意味するところは、本当に「なんでも出来ろ」っていう異次元な推奨じゃなくて、 「ウチの家訓が『なんでも出来ろ』なんて、超無茶ぶりものだから、とりあえず出来るようになってやろうか」 っつー前向きな姿勢をもつことなんですよー、って悟されたんだよね。 アーリーンさんのこのセリフは、きっとそういう物事に対する取っ掛かりのハードルを下げるためのものなんじゃないかなぁ~って。 俺はそんな風に思うんだよ。 φ 『我々が今生きている世の中に責任を持つ必要はない』 これはジョン・フォン・ノイマンの言葉だそうな。 ――文中では、「積極的無責任さ」、とか、「社会的無責任感」、といった言葉が見受けられた。 まぁ、、ファインマンは原爆の開発に携わってるからこの言に救われた部分が大きいのだろうな、と思う。 しかし思うに、我々は物事の責任を誰かしらの一個人に押し付け過ぎなのではなかろうか、そういう傾向に有りはしまいか、と思うのだ。 社会的な部分での役割といったものは、個人による意思よりもむしろ状況の強制力がそうさせる、という部分が大きいんでねぇかなぁ、なんて、俺は思う。 東郷平八郎だってあんなタイミングで元帥になりたくはなかっただろうて…… ファインマンはこのセリフに出会ってから、社会的無責任感を信条としたらしい。 でも、ファインマンは誰よりも最高の物理学の授業を誰よりも楽しんで開講していたしそのための準備を惜しんだことはなかったし、生徒の面倒を喜んで見たらしい。 (しかし管理職にはならなかったそうなw 自由スキー) ...

2014年2月23日 · 1 分 · 116 文字 · Keito Fukushima