手段を2つ持つ

2つでいい。それ以上は腰を重くする 「右か左か、というやり方は、ナルサス流ではございません。右に行けばこうなる、左へ行けばこうなる、それぞれの行末について考えておくのが私のやり方です」 φ プランBを常に手札に伏せておくことは大事だ。ホント。院試もマジでプランBがあればもっと精神的に楽で居られたかもしれないや。 後、伏せておくこと、が大事だ。奸計之秘さねば実らじ。

2015年10月8日 · 1 分 · 5 文字 · Keito Fukushima

多勢に無勢

マイナーものが好きだけれど、人気の高いものはやはりそれなりに良い 低次元な話に持っていくのなら、 「iPhoneの方がサードパーティの製品豊富でいいよね」とか、 「これいいじゃん!」みたいな有料アプリとか有償サービスとかに手を出しても、結局はGoogleかMSのソフトに落ち着く、みたいな。 φ やっぱ世の中それなりに正しいし、結局省エネの方向に落ち着く。 それに逆らわずに、「最後はどうなるか」だけを考えれば、考えるところは後詰めのみで良くなる。 この方が楽でいい。

2015年10月8日 · 1 分 · 8 文字 · Keito Fukushima

魔状に至る七伏の八卦

「人間関係の言語化は難しいと思うのですよ」 「だから、それを助けるって意味では、……占いはあってもいいと思いますよ?」 「もちろん、一喜一憂するような『弱い在り方』はいけません」 「けれど、自分のなかの、自覚できていない一面に光を照らしてくれるのが、占いだと思うのです」 「占いは、統計みたいなものです」 「これも等しく修身です」 「気に入った言葉があれば、身に刻めばいいですし、『なんだこれ、全然外れているや』と思うのであれば、すぐ忘れてしまえばいいのです。……ほら、なにも損ではないでしょう?」 「だから私、占いって結構好きなんです」 ――小3の頃。冬になり始めた日。

2015年10月2日 · 1 分 · 9 文字 · Keito Fukushima

女性観

師匠「おんなの方が、なんというか、際限がない気がするんだよな、特に、おまえが好きなあの女は、本当にいい女なんだけれど、自己の拠り所が他者なんだよ」 「スゲェ真面目なんだけれど、他者のため、なんだよね、それは、俺はイビツだと思うけれど、俺ではどうしようもない」 「……これはとても珍しいことなんだけれど、今あの女は僕に尽くして居ないんだ。僕だけを向いてなくて、きっと出会う順番とか、生まれてくる年齢とか、出会い方が違えば、一緒にいた、ともすれば救えたとか、そんな感じの人間なんだよね、お前は。だから、あの女がどうするのか、見守りたいってのが、俺の今の感覚だなぁ」 φ 風見雄二「女って奴は簡単だが面倒だ。」 偉そうに語れるほど女を知らねぇや! φ 「お兄ちゃんは、『この人のここは絶対に無理ィ……!』ってところが無いんだよね。だから凄いと思う」 「君は自己修復機能のない欠点が無いんだ」 「アナタのその、ナンパになりきれないところ、私は好きよ」 φ 俺の中のどっかに、女の方が強いってのがある。地に足付いてて、危機に対して粘り強いのは女の気がする。生活に根ざした対応、とでも言うのか。そう。実行力かな? 俺に出来ないことをいっぱい出来る。 糸井重里さんも言っていたけれど、男女だと関係性が自然になるんだよね、曰く、「電話ボックスに一番多く人が詰まるのは、男男でも女女でもなく、男女の組み合わせ」 φ 油断すると男女間は、恋愛感情に転んでしまうと思う。 俺はその危うさみたいな感覚が、きっと好きなのかもしれない。童貞力の残滓とでも言うべくか。 「ヤレるけどヤらない。だからシマコが一番エロいね」って感覚。いや、そんな直截的なものじゃあないと信じたいけれど。俺はやっぱこの辺りの愛らしい感じ好きだなぁ ファインマンも多分、似た事を考えてたんじゃねぇかな。 それが許される人格と、許されるライン。 難しいなぁ。なんか、そんなつもりは一切無いのに、弄んでるみたいで嫌だな……(苦笑) 男女を踏まえるけれど、丁寧に扱うけれど、男女を感じさせない、みたいな朗らかな在り方に憧れるなぁ。ハヤタに昔、「もっと適当に人と付き合えよ」と言われたけれど、これは性分だと思う。それでよくしてもらったことも、やっぱ多いんだと思う。 信頼感とかもあるのかもしれねぇな。 上手く言語化できないや。まだ浅い浅い ただ、心を踏みにじるような真似だけは、絶対に。そこさえ守れば、後は大丈夫。俺は俺で居られる。

2015年9月12日 · 1 分 · 25 文字 · Keito Fukushima

金銭感覚

お金に関して俺はあまり困らない人生を送ってきたと思う。俺は俺自身が割とロクでもない割に恵まれていると思う。 これはとても幸いなことだ。なぜだろう? きっと母が聡明だったことと、父がそれをよしとしたからではないだろうか。 道を外れるのに理由はいらないが、道を外れないことには理由がある。俺の場合は、多分。……いろいろな人に助けられた。 躾は大事だ。たぶん、俺をいろんな人が助けてくれたのは、修身がそれなりに整っていたからかもしれん。目上の人に対する素直さ。 金銭感覚。過去の金言の方が尊い言葉が多い。けどまぁ今の時点での俺の感性は言語化しておこう。 変わったら変わったで尚それもよし φ 「お金で幸いを得ることは出来ないけれど不幸を遠ざけることは出来る」 ヤン・ウェンリーの親父殿の言うところの、「金があれば、嫌なやつに頭を下げなくていい」ってとこに割と近い。 ……舞さんが、お金を沢山持っていたのに、どこかしあわせそうではなかったことが、俺の中の何かを常に喚び起こすんだ。あの人は笑っていたけれどね。幸せか、という一面で考えると、自分の中の何かを人に渡すことでしか、幸せとか、甲斐、といったものを自覚出来ない人だったのかもしれない。 「カネはあるところにはある」「だからそこからそいつに損をさせないように引き出す」 俺の師匠は色々と詐欺師だった。ペテンではなく、ごまかしでもなく、相手にとって本当に価値のある最大成果を大金と引き換えに獲得して売り渡す。……まぁいわば詐欺師だった。 この氷上と対極をなす様な超然とした有様が俺には厭わしかったけれど、性質としてとても近いものを感じていた様に思う。 だからこそ、俺はあの二人にはある種家族のように取り扱ってもらったのだろう、と思う。 思想の継承とかその辺とかも込みで、どこか納得があるのはなぜだろう 「大金は幸福と不幸を一気に呼び寄せる。(秘匿せねばなるまい)」 欧米人(ユダヤ人?)が収入の1%を寄付する的な話を聞いた。厄除けなのかもしれないな、とそれを聞いて思った。 手取りの1%くらいは信頼できる団体に寄付する感覚は持ちあわせてもいいように思う。 俺はこれ、宝くじ買う、ってのでもいい気もするけどねw 自分のためだけではない、見ず知らずの誰かのために自分のリソースを割くって感覚は、余裕を持つことが出来ている証拠なのかもしれないな 「お金は寂しがり屋さんだから、仲間がたくさん居るところに集まる」 出発点が違うってとこに資本主義の不平等さはある。しかしまぁ、上手くやれば身分が関係ないってあたりにバッファがあってよろしいと思う。一線を越えた俺は実業家にならねばなるまい。お金は手段だ。目的じゃあない。 お金はお金を生む。俺が得るにはどうするか? あるところから、損をさせないように引き出す? まだ良くわからない。このへんは不退転の覚悟が決まってからにしようと思う。 お金は汚いとは思うが、俺は割りとガメツイので、穢れを纏って、しまうさね 身ぎれいに小金持ちでいたいね!! 「それなりに質素に、それなりに贅沢に」 極めると大体のことは中庸に落ち着く。ほどほどにがんばる。ダメそうなら全力で逃げる。若いうちは極論でよかろう。老いさらばえたらバランスが肝要だろう。まぁ、出るとこ出なきゃいけねぇけれど、拘りも風化するものではあろう。全てはバランス。熱力学。 φ 人生を通して、俺はどれくらい稼ぎたいのだろう? よくわからない。けれどまぁ、裕福でありたいと思う。この辺の金銭感覚に疎いのは俺これ良くないと思う。もっと具体的に考えないとな でも、そればっか考えていたくない、と思う俺が居る。 だから糸井重里さんみたいに、年に一度本気で考えて行動の方針をたてる、 (後は信頼できる人に任せっきりにしてしまう)ってなくらいでいいのかもしれない。 とりあえず、会社というのは、給料の3倍の価値を提供しないと立ちいかないらしい。(光田さんがブログで言ってた) 俺は、今まで両親にいくら使ってもらったんだろう? 母は2人分はかかってる、的なコトを言っていた。え? じゃあ6人分……?? まぁいいや。ライフプランは目の前のことを片付けながら本でも読んで考えよう。 社会に出た時に、いいモデルケースになる人が居てくれるといいのだが。 コミュニティに閉じ篭もらないためにはどうしたものか。 なにか手段でも考えておかないとなw φ 無知は罪ではないが、知らないことで被った損に後から文句を垂れる様は醜いと思う。 だから、税金やら制度やらの基礎知識を身につけて、遠目のお金をそれなりに手に入れることが肝要なのかと。 基本的な税金の話は、社会人直前くらいには体系的に頭に叩き込んでおかないとな。

2015年9月12日 · 1 分 · 48 文字 · Keito Fukushima

慈善の精神

慈善 これはどうもイマイチわからない。 どうもオレは同情の心に欠けるようだ。 それはなにも、情緒に欠けるといったものではなく、(悲しい物語を読んで泣いたり、逆に笑ったり、といったことは人一倍なのだから) もっと突き詰めるのならば、他者に対する慈しみが少ないのだろう。 男なのだし、自分のことを、なによりもまず十分な状態にもっていくべきなのだ。 風見雄二の「真の防衛とは正しい状況認識と適度な危機感、そして自分の身は自分で守るという最終的な防衛意識だ。」「何かを守るためには、まずは自分を守れ。」というのが、俺の中でしっくりくる。 それまでは、慈善や慈愛は他の人に任せるよ。ああ、慈悲は担えるか 祈り 俺の中で矛盾しない言葉としては、銀子と真九郎の祈りについての話だなぁ 『ずっと昔、真九郎がまだ小学校になったばかりの頃。名前は覚えていないが、同じクラスの男の子が交通事故で入院したことがある。朝、担任の教師は出席の確認をしたあとで生徒たちにそれを報せ、「○○くんの怪我が早く治るように、みんなでお祈りをしてあげましょう」と言い、みんなで一分間ほど手を合わせて目を閉じることになった。真九郎は、一応それに従ったが、薄目を開けて周りの様子を観察し、みんなが真面目な顔でお祈りしているのを見て、なんだかバカみたいだなあ、と思った。祈ってどうにかなるくらいなら、世の中に不幸な人なんていない。僕たちがどんなにお祈りしようと、実際に頑張るのは入院している彼であり、治療するお医者さんであり、看病する家族じゃないか。神様なんかいるかどうかもわからないんだし、こんなのバカバカしい。当時の真九郎は、そう思った。お化けや幽霊なんかいないし、超能力も予言もデタラメで、UFOもウソ、と何でも否定するのがカッコイイと思い込んでいた年頃だ。入院した男の子と特に親しくもなかったという、気楽さもあっただろう。自分の考え方が大人びていると思った真九郎は、休み時間になると、さっそく銀子に話してみた。 頭を叩かれた。「……痛いよ、銀子ちゃん」 「あんた、もしあたしが大きな怪我をしても、お祈りしてくれないわけ? どうせ無駄なんだから、やなこったって」「それは……お祈りするけどさ」「バカバカしいと思いながら?」「ちゃんとやるよ」「じゃあ、みんながお祈りするのをバカにしたらダメ。わかった?」「よくわかんない」 銀子にまた頭を叩かれたが、当時の真九郎には、さっぱり理解できなかった。 多少は成長した今なら、まあわかる。真九郎自身は、神様に祈ることは八年前からやめているけれど、それでも、誰かが真剣に祈る姿をバカバカしいとは思わない。目には見えず、言葉でも説明できず、全ては心の中で行われているのに、何かに祈るという行為には、たしかに神聖さがあるような気がするからだ。 両手を握り合わせて目を閉じ、静かに祈り続ける志具原理津を見ながら、真九郎はそんなことを思った。(紅 第2巻より)』 祈りは分かる。幸せを祈りたい相手が居ることはもはやそれだけで幸せなのだと思う。 自己愛 自己愛が強い訳ではない。と、思う。人並みだと思う。だとしたらこれは独立心だろうか。どこから来るものだろう。『強く在れ』だろうか 身内に優しい むしろ甘いとまで言えるかもしれない。俺は、あまり家族と根っこのところで繋がれた自覚は無かった、その寂しさのようなものを、ずっと他で補おうとして来たように思う。 それは友人関係であったり、師弟関係であったり。もっと俺にとって尊い何かであったり。 家族に似たなにか。 俺はきっと、そういう形の関係性がとても好きなんだろう。 だから、グレイセスのアスベル達はホント俺の琴線に触れまくったんだと思う。アスベル一家。 寄付の理由 ユダヤ人は稼ぎの1%を寄付に回すように教えられる、って読んで、分かりやすくていいな、と。 足りているからとかに関係なく、心の浄財。 もうこれ、いっそ自分のためだと思う。善行を積もうが積むまいが、不幸や逆境はこの身に降りかかるはだろうけれど、1%くらいなら、まぁいいよな、と思うものな。 保険的な感覚かもしれない。まぁ、自分以外の人間のために少しだけでもリソースを割いている、っていう感覚はいいものだと思うのだ φ 人の和を無視すると、最後は手痛いしっぺ返しがくる。 慈善という概念は、俺にとっては、そんな感覚

2015年9月12日 · 1 分 · 35 文字 · Keito Fukushima

言語化

好きな行為。言葉で思想を括る。 オレの持つ能力のなかで、かなり根幹をなすものなのではないだろうか。 汎用性が高かった。 読む能力は母にもらって、書く能力は氷上にもらった。 許しみたいなものだと思う。今の段階で紡ぎ得る最高の言葉を出した。だから後は忘れていい。 考えることを一旦やめていい、っていう許しのための行為だと思う。 オレにとっては。 φ 方向は変わるのだけれど、 谷川俊太郎さんが、「詩を描くときに必要なことは何ですか?」って質問に、 「頭のなかから言葉を一旦なくすんだ」って答えてて、 ああ、これはあるかも知れねぇな、と思った。 境地だ。 φ 人間は感覚先行で、行動や言葉にして初めて知覚できる。 だから、行動することでしか、我々はこの世界に関わることが出来ないんだ。

2015年9月11日 · 1 分 · 16 文字 · Keito Fukushima

自由を使うには能力が要る

「大国を治めるなら、放任主義以外にないんじゃないか」 むしろ細部に口を挟もうとすると失敗するらしい。 φ しかしながら 人間、どうも自由であると、自由であることに不満を覚えるらしい。 そういう人間はどこに行っても結局不満を口にするのだろうがと、俺は思う。 自由を活かすには、才能が要る。 時間を有効に使うには、志が要る。 人間はやはり間違いたくない生き物なのだろう。 責任を負いたくない生き物なのだろう。 優秀極まりない、無謬の人間に支配されている方が楽だものな。 しかも、それでいて短期的に少しでもアラが見えたら、文句を垂れる。 醜い。 しかしこれもまた、人間の本質に近いのかもしれない。 方針と目的を示して、創意工夫を活かすところを残す? 治め方、俺はやっぱ恐怖政治を敷いてしまう気がする。 わからねーや。とりあえず必要になったら、もう少し考えよう。 まぁでも人間やっぱ、最後はごろ寝だろう。 だからこそ、働く姿は美しいのだ。 働くことをもっと肯定した方が未来に進むのに。きっと働くことは大変だけど楽しくもある。 なんで休暇ばかりが報道やらなにやらで持て余されるのだろう。望む仕事ではないからか。最後はごろ寝だからだろうか 俺にはよくわからねーや あまりいい文章ではないな

2015年9月11日 · 1 分 · 23 文字 · Keito Fukushima

最後はごろ寝

どっかで、「人間、なにもやること(義務)が無いとごろ寝する」って文章を読んだ。 これは秀逸だな、と俺は思う。いや、俺もごろ寝する。ごろ寝大好き。 読書が好きで、かなり読む方だと思うけれど、一番エネルギー順位が低いのはごろ寝だと思う。だから、本当にやることが無いと、家でごろ寝しながらファンタジーとかを読んでる。(結局本を読んでんじゃんって、いやこれは別に何かを得るための、とかじゃなくて消化試合だから……) 一番本を読むのは、好きな女の子の前でちょっとカッコつけたい時に、すこし賢そうな本を読むとか、学校の授業中とか(もう無いけれど)、試験期間中の勉強の傍に、とか、 あの辺りが一番、本を読むと思う。 だからエネルギー順位の話なんだと思う φ 「本を読むのはな? 本を読むのが一番楽な時なんだよ」 「だって一番本読むの、試験期間とかじゃん?」 「じゃあ試験期間以外は家でなにしてんのさって話だと、俺はごろ寝してるもん」 「本読むより省エネなの。ごろ寝」 「だから、読書と勉強の二択なら、読書だけど、読書とごろ寝の二択なら、ごろ寝なんだよ」 「なるほど」 φ 義務>デスクワーク>勉強>新書>>小説>ノベル>>ごろ寝 こんな感じの並びになってる気がする。 一番省エネなのはごろ寝だから、普通はごろ寝へ向かう。 許されるラインで一番低い行動が、一番ストレスを感じないんなら、その一番ストレスを感じないのが読書なら読書する。 だからまぁ結論、当然のことだけれど、人生は難易度の高い方向へ進んだ方がいいのだろうな。 好きなことよりも、周りと自分が駆り立てられるもののほうが、人間前に進む。

2015年9月11日 · 1 分 · 21 文字 · Keito Fukushima

病について

病の無い、それこそ完全体で生まれてくる人間は少ないんじゃないだろうか?? 小児疾患の発生率は1%を超えるはず。 俺も生まれた時から長いこと付き合ってる症状がある。まぁ手が荒れる荒れる。 この症状のいいところは、「割ととんでもなく不便で痛いけれど即死することは多分無い」ってところだ。 φ 最近傷の治りが遅くなり始めた。 特に身体の性能で、本気で足りない、と感じたことはこれまで無かったから、俺の身体は割と性能がいい方なんだと思う。あぁ、身長はもうすこしあっても良かったかもしれない これから身体は衰えていくんだろうな、と思う。 行動が制限される病は嫌だなぁ。 強く在らねば

2015年9月11日 · 1 分 · 10 文字 · Keito Fukushima