自分らしい or NOT

ハヤタと品川で、鳳凰美田を啜り、ノドグロをつつきながら話したことで、 割と好きな話その① 「この年齢になると(24年も生きていると)、判断の基準の、とても大きな部分に、『自分らしいかどうか』ってのが入ってくると思うんだ」 「自分らしく選択したことなら、受け入れられる」 「自分の哲学に反しない言葉で与えられた考えなら、素直に受け止められる」 「行動を、起こすか起こさないか、という判断の材料のとても大きな部分に、これは過去の自分を裏切る行為ではないか? という自問がある」 「そして、自分らしいことをしなかった時って、結局はあまり良い目が出ないんだよね」 「だから結局、自分らしいことをやってねぇとな、って結論になるんだ」 過去の自分は、 今よりも手持ちのカードは少なかったにしろ、その少ない手持ちのカードで、全力で考えて判断していた。 ガキはガキなりに全力で考えている。 「古き良き時代というのは、常に記憶の中にしかありません(堕花雨)」 この20年、予想通りに進んでこれた自信は一切ないけれど、そんなに不幸では無かった。 何が自分の身に起きるのか、(俺は全知でも全能でもないから)予見できたことは無かった。 (後から振り返っても、兆候や、「まぁ順当にそうなるよね」って判断出来るカードは、当時の俺の手の届く範囲には無かったよ) しかし、折々の判断は自分らしいものを常に下して来たと思う。 過去の自分を裏切らず、過去の自分の言葉を嘘にしない。 固執とかではない、変質は歓迎している。しかし望んだ方向、もしくは今の自分の地続きでないと、とてもしんどい。(意味もわからないし、習得までとても時間が掛かる) 世の中には豚に真珠的なことは多々あると思う。必要な言葉というのは、必要なタイミングで与えられないと意味がない。 周りの顔色を伺って生きて、よかったと思えることは無かった。 他人を傷付けて、よかったと思えることは無かった。 悪いことをして、それが自分のためになったことは無かった。どこか罪悪感を感じ続けた。 なんか違うなと思いながら、何もせずに納得出来たことは無かった。 自分らしさとは、(安直な言葉だけれど)蔑ろにしてみても、決していいことは起きないものなのではないかと思う。 最後は勘なんだと思う。

2016年7月19日 · 1 分 · 26 文字 · Keito Fukushima

田中角栄とファシズム

最近、田中角栄に関しての本が増えてきた。(彼に関しては一度調べた。ちょっといい本でも見つかったら知識を更新しよう。 現時点で印象的なのは、「政治家にして大実業家」「天運に恵まれない父との別れ」「漫談の様な演説」「煽動の才能」「敵は多かったがGiveを連鎖させて味方にしていった」「米国に恐怖を覚えさせた」「信じがたいほど目端が利く人間」「根本的に利発だが、恐らく性悪説側の人間」「(明言は一切無いが)戦地からは仮病の様な方法で帰還していると思われる(こんなところで死ねるかよ)(ああ、多分自分よりも無能な人間の命令で死ぬのが耐えられなかったのだろう)」 こんなところか。 歴史は未来方向から眺めると、まるで結晶構造のような相似形を描いている。 未来の見通しが立たなければ、経済は混乱し、民衆は混迷する。 景気の良さ、というのはつまり未来の見通しの立てやすさだと思う。民衆の混迷∝景気の悪化 やはり最強はヒトラー下のドイツの、「アウトバーン建設」+「フォルクスワーゲン設立」のコンボだと思う。極端な例だけれど、超自明。そりゃあ投資も集まる。自明。 最近よく「リーダーシップについて」とか、「ダイバーシティとカリスマ、どっちが大事なんだろう??」みたいなことを考えていた。 リーダーというのはあくまで役割だから、オレは局面局面で「一番上手く前に立てる人間」が先頭に立てばいいと思う。(しかし先頭に立つと、それはそれで慣れるし上手くなるから、結局ソイツが続投する感覚もある)(まぁいいや)(誰もやらないならオレがやるよ)(面倒になったら他人に投げるし)(黎明期は、飽きるまでは基本的にオレが手綱握っておいた方が上手くいく印象があるな) 「ものごとというのは、基本的に決定しようという強い意志が無ければ紛糾する」 「混迷の先にはファシズムがある。ドナルド=トランプも係累的にはファシズムの印象があり、日本においてもその傾向は橋下徹氏に現れているように思う」 時代には潮流がある。 「ウチの会社は、いいものを作る。作るのだけれど、リリースを後2歩待てない印象がある」「つまり、売り方が下手という言葉に落ち着いてしまうが、お客がその価値に気づけないんです」「その時点では」 いや、オレはソフト面とかUIとかのレベルが一段階低いから、みたいな感覚があるぞ 全ては間合いと拍なのだと思う。急いてはいけない。それは死ぬ。 遅れてはいけない。食い荒らされる。 つまるところ兵站についての概念が日本人には欠けて居るのか。(よく言われている。他にも、相手の戦力を低く見積もることも御家芸だと)これは何故だろうな。少し調べてみるか。 日本語はリアリズムを扱いにくいのかも知れん。断定口調が突き放す言葉に聞こえるものな。敬語が多すぎるのかもしれない。思考は言語に引き摺られる。(サピアウォーフの仮説) ああ、ダイバーシティとカリスマについての結論を。 ・ダイバーシティとカリスマに優先順位はつけられない ・台頭、黎明期においてはカリスマが必要だが、ダイバーシティが無ければ内部が腐敗する。皆同じような感じ方をすると、なにがおかしいのかわからなくなってくる。 ・ダイバーシティを担保するには、常に魅力的な存在で在り続ける必要がある。 ・しかし「チームの成果はチームの居心地の良さ」に比例するという矛盾のある結果も存在する。 ダイバーシティとカリスマに優先順位はつけられない。 しかし、個人的には、どうせ一緒に働くのなら、カリスマの下で働く方がきっと楽しかろうなぁ。と心から思うのだ。人間、結局は日常に埋もれる。戦争の時に兵士が戦う理由は、「家族のため」でも「祖国のため」でもなく、「隣の戦友を守るため」だという。 だから、隣に居る人間はサイッコーにおもしろい人間のほうがいいに決まってるんだ。 立ち止まるな歩き続けろ。強く在れ。と。 逆境でも笑ってる人間が美しいと思う。

2016年5月15日 · 1 分 · 28 文字 · Keito Fukushima

To reach a good consensus. Ver. 1

上下関係をはっきりと まず声が通るように(精神的な)上下関係を意識させる。具体的にはまずはとりあえず上に立つ。 そこから段階的に降りて行く。 その方が効率がいい。 下手な協調性は意識しない方がまだマシ。 俺にとってはストレスでしか無いことが多い。 ルールした方が早くて省エネ。スッキリする。 有象無象の意見に大した価値はない。 物事というのは決定しようという強い意志が無いと絶対に紛糾する。これは無駄だ。無駄なんだ。 つまらないことでオレの人生の時間を奪うな。奪わせるな。 自分のアタマで1から考えている人間に付き合う義理は無い。巨人の肩に乗る意識の無い人間には必読書を投げて帰した方がまだずっと建設的だ。(読むように誘導しろ)(読まないとステージにすら立てていないことをまず自覚させろ)そこまで他人の面倒を見切れない。無変化は停滞しか生まない。死ね。 衆愚政治ほど唾棄すべきものは無い。それはファシズムを産む。 クリーンで合理的ってのが何よりも大事。 「誰がどう考えてもこうなるよね」というのが大事。 感情論は省け。無駄だ。 奸計は実行の時に俺が中核に居ないと大抵、失敗する。 自分のリソースを目の前のことにどれくらい割けるかを考えて、一般解にどの程度近づけるかを決めろ。 やりたいことに手を挙げろ。やりたくないことを笑顔で引き受けるな。やりたく無いことを続けるな。そこに満足する成果は絶対に無い やりたくないことを嫌々やるのは人生の無駄だ。やりたくないことは嫌々引き受けて『貸し』を作り、より合理的な、詰めた案を上に通して、やりたく無い仕事ごと、まるごと他人に投げる。 考えることを止めるな。考えたことは無駄にはならない。 大きく声を出して、高く手を挙げろ。 行動しろ、前進しろ、敵を倒せ。 闘え。短期的にではなく、長期的に手を打て。 (但し血止めを忘れるな)(つまり「たまには休め」) Let’s go together ! 形態はどうでもいい。言葉尻もどうでもいい。 「内容に関して1人で決めた」ということを避けろ、 取り敢えず上の人間をまず巻き込め。 文句や反論を言ってくる(必要な)人間には、「その観点は無かった。詳しく聞かせて頂きたい → 頭を貸して下さい」と笑顔で頭を下げろ。プライドはいらない。実現することが何よりも大事なんだ。価値を生み出すために正しい手段を取り続けることが何よりも大事なんだ。 極端な話、実現するのは俺でなくても良いのだ。 時代を進めろ。技術をもって人類を進歩させろ。救済せしめろ。 俺はそういう生き方を、既に選んでしまったんだから。 必要で無い人間? 捨て置け。何をやってもnegativeは出るよ。本当に暇な時に、コスパが良ければ、根回しすればいい。 「誰がどう考えても、合理的に考えたらこうなるよね」って方針で動いているなら、正義はこっちにある。物理で殴れる。 そしてとにかく周りに思考停止を許すな。情報は確定させた後ちゃんと流せ。 協調性は「一緒に」という仲良しごっこから生まれる。まずはごっこ遊び。それでいいんだ。 そしてこの実感は、「独断先行のきらい」のある俺を正しく縛る言葉にもなる。 「目の前の人をちゃんと見て」 「対等な人間として尊敬し」 「一部分の弱さだけで人を判断しない」 独断先行は孤立に繋がる。 先行するなら、「役割として向いていて、尚且つ全体最適に必要なんだ」という理解を得るよう、最大限に努力する。 「そういう役割なんだ」と承認をもらっておく。 俺はどう頑張ってもせいぜい3人分くらいの仕事しか出来ない。それでは足りんのだ。リソースを最大化出来ていない。リソースを最大化。これがオレの宿命なのだ。 他人を使う ≒ 他人に助けてもらうには、この「人としての基礎」に立ち返る必要がある。 相手のことを認識して、尊重し、名前で呼ぶ。 承認するんだ。 If the most extremely weird case realizes… 仮説が全て。 俺が人生で一番感心した仮定は、 「もし全ての人間が理性的な世界があったとして」 この言葉を発した人間は、住友商事に就職した。(その後やりたいことベースでベンチャーに行った) イケルイケル cv 皆口裕子 最終進化形態は、「キテルキテル」 ...

2016年5月8日 · 1 分 · 75 文字 · Keito Fukushima

カリスマと多様性

ダイバーシティよりもカリスマの方が、本音としては必要とされている気がする。 ダイバーシティを望む、みたいなことを謳ってるけど、人間を多く入れることにあまり意義を見出せない感覚が、俺には在る。 正しい篩にかけられよ、と。 まぁ能力も誤差な気もするんだけどな。企業ってのは割と有機的な生き物で、(国家はリヴァイアサン(縛っておかねば))代謝されるから。人間の力なんてそうそう変わらねぇやね。 まぁでも習慣で培われた技能は大事だ。芸は身を助けるし、志は語らう。ひとつの芸事を深めた人間ってのは、他に於いても要領を得る。あんま、学歴とかで絞りまくって、ってのもナンセンスさね。しかし深みというのは大事だ。人間的な深みであれ、芸事であれ。(学歴と要領みたいなのは、ある程度までは比例する気がする)(まぁ大学が凄かろうがそいつが凄いわけでは無い)(しかしまぁ、ある一定期間までのクオリティ保証って側面はある)(若いうちはね)(年齢が変わると尺度も変わろう)(男は30こえてからが勝負とも聞く)(必要とされる能力も変わる)(部下を使うとか人を使うとか)(やっぱこの思考方向に俺の発言権はあまり無いやね。ナンセンスだ) 立場が変われば見えてくるものも変わる。……しかし、どうも俺にはあまりキレイな思想が根底を流れているようには思えないんだよな……(それもまた正しくSocietyなのか) そうさな。俺は多分根本的なところで排他的で選民意識があるんだと思う。 ついこの間、意外に思われたけれど、俺の対人関係のスタート地点は「人間嫌い」から始まってるんだよ。デフォルトでは人間嫌いなんだ。人当たりがいい割に排他的なのだ俺は。 一時期ハヤタの影響で「人間好き」にギアが入って(バグって)たこともあったけど、俺としてニュートラルなのはやっぱこっちだ。「人間嫌い」だ。 (原因はわかってる。俺の好きな氷上が幼い俺に対して「貴方は 世に蔓延る 有象無象とは 違いますから」って言い聞かせたことにあると思う。俺は有象無象の意味が分からなかったけど、有象無象にはなりたくないと心から思った。なんだろう、氷上、いくらなんでも人間嫌い過ぎだろう) 俺は俺の手の届く人間を守れれば究極的には満足なんだ。 人間関係は極まると閉じる。雛見沢のように。 (それは感覚的には、志望動機に「人がいいから」と臆面なく言われた人事の感覚に似てると思う)(スゲェ真面目に活動してるサークル(例えばテニサーとかアンサンブルとか)に、たまたまかわいい女の子が集まってて、後輩の入部希望の男に動機聞いたら、「美人が多いからです!」と臆面なく答えられる感覚。「ハァ!?」と殴りたくなろうて。え、なに、オマエは俺らになんかしてくれんの?? 関係は然るべくギブアンドテイクであるべきなのに、ギブに何してくれるの?? となろうて) 人間関係論については長くなるから別の機会にしよう。なんだろう。俺はなんだかんだ人には恵まれた自覚がある。 ・友人の友人に対しては基本好意から始まる ・コイツできる、って思った瞬間に好奇心スイッチが入る ・ギャグのどこで笑い始めるか、で回転の速さがある程度測れる(返答の質も含め) ・なんだかんだ長いこと仲良くしてると、色々いいとこばっか見えてくる この辺りでバランス取れてる気がする。いや、正直どこまで言葉にしているか、って差だけで、みんなこういう「警戒心」みたいなのは当然に持ち合わせてるってのが俺の本音だけどな。 まぁ結論、どんなに仲良くなる才能があっても、時間の壁は越えられんよ。たまに越えるけどな! 多様性は難しい。 ダイバーシティ?? バラエティに富んだ、みたいな表現の方がしっくり来るかもしれんな…… ダイバーシティよりもカリスマの方が必要だと思うんだけれど。 リーダーシップはあくまで役割でしか無い。一番上手くできる奴が、求められたタイミングを見計らって前に出ればいい。それが一番省エネだ。船頭多くして船山に登る。たまには後ろに控えよ。 しかし、かといって世を変えるのは天才なのだ。カリスマなのだ。 有象無象に何が出来る。 前進しろ前進しろ前進しろ。さもなくば死ぬのみなのだから。 俺は、カリスマの方が大事だと思う。 ダイバーシティという言葉には、どうも深みが足りない。浅く感じる 続きは改めよう。この辺はもう少し考えた。

2016年5月2日 · 1 分 · 36 文字 · Keito Fukushima

立身出世

就活の面接の時に、面接終わった後出口まで送ってもらう時の世間話 「出世したい?」 「はい(即答)」 「おや、なんというか君はそういうところを超越してそうだと感じたけれど」 「僕は俗物ですよ。権限やら立場やら役職やらは『あれこれやっていい』っていう許可だと思うんですよ。そういうのは身の丈よりちょっと多めに確保しておくのがいい」 「後はまぁ、割と政治が出来るクチなので」 出世、どうだろうな。バランスかなぁ。 「何を押しても出世出世ェ!!」みたいな強迫観念は無いや。仕事内容が、格別に面白くて、覚悟が要る感じなら、(タスクの実現を)射程圏内に入れるために何を押してもみたいなテンションで短期間ガッツリみたいなのは望むところだけれど。 それよりも自分の子供がどう育つのか、人間ってこんな風に大きくなるんだー、みたいなのを蔑ろにしない感じで生きたい気もする。まぁなんだかんだ仕事大事にすると思うけど。 人生の8割はグータラしていたい。 グータラするためには、考える幅を狭める。 ルーチンにする。 社会人なりの仕事のおもしろみ、みたいなのを肌感覚で分かるようになるくらいには出世したいかもな 剣客商売の小兵衛が理想。 長い物には巻かれるが権力には媚びぬ、って感じ

2016年1月13日 · 1 分 · 15 文字 · Keito Fukushima

お酒について

リキュールは好きだから普段から紅茶とかに加えて飲んで来た しかし、俺にとってお酒はどこか遠い飲み物だった。なんというか、道具?? 色気のある飲み方が出来ていないからだろうか 自分に合うお酒を模索できていないからだろうか?? 酔うって感じも、酒に強いだけに遠い。 飲むシチュエーションを愛しているだけで、お酒そのものを愛しては居なかったな、と しかし今日、あまりにも美しい表現があったから抜粋 「…お酒って本当に色々なものがあるのね」 「そりゃ長い歴史を人類と一緒に歩んできた、人類の友だもの。人と同じく色んなお酒があるわ。その中から自分に合うお酒を探すのも、こういう店の楽しみ方の一つだと思うわよ。まあ今日はあたしが奢ってあげるから、好きなだけ好きなように楽しんでいって」 ーー落第騎士の英雄譚より ラフロイグ、飲んでみなくては

2015年12月20日 · 1 分 · 11 文字 · Keito Fukushima

余裕のあるうちにファージしておく、これを怠る集団というのは、どうも滅ぶみたいだ

ハヤタが俺の家に遊びに来た時にポロッとこぼしたこの言葉が、何故か俺には妙に腹立たしかった。 腹立たしかったが、漠然と「この概念は正しい」とすぐに感じた。でも同時にどうしようもなく腹立たしかった。「アァン?」と。 この言葉を認めたくないオレが居た。 しばらく、ふとした時にこの言葉を考えた。(引張試験の最中とか)この言葉を認めたくないオレが居るが、どうも深さが足りない。……同じだけの具体例、とまではいかないにしろ、オレの思いつきうる極例で全件検証くらいはしてみなければなるまい、と。 結果は、「この言葉はどうも正しいみたいだ、反例は無い」 でも、この思想には賞味期限がある。どこかで歯車が狂う。そしてその時は油を挿せる状況でない。 だけど、多分本当に残したいものはなんだかんだと残る、ファージしておかないと、これをめちゃくちゃに踏みにじられて滅びる 余裕のあるうちにファージしておく、これは多分正しい、けど何かが違う。 要らないものを取り込んで、それが原因となって、「一番在りたい姿」から遠くなる。そうだな、多分これだ。風呂敷を広げすぎて滅ぶ ダラーズとか日本軍とか 食べて、消化しきれずにお腹を壊して死ぬ 融和させることが出来ずに、肚のうちから突き破られる つまり、「意思決定を司る人間やら、役割やらの器(カリスマ性)を超えた時点で、集団というものは(適したサイズに向かって一方通行的に)内部分裂や空中分解に陥る」 「だからこそ、この思想には賞味期限がある」 「けれど確かに、『余裕のあるうちにファージしておく、これを怠る集団というものは、どうも滅ぶみたいだ』」 「反例は存在しない。怠ると間違いなく滅ぶ。」 「怠らなくとも滅ぶけれど、怠ると『本当に残したいもの』を『外からの侵略』で滅茶苦茶に踏みにじられて滅びる。」 「『余裕のあるうちにファージしておく』ことで、たとえ分解したとしても、その先々各々でエッセンシャルな部分は残るんだ」 強く在るためには、――集団を率いるタイミングに及んで強く在り続けるためには、融和を続けられるレベルより少し早いペースでファージし続けなくてはならない。そして得られたリソースで進化や変形を獲得形質とせねばならない そうしなければ滅ぶのだ 蛇足だけれど オレがかの言に腹が立ったのは、オレが切り込み隊長的な人間だからだと思う。 少数精鋭の部隊に、ノロマが入ってきたら部隊が全滅するんんだ。……だからオレは排他的な人間なのだ。 行軍は最も足の遅い人間に合わせねばならない。 ファージすることで取り込まれてしまう「足の遅い人間」を斬るだけの機構が、現在の日本的な感覚では存在しにくいのだ。 斬る役割を、オレが担わねばならない。……なればこそ、最初から入れたくない、ピンポイントでスナイプしてヘッドハンティングするほうが効率がいい。 武家の発想のように、優れた血だけを入れる方がいい そんなことを、オレはどこか深い部分で刻み込まれているように思う 更に蛇足だけれど これは「急がば回れ」レベルで本当によく纏まった言葉だと思う。使い易すぎる。対象の将来を判断する時に、チェックする項目に確実に入る割に、判断が『現状』に対する2択で済むのだから。 効率がいいったらありゃしないぜ

2015年12月15日 · 1 分 · 31 文字 · Keito Fukushima

人生の三大支出

人生の三大支出は、「住宅資金」「教育資金」「老後資金」らしい。 老後資金については少しちゃんと考えないとな。 ジリ貧は良くねぇや。 いつ如何なる時も、強く在らねば

2015年11月20日 · 1 分 · 4 文字 · Keito Fukushima

持ち家 v.s. 借家

50年スパンで見ると、そんなに変わらないらしい。 ちなみに専門家によれば、家を買ってもいい要素はこの3つ 駅チカ ライフプラン固定 家族の人数確定 これを満たさなければ結局はマイナス φ つまり、俺が90まで生きるとしたら、40くらいになってやっとマジメに考えれば良いということ。 それまでは遊牧民をしているのが一番効率が良い。 φ 買うなら中古マンションが良い気がする。 住めば都で、盛者必衰。 万物は古びるものさね 全てのものが、変わらないわけにはいかないのだ エラーに強くなくてはな 理想的なのは、川口とかで、幸町に住む → 青木町に家を建てて住む みたいな感じ。

2015年11月20日 · 1 分 · 19 文字 · Keito Fukushima

拡大する世界

身の程 ≒ 金銭感覚 金銭感覚 ≒ やれること(やっていいこと) 個人にとっての世界 ≒ 認識や手段の届く範囲 年齢と共に、段階的に、身の程は大きくなっていく。――使えるお金も、――負う責務も。着眼点と、想像できる幅が拡がって、思い至ることの出来る先というものが遠くなるのかも知れない。経験則? 身の程が大きくなって、新しく見えてくるものがある。まだまだ先は長いようだが。(ほら、上位存在見てるとああ、あそこまではイケるかもしれん、とか思えるじゃん?)俺は俺とてどこまで行けるんだろう? エロと笑いの至る先。 (楽しい。前進と創作はいつの世でも楽しいのだろう。ホモ・サピエンスにして、ホモ・ルーデンスにしてホモ・ファベル) 『暗闇が 怖かった時も あったのに。』 『いままで分からなかったことが、分かるようになることは、これ以上ないくらいの喜びです。でも、きっとやっぱりそれと同時に分からなくなってしまうこともあるんです。……これはとても寂しいですよね』 身の程が己の器を超えてしまってはいけない。 このあたりのバランス感覚が、**「奇跡的」もしくは「崩壊済」**の人間が一番尖ってる気がする。(チューニングの話?) 次が予測できない。理路整然としてるのに予測できない。 何かを達成してくれる予感とでもいうのだろうか 人間誰しも何処か狂ってる。……オレは何人に対して“本当に”向き合うことが出来るのだろう 向き合うということは、俺にとっては相手の感覚と感情を受け入れることだと思う。 「アイツならどう考えるかなw」 ってのが、大なり小なり思い浮かんで、はにかんでしまうような。 φ 「(インターンは)感覚的にはproperty changeというよりもむしろmodifyだった」 みたいなハヤタのセリフが耳に残っている。(ハヤラジ)でもまぁ造形という意味ではmodifyのほうが実は正しいのかもしれん、とは思った。そんなにそんなに化けてたまるか。化けたほうが効率はいいのだろうけれど。 人生で思想的なジャンプ(それも象徴的と言えるほどの)は何回あったかな。(そもそもあったかなぁ……?) 一番、オレの人生を大きく変えたのは、崖の上から転がり落ちた後の数日間と、その余波のような数年間。その次に大きく動いたのは金木犀の香りのする喫茶店で、魔女みたいな人に会って(これもまた数年間)『教育』されたことだと思う。いや状況力の話ならグアムも凄かったか。変質の性質は違う気がするけれど。アレはちょっとオレにとって神聖なもの過ぎておいそれと言語化出来ないやw ああ、友ヶ島も凄かったな。焚き火。憧憬だ。 ああいうきれいなものを、たくさん手に入れられる人生でありたい。 3〜4年に一回でいいから、なんっつーか、あのどうしようもない夜空の星とさざ波の中で焚き火を囲みながら酒を飲んで居たい 人生で幾つか憧憬レベルの情景があるんだけれど、友ヶ島の焚き火は多分、俺が生涯で求める何かを基底するに足りるものだった。満ち足りて居たな。 ああいうものが欲しい。目に見える全てと耳に聞こえる全てが美しくて、自分が紛れもない世界の一部なんだと、誰かが何かを信じなくても、それはきっと些細なことで、俺が絶えても残されるものがこの世界には確かに有るのだと ああいうのって何がそうさせるのだろうかな、 身体の全てが疲れ切ってて、脳も限界が近くて。 すげぇ美味い酒に酔った感じなんだよな。 わかんねぇな、わかんねぇけど、その感情を、そういう感情を俺は追い求めて居たいな。 — ポー φ あさまちっ!! (@fal960) 2014, 3月 23 でもそれも(これは決してあの憧憬を汚すことを意図した文章ではないが)、きっかけこそ象徴的であれ、変化自体はゆっくりとした方向付けの連続だったと思う。堰き止めていたものがあふれでてしまうような。あふれてしまっても許されるような。 そんな、きっといつか別のきっかけがあったのならば、少し離れたところであっても“ここ”に押し流されてたんじゃねぇかな? みたいな感覚が、確かにある。……これはなんだろう? わからないな、、、気質かな φ 大学に入ったら漠然と、「何か変わるかな」と思っていた。6年間男子校に監禁されて(まぁアレはアレで好きだったけれど)、大学っつー環境に入ったら俺の行動も、一味違うものになるのかな、と考えていた。 けれど、結局やっていたことは高校時代のオレと本質は変わらなかった。単純に使えるお金と、自由度が少しだけ(親による干渉やら制限やらは結局大学院に入るまで解除されなかった)増したことに伴って、行動の幅が拡大したって感じだった。 しかしまぁ天運と人運にはこれ以上ないくらい恵まれたと思う。楽しかった。俺の無茶に乗ってくれる友人が、ちゃんとずっと居てくれた。これは得難いことだ φ ……漠然と、別の可能性を考えないことはない。文系行って、東大入って、それはそれとて実は王道を行く、というような。そんな今もあったのかな、 舞さんと離れたりせず、あの家の子供として生きるって選択肢を選んだら、一体どうなってたんだろうな、とか。 まぁわかんねぇな。……色違いの俺になるのかなw 師匠に「オマエ思ってたより天才だな」と見込まれて、俺は「皆伝」と一緒に武門の苗字と名前(あざな?)をもらった。北辰一刀流の「千葉」みたいなやつ。零崎とか崩月みたいな感じかもしれないw それを名乗る機会はもうほぼ無いんじゃねぇかって思ってんだけど、“名前で括られた俺”を俺は手放せないのよな。 呪いみたいだ、って、ずっと思ってるんだ。名前で括られるってのはこういうことを言うんだな、と実感する。二重人格とまではいかなくても、モードが違う俺が居る感じ。それも割と性質が違う気がする俺が。 せんせーも、「ペンネームで生きてると、本名の方がちょっと自分と距離置いてる感じある」みたいなことを仰ってた。 親に見せる顔と友人に見せる顔、もっと言うならば、子供に見せる親としての顔とかは、誰しも毛色は変わる。それの極端なバージョンかな 『此処ではない何処か』を夢想することは、誰にでもあると思う。俺はずっとずっと、現状に満足と諦めを抱えながら、違う可能性を捨てられないで生きていくのかもしれない。 身の程が大きくなって、肩書きも増えて、やっていいことが増える。 分からなくなることもあるんだろうけれど、それでこそ拡大する世界。

2015年10月17日 · 1 分 · 68 文字 · Keito Fukushima