知りたいこと、整理したいこと、会得したいこと

リストにする 仕様を握る能力 スクラップアンドビルドを高回転に回すノウハウとマインド 適切なコミュニケーション 事象を整理して整流化する能力 自分の要求を、人に通す能力 巻き込み力 ソフトウェア工学的な思考方法 体系化する能力 丁寧に仕事をするための、考える時間とそれを確保する能力 納得を形成する能力 深い洞察と知識 問いを生み出す能力 話を作る能力 逆に、要らないと思うものごとについてもリストにする 地道さを伴う何か 他の誰かが、もっと上手くできること。 汎用性のないこと 離れワザ カオス。整頓されていない状態 適切でない量や質全般 伝わらないという事象 愉しみのない空間 笑いの無い空間 トリック オア トリートとは、 想定しうる条件を、想定しきった上で、 それでも想定し得ない何かについては諦めて、 しかし、「こうなればいいな」という祈りとともに 望む未来を手繰り寄せるための イタズラを仕込み続けて、 さあどうだ と答え合わせをすることである。 イタズラを仕込む能力が低すぎて、自分で自分にイライラする。 イタズラ以前の段階だ。 すべての想定しうる事象と事由を考え尽くさねば。 そしてそれを徹底的にやり尽くさねば。 ああ、コレでやっと原点に戻るのだ。

2018年6月16日 · 1 分 · 39 文字 · Keito Fukushima

家族観

家族観に関しては、何度も綴った気がする。 確執はあったし、俺はそれを忘れることは、恐らくないだろうと思うのだけれど、 母親や父親と、休日に焼肉に行ったり、 仕事帰りの母親と下校時に合流して、美味しいものを食べに行ったり。 1回だけだけれど、家族旅行をしたり。 そういうのは、代え難い幸せだったと、今の俺は思う。 「ああ出来たら、こう出来たら」という感覚は、無い。 やっぱ幼少の俺は常日頃は家に帰りたくなかったし、「このまま居なくなることが出来ればいいのに」と何かに対して願い続けた日々は、無かったことには出来ないけれど、 ふと思い返す、いい記憶も同様に存在して、 ああ、幸せだったな。 と心から思う。 「いつか恩義に感じることの出来る日が、きっと来ます」という氷上の言葉まで届いたのだと、 そう思う。

2016年12月5日 · 1 分 · 13 文字 · Keito Fukushima

学生

3月まで学生だった。 学生時代にやり残したことは、友人4人でシェアハウス以外は特に無い。 そして多分これは並行世界の俺は実行しているから量子論的にはノーカウント。 学生から社会人になって、8ヶ月目。 学生とは、なんだろうな? とたまに考える。 随分長く学生をやらさせてもらったものだが。 あの時代はなんだったんだろう? と考える。 今と比べてどうだろう。 何かが変わったかといえば、あまり何も変わらないものだと思う。今も昔も。 やっぱり今の俺はあの頃の俺の思想的な地続きの先にあるものだ、と感じる。 何故エンジニアになる気満々で修士を出て、エンジニアリングに一瞬も触れずに経営層に突っ込んでいるのか俺には分からないんだけど、 この現状はなかなかあるものでは無いから、シチュエーションとしては既知のものって感じはある。(常に「こんなはずでは」「何故俺はここに居るんだ」と自問する人生だった)(決して社会的に低くない地位ではあったけれど、本意ではなかったものな)(斜め上にしか動けない縛りの人生) 俺の心持ちで何か変わったかと言われたら、多分そんなに変わらない。 物事に、向き合う姿勢は、多分学生として過ごして来た半生でちゃんと培われた。 学生生活は、ほどほどに手を抜きながらも全力だった。代え難いものだった。 恵まれた環境だった。 修士の時の恩師に 「2年でこれだけの成果を出した生徒は初めてでした。どこ行って何をしていても、キミは活躍できる人だと思います。応援しています」 という言葉は、やはり嬉しかった。 学生生活を思い返して、俺の中に浮かぶ感慨は、 よい物語を読んだ後で、あぁ、とても満足だ。と自然に笑みが溢れて、 本を閉じる。 そんな感覚だ。

2016年12月5日 · 1 分 · 25 文字 · Keito Fukushima

対象年齢って大事だ

舞さんが昔言っていた。 「分からなかったことが、分かるようになるのは、すごく嬉しいことです。 世の中でこれに勝る喜びなんて、そうそうありません」 「でも、きっとやっぱりそれと同時に分からなくなってしまうこともあるんです。……これはとても寂しいですよね』 以下蛇足 この話の最中だったか、別のタイミングでだったかは忘れてしまったけれど、 「暗闇が怖かった時代もあったのに」という言葉が出たんだ。 俺はこの言葉が凄く好きで、……凄く憧憬的な言葉だと思う。 「暗闇が怖かった」ってのは、誰しもの心にある原風景だと思う。 モチモチの木で、豆太が夜怖くて小便に1人で行けない。みたいな。 そういう怖さが、誰の心にもあったはずなのにね。 もう忘れてしまったよ。 夕日に伸びる影をふしぎに思ったこととか、みんなで鬼ごっこしてて、ふと冷静になった時の風の心地よさとか。べたつく汗が気にならないくらい遊んだこととか。 そんな時代があったんだ。 樋口一葉のたけくらべを読んで、 「今とても高尚なものを読んでいる!」みたいなテンションになったのだよね。 あれは小4の時か。 でも、読み終わって心に残るものが無かったんだ。 精神年齢が、その作品を分かることが出来るレベルまで達していなかったんだと思う。 なのに、「今凄いものを読んでるんだぜー へっへー」みたいなことを思った自分が居て、でも読み終わっても俺は何も得られて無くて、ああ、これ意味ねぇな。と思ったんだ。 本を読むのならば、俺は一番楽しめる年齢で、一番楽しめる作品を読んでいたい。 わからない作品を、分かるフリをして読むのは愚かなことだと思うし、 「ああ、この本はいい本だけれど、もう少し前の自分だったらもっと楽しめたのに」と悔しく思うことも嫌なんだ。 常にギリギリ楽しめる最高のものを読んでいたい。 思想的に地続きでありたいのかもしれない。 飛ぶこともきっと出来るんだろうけれど、飛ぶことはちょっともったいないと思うんだよね。 そのレイヤーにある凄く魅力的なものを横目に飛ぶことは、やっぱりもったいないと思う。 知識と経験のバランスをとって居たい。 そう、飛んじゃったら多分、頭でっかちになってしまって、経験が追いつかない。 経験が追いつかないということは、哲学が追いつかないってことで、それはやっぱり肚に呑み込めて居ないんだ。 対象年齢は大事だ。 対象年齢ギリギリの最高のモノを読みながら、対象年齢がちょっと上のものを手に入れ続けることも大事だ。 思想的に地続きであるということは、きっとそういうことなのだと思う。 多分、自明にクレバーでありたく無いのだな。 勝てる試合で勝ちたくないのか、 経験値効率を最大化させたいというか。 そういう算段を、ずっと立てていたい。

2016年12月5日 · 1 分 · 38 文字 · Keito Fukushima

道化

自分の、心と、身体が、乖離する感覚。 手指が冷たくなって、足先の感覚がなくなる。 本心というものを、人はどこまで表に出すのだろう。 顔で笑っておきながら、心が笑えない時に、俺は自分をどうしようもなく道化だと感じる。 ココロに鍵をかけたまま 冷たい態度で 仮面を身につける だれが僕の素顔 知っているだろう? 君のほかには 自分の弱さも強さも さらけ出したいなんて 一度も思わずに 涙かくしてきた 本当の顔を見せられる人 (Masquerade コードギアス) 昔から自覚があるんだ。 小学3年生の頃に、クラスメイトと話が合わなくなった時? それとも、幼稚園の年中の頃に自分の親のことを信じられなくなった時? 心を偽って笑わないとスムーズに生きていけなかった。 笑うことは俺にとって、何処か死ぬことの裏返しみたいなところがあった。 死にたいなぁ、この世界から消えて、無くなってしまいたい。 そんな風なことを、狭い世界で毎日考えて、 いつしかよく笑うようになっていた。 嘘から出た真なのかもしれない。……どちらでもいい。 でも、俺の真は、そこには無いんだ。 本心が、深く深いとても昏いところにあって、 俺はその自分の、何処かドス黒い部分を 振り撒いてしまうことが嫌で、 世の中の流れは遅くて、 「もっとこうなればいいのに」 と思って、(結局はいつもそうなるのに) ほとんど誰も付いてこれなくて、挙句 「勉強し過ぎるとバカになる」 「いや違う、オマエラが付いてこれないだけなんだ」 と心で叫んで、 その叫びを理解して欲しくて、 でも理解してくれる人は、この世界には中々居なくて、 寂しいけれど共感はされず 人間失格と自分の心をヒロイックに笑ってみたり 音楽を聴いた時に、少し救われた。 それはクロノクロスという作品で、 俺には何か、静謐な音の檻、水底にたゆたう静けさ、 そういったものを、俺は感じて。 それは俺が俺の中で、ずっと大事にしていた本心の懐いていた風景で。 昏い昏い蒼色で、光は少ししか届かないんだけれど、 水面の波のように表情豊かで、静謐で、 世界から少し離れているのだけれど とても綺麗なんだ。 大学生の時に、俺はとんでもない女と付き合った。 図書館で「茶の湯の心理学」って本を読んでたら、なんかもうコイツ大丈夫かっていうくらい俺と同質の目をした女に 「おもしろい本を、読んでいるわね」 と静かに声を掛けられて、 その時に思ったんだよ 「うわマジか、とんでもない美女だオイ」 「うわマジか、なんでこの女まだ生きてられるんだ。よく死んでしまわなかったな」 (美男美女は、世界の宝だ。愛でなくては!) 「ああ、俺はこの女ときっと付き合って、恋人同士になることを避けられないんだけど、 きっとそう遠くないうちに終わる」 俺はなんか妙な勘が働くというか、 「目の前の相手と自分の関係が、どんな風に終わるか」 みたいなのが(相手によっては)漠然とわかる時があって、 大抵、そうならないように本気を出したり、出さなかったり、 そういう俺の努力の有無や、 望む望まざるに関わらず、 俺が最初に幻視した風に関係が終わる。 最初で最後が思い浮かんで、 そうならないように「俺らしく」「俺らしくなくワザと自分の行動を崩してみても」 どう本気で足掻いてみても、 その人との関係は、「見たことがある」 「知ってた……」 という風に終わる。 「この人と結婚するんだろうな」みたいな勘とか、匂いとかは、みんな感じると聞くから、きっと同質のものなのだろう。 捨てられたことから身につけた、自己防衛のような感覚なのではないかと、 俺は、思う。 (続く)

2016年11月18日 · 1 分 · 77 文字 · Keito Fukushima

愛とは

愛ってなんだろうな。 ずっと、ずっと考えてた。 親愛であったり、友愛であったり、恋慕であったり。 もちろん、自分の中では一応の答えのようなものにはたどり着いていて、 ここ何年も、俺にとっての『愛』というものは、 「他人を殺してしまったとして、それが正当化される唯一の理由」 ってもんだった。 「なんでその人を殺したんですか?」 と問われて、 「だって愛していたんだもの」 と。 俺、これ以外に人間が他人を殺す理由で、万人が納得(共感)出来るのは無いと思うんだ。 相手に抱いた感情が、閾値を超えてしまって、いっそ殺してしまいたくなる。 俺が好きになった人には、もう心を捧げている人が居て、 俺はその間に(なんか妙なカタチで)入り込んで、 それはそれはとても幸せな思いをしたけれど、 「このひとがオレのものにならないならいっそ殺してしまおうか」 と考え続けていた。 子供ながらあの感情に嘘は無かった。 同時に、心からその人の幸せを祈る、その自己矛盾が哀しくて。 大学院在学時に、結婚式場でスタッフのバイトをしていた、と会社で話題に出したら、 「え、でもふくしまくん他人の幸せとかあんまり祝えなさそうだよね〜」 みたいなことを言われた。 他人と身内は違うよ当然だろ? と思いながら、 いやぁよかったですねぇ〜!! とちゃんと笑うだろうな〜 とかは思った。 いわば対岸の火事。 それと同時に、やっぱり殺したいほど誰かを好きになる感情とか、 そういうのは、中々無いというか、(あらまほし、されどありがたし というやつだ) ああ、いやだからこそオレはもうなんかかれこれ4年くらい彼女を作れていないんだけど(白目) リゼロがとても面白い。 作者ほんと、きれいな文章を書くなぁ、と心から思ってるんだけど、 愛について、とても響いた言葉があって、 「うんうん、わかってるってば。お父さんとお母さんの前では、昴はいくつになっても子どもなんだから……泣きたいときに、泣くのがいいの」 世界がぼやける。涙が溢れる。袖で拭って顔を隠して、スバルは母にその顔を見せない。菜穂子も、スバルのその意地を尊重して覗き込むようなことはしない。 ただ、ゆっくりと、スバルの髪の短い頭を背伸びして撫でながら、 「……ごめん、お母さん。俺、けっきょく、二人になにもできないまま……」 「なにかしてほしいから産んだわけじゃないんだよ? なにかしてあげたいから産んだの。愛してあげたかったから、お母さんはスバルを産んだの」 ――その言葉通りの愛ならば、スバルはすでに数え切れないほど受けていた。 「お父さんとお母さんになにかしてくれたいなら、その気持ちを他の誰かにあげたらいいよ。それが昴の好きな子で、その子とまた愛してあげたい子どもとかできたら……もう最高じゃない?」 「……あぁ、最高だね」 「でしょう。お母さんの言うことに間違いはそんなにないんだから」 思慕については、もう端っこまで行った気がするのだけれど、 上の引用に関しては、オレはここまで至れていない。 でも、これまでのどんな言葉より美しく思う。 こんな感情を抱くことができるようになりたいと思う。

2016年11月16日 · 1 分 · 50 文字 · Keito Fukushima

遊び

それは外へ外へと理解を求める行為なのかも知れない。 子供の頃から、特に、中学を除いた部分では、俺のやっていることは根本的に変わっていない気がする。 トリックオアトリートだ。 身の丈が大きくなった分、その分動ける範囲が変わっただけで、俺は常にあまりやっていることが変わらない。 遊びは難しい。 白川静先生が、「神はひとりで遊べるけれど、人間は神なしでは遊べない」 「お祭というのは、神様と人間が一緒になって遊ぶ儀式」 「神は一人でも遊べる。しかし、楽しくない。だから人と遊ぶ」 「襟を正す。本質は神からの恩寵」 俺の好きな遊びは、身持ちを崩すといったことではなくて、在り方として遊ぶ、といったことが理想だ。 会社に入って、この辺が伝わる人間が減ったのと、ここに価値を見出したことが無さそうな人間が多くて、 少し脱力気味に笑ってしまう。 なんだか浅いな、と。 生きている、理由が違うのだ

2016年10月6日 · 1 分 · 14 文字 · Keito Fukushima

HTMLって何気に優秀なんじゃないか

最近バッチファイルとか、VBAとか、なんか旧時代の遺産みたいな技術を中心に使ってる。 Why!? とか思って笑ってしまうが、 こいつら舐めたもんじゃない。 何より大抵爆速。C程じゃないけど爆速。 個人的にはPython大好きで、とりあえず1手目はPythonで出来ないか考えるんだけど(そんなにコーディングレベルが無くても省エネにいいもん作れるし、なにより大抵シンプルに完成する) (今日会社のPCに特定のVerならインストール出来ることを知って嬉しくなった) こだわりは無意味だ。やりやすいものを使って目的を叶えましょうw やりようはいくらでもある。 「向いてない言語でも、向いてる言語の何倍もコードを書けば、同じことは出来る」 ってコンピュータ言語進化論っつー(凄くいい)本で読んだ気がするけれど、俺この言葉の持つ(そりゃそうだろうけどさw)って感じのオーバーキルな感じ好きだ。 ブログ自体は、 1. iPhoneのsimplenote(web版もアリ)で書き溜めておいた草稿を、 2. PressSyncとかで、マークダウンを若干使って 3. WordPressに落とし込んだりしている。 (つまりこのサイト) それとは別に、最近は個人的に調べながら進めたりしていることを、プロジェクト管理的に非公開で書き殴ったりしてる。 【PJ】道場探訪とか。 ほら、身辺も落ち着いて来たし、大学入った時みたいに、自分に合う道場とか武道とかを探してみようか〜 みたいなノリ。 既に身についている動きが活かせる武道がいいな! いや、省力でソコソコのレイアウトにまとまるから、適当に書いても後から見やすいのだよね。 どのデバイスからも編集と閲覧が可能だし。 (進行中の考えとかPJとかは、iPhoneのSafari使って、ホームに置いたりすれば、見る頻度と見直す頻度は高くなる) > (見直す頻度=クオリティだと思う)(revision大事)(ハイペースなrevisionを重ねるシステムこそがクオリティの担保)(つまり代謝) (なんだかんだブログに書くとカッコつけるから、ちょっと文章のクオリティは上がるものね!) OneNoteも良いんだけどさ、まだアプリが重いのと、ノートテイキングのハードルが低いから、「本気」の文章がどれかわかんなくなっちゃうんだよね。(そこがいいところなんだけどさ) ブログなら時系列順に並ぶ。 時系列順に並ぶってのも大事。 時間軸方向の思想の蓄積を、一瞬で検索できるって凄いことだと思うんだ。 進行が早くて、状況が動きまくるPJならいちいち編集ダルいんだけど、 1act/2weekとかだと、HTML(markdown)でストックした方が有意義な感じになる Bold Italic Holizontal lineとかが、スニペット的に入力出来る。これは大きい。 Bold大事。**その段落において、一目で何が言いたいか分かる。**特に日本語は冗長なところあるから、Boldマジで大事だと思う。 リッチテキストは本当にいい拡張子だよ。 OneNote使い始めて一切使わなくなったけれど。 ブログ便利。

2016年8月10日 · 1 分 · 44 文字 · Keito Fukushima

経験値がオーバーフローする

ガキの頃読んだ随筆にこんな一節があった。 「人の仮面ばかり作ってきた老齢の陶芸家が、人間のデスマスクを指で触れ、なぞる。 陶芸家はそれだけで、その人間の生きてきた道筋、苦労、幸運、ともすれば信念まで当然のように言いあてるのだ」 俺はこれ、あると思うんだ。 経験値がオーバーフローして、ともすればスピリチュアルだとしか思えないレベルまで高まってる感じ。 ここまでの究極にはなかなか遭遇したことは無いけれど、俺、やっぱなんとなくわかる気がするんだ。 武芸百編、神事に通ずというか。 師匠が一抱えくらいの丸太をあっさり斬った時に、 「え、やばいそれどうやるの?」 って訊いたら、 「え? いや、、あー、わかんねぇな。ずっと刀振ってたら、いつの間にか目の前のものが自分に斬れるかどうかが分かるようになってた」 みたいなことを言っていた。 職業病も、なんとなく近しいものなのかな、とか思う。 センゴク天正記で、センゴク権兵衛が、家臣を選ぶ時に、 「ツラ構えは大事やぞ」 「ああいう、悪意の欠片もありませんよ、みたいなツラをしたヤツに限って、土壇場でコメを持って逃げる」 みたいなことを言っていた。 紅で、九鳳院紫が、 「嘘をつく人間は、嘘をつく時、嘘をつく顔をしている」「真九郎、どうしてわからないんだ!」 経験値がオーバーフロー。 なんかこの言葉、スゲェ好きだ。 ……いや、俺は言語化して納得していくっつープロセスが全体的に好き過ぎるんだけど、 絶対に言語化出来ない域のものは、もっと好きなのかもしれない。 量からしか質は生まれない。 量をこなすということは、数限りない試行を、ウルトラ失敗しながら、それでも続けるってことだから、それだけで既に割と尊いと思う。 めげるな進め、めげるな進め いやしかし、物事を挫けずに続けるに於いて、成功体験とか、認めてもらうとか、そういう承認プロセスって、スゲェ大事だと思うんだよ。 だから、めげずに頑張ってる人間は、いち早く認めてあげられる人間でありたいものだなぁ

2016年7月19日 · 1 分 · 29 文字 · Keito Fukushima

人材≒食えるものの種類が増える

ノドグロトーク② 「3マンセルを多く作る方が効率がいい」 「それに関しちゃあ同意だなぁ、リーダーも臨機応変、四季折々で変えていくってのが無いとな」 「人財って感覚はイマイチ分からない。人財の組み合わせで限界到達点が伸びたことは、今まで無かったしな」 「あー、いや、あー、うーむ。 それに関しちゃ、アレだ。食えるものが増えるって感じだ。メンバーの中に、とても省エネに何かが出来る奴が居ると、ソレも食えるようになる。」 「例えば、ああ、アイツ居るし、これもついでにやっても良いかな、みたいな感じになると思う。」 「深度に関しては、確かにあまり深くなるって印象は無い。ただ、同じ深さまで掘る労力で、良いものもついでに食える印象がある。」 「つまり、グルメになれる」 プロジェクトに於ける人財というものは、こういう理解であまり外していないと思う。 深さは概念設計で決まる気がする。 予想外に深くまで行った、って感覚は、たまにあるけれど、ソレはヒトベースなのではなく、 時と場合ベースの運みたいなもんだと思う。 だから、深さは設計ベース、幅は人財ベースな感じかな。

2016年7月19日 · 1 分 · 14 文字 · Keito Fukushima